よく生き よく笑い よき死と出会う
1,540円(税込)
発売日:2003/09/18
- 書籍
自分らしく「死」と出会うために、どう生きるべきか、ご一緒に考えましょう!
身近で大切な人を亡くした時、自らの死に直面した時、どうすればいい? もし、悲嘆のプロセスを知っていれば、「こう感じるのは誰にでもあることだ」と納得でき、上手に立ち直ることができるはず――。「死生学」を教え続けて四十年のデーケン先生が、自らの体験も交えやさしく話す、「死」を乗り越えるための大切なヒント。
書誌情報
読み仮名 | ヨクイキヨクワライヨキシトデアウ |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-462501-7 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 哲学・思想 |
定価 | 1,540円 |
書評
波 2003年10月号より 四歳の妹の死からの出発 アルフォンス・デーケン 『よく生き よく笑い よき死と出会う』
最終講義とは、大学教授が自分の研究を総括して語るというのが、一般的な形になっている。それはそれで学問研究のスピリットや研究内容を次の世代の研究者や学生が受け継いでいくうえで大事なことだし、そういう形の感銘深い最終講義も少なくない。
今年三月で上智大学を退職したアルフォンス・デーケン先生の最終講義は、日本で先駆的に拓いてきた死生学を総括して、一般の人々の死生観や生き方に具体的な手がかりを与える文脈で語ったという点だけでも、意義のあるものだった。しかも、それだけにとどまらずに、「生と死」のあり方に安穏としてきた現代の日本人に向けて、三十年にわたって「死への準備」の重要性を情熱的に語り続けてきたデーケン先生という一人の哲学者の原点、つまり少年期・青年期の人格形成過程までをも自己分析的に語ったという点で、通常の最終講義を超えていた。人格形成過程などというと、いささか大袈裟かもしれないが、実際、精神分析をしたに等しいような成育歴の語り方になっていたのだ。
私はデーケン先生と交流をするようになって十数年になり、多くの著書を読んできたが、今度最終講義に加筆して本にまとめた『よく生き よく笑い よき死と出会う』で、成育過程の決定的に重要な節目が何であったのかを子細に辿り、あらためて凄いなと思った。重要な節目とは、具体的な体験のエピソードだ。少年期から青年期にかけての時期に体験したいくつかのエピソードが自分に何を気づかせ、どんな意味を持ち、その後の生き方にどんな影響を与えたのかを、デーケン先生は鮮やかに語っているのだ。そのことを取り上げてみたい。
まず、デーケン先生にとって「人生での最初の一番深い体験」は、妹パウラの死だったという。八人兄弟の三番目だったアルフォンス少年は、八歳の時、四歳だったパウラが白血病で死にゆくのを家族とともに看取っている。私が凄いなと感じたのは、父母が「病院で死を迎えさせるより、生まれ育った家に戻って、みんなで最期まで介護しよう」と決断し、子どもたちにも介護に参加させ、死別への心の準備をやさしく教えたという点だ。六十年以上も前の医学が発達していなかった時代なのに、今日の在宅ホスピスケアを実践したのだ。
パウラはわずか四歳だったにもかかわらず、自分の死期を悟り、「また、天国で会いましょう」と言って息を引き取った。敬虔なカトリックの信仰に生きる家族だった。この時、アルフォンス少年は「信仰は永遠に対する希望の根源だ」ということを深く考えさせられたという。私はかねて、幼い子どもでも、親がしっかりと向き合って語りかければ、その年なりに死を受けとめると考えてきただけに、このエピソードには強く心を動かされた。
第二は、父母の生き方だった。第二次大戦中に、父は生粋のドイツ人でありながら、ナチスの人種差別と障害者抹殺に反対し、密かに反ナチ運動に身を投じていた。「絶対に認められないことは、生死をかけてでも、反対していかなければならない」という父の言葉はアルフォンス少年の胸に深く刻まれたという。アルフォンス少年もナチスを告発する文書をタイプで増刷するのを手伝った。そして母は穏やかな性格で、大鍋料理による家族の団欒に象徴されるように、朝から晩まで子どもたちのために家事に専念し、いつもいつも家族みんなの無事を祈るのだ。その姿はまさに「母の愛」そのものだった。
第三のエピソードは、連合軍の空襲が激しくなり、アルフォンス少年も下校途中に、戦闘機の機銃掃射を受け、地面に伏した身体すれすれのところに弾丸がめりこんだという恐怖の体験だ。それは「私自身の死」との初めての出会いであり、生きる喜びと意味を強烈に自覚するようになったきっかけになったという。
第四のエピソードは、小学校の卒業が近づいた時、校長から言われたナチスの指導者養成学校への進学を拒否し、同級生たちから疎外されたことだ。自ら選んだ「孤独」ゆえに、読書と創作に耽るようになった。そして、その時読んだ一冊の本を通して、長崎の二十六聖人殉教者の中に十二歳の少年がいたことを知って感激し、日本人への関心を強く抱くようになったという。
人間は旅人。旅に出ればすばらしい人に出会う。出会いによって人間は成長し転機をつかむ。――という人生観で生きてきたデーケン先生の人生は物語に満ちている。悲しみも辛さもすべて成長と転機の糧として自分の物語の文脈に位置づけてきた生き方は、カトリックの信仰を超えて仏教徒である私の心の中にまで熱線を射しこませてくる。その熱くなった心で、本書の後半を読むと、死への準備論も喪失体験後の悲嘆のグリーフワーク論も、肚に落ちる感じで今まで以上に深く理解することができたのだ。
今年三月で上智大学を退職したアルフォンス・デーケン先生の最終講義は、日本で先駆的に拓いてきた死生学を総括して、一般の人々の死生観や生き方に具体的な手がかりを与える文脈で語ったという点だけでも、意義のあるものだった。しかも、それだけにとどまらずに、「生と死」のあり方に安穏としてきた現代の日本人に向けて、三十年にわたって「死への準備」の重要性を情熱的に語り続けてきたデーケン先生という一人の哲学者の原点、つまり少年期・青年期の人格形成過程までをも自己分析的に語ったという点で、通常の最終講義を超えていた。人格形成過程などというと、いささか大袈裟かもしれないが、実際、精神分析をしたに等しいような成育歴の語り方になっていたのだ。
私はデーケン先生と交流をするようになって十数年になり、多くの著書を読んできたが、今度最終講義に加筆して本にまとめた『よく生き よく笑い よき死と出会う』で、成育過程の決定的に重要な節目が何であったのかを子細に辿り、あらためて凄いなと思った。重要な節目とは、具体的な体験のエピソードだ。少年期から青年期にかけての時期に体験したいくつかのエピソードが自分に何を気づかせ、どんな意味を持ち、その後の生き方にどんな影響を与えたのかを、デーケン先生は鮮やかに語っているのだ。そのことを取り上げてみたい。
まず、デーケン先生にとって「人生での最初の一番深い体験」は、妹パウラの死だったという。八人兄弟の三番目だったアルフォンス少年は、八歳の時、四歳だったパウラが白血病で死にゆくのを家族とともに看取っている。私が凄いなと感じたのは、父母が「病院で死を迎えさせるより、生まれ育った家に戻って、みんなで最期まで介護しよう」と決断し、子どもたちにも介護に参加させ、死別への心の準備をやさしく教えたという点だ。六十年以上も前の医学が発達していなかった時代なのに、今日の在宅ホスピスケアを実践したのだ。
パウラはわずか四歳だったにもかかわらず、自分の死期を悟り、「また、天国で会いましょう」と言って息を引き取った。敬虔なカトリックの信仰に生きる家族だった。この時、アルフォンス少年は「信仰は永遠に対する希望の根源だ」ということを深く考えさせられたという。私はかねて、幼い子どもでも、親がしっかりと向き合って語りかければ、その年なりに死を受けとめると考えてきただけに、このエピソードには強く心を動かされた。
第二は、父母の生き方だった。第二次大戦中に、父は生粋のドイツ人でありながら、ナチスの人種差別と障害者抹殺に反対し、密かに反ナチ運動に身を投じていた。「絶対に認められないことは、生死をかけてでも、反対していかなければならない」という父の言葉はアルフォンス少年の胸に深く刻まれたという。アルフォンス少年もナチスを告発する文書をタイプで増刷するのを手伝った。そして母は穏やかな性格で、大鍋料理による家族の団欒に象徴されるように、朝から晩まで子どもたちのために家事に専念し、いつもいつも家族みんなの無事を祈るのだ。その姿はまさに「母の愛」そのものだった。
第三のエピソードは、連合軍の空襲が激しくなり、アルフォンス少年も下校途中に、戦闘機の機銃掃射を受け、地面に伏した身体すれすれのところに弾丸がめりこんだという恐怖の体験だ。それは「私自身の死」との初めての出会いであり、生きる喜びと意味を強烈に自覚するようになったきっかけになったという。
第四のエピソードは、小学校の卒業が近づいた時、校長から言われたナチスの指導者養成学校への進学を拒否し、同級生たちから疎外されたことだ。自ら選んだ「孤独」ゆえに、読書と創作に耽るようになった。そして、その時読んだ一冊の本を通して、長崎の二十六聖人殉教者の中に十二歳の少年がいたことを知って感激し、日本人への関心を強く抱くようになったという。
人間は旅人。旅に出ればすばらしい人に出会う。出会いによって人間は成長し転機をつかむ。――という人生観で生きてきたデーケン先生の人生は物語に満ちている。悲しみも辛さもすべて成長と転機の糧として自分の物語の文脈に位置づけてきた生き方は、カトリックの信仰を超えて仏教徒である私の心の中にまで熱線を射しこませてくる。その熱くなった心で、本書の後半を読むと、死への準備論も喪失体験後の悲嘆のグリーフワーク論も、肚に落ちる感じで今まで以上に深く理解することができたのだ。
(やなぎだ・くにお 作家)
著者プロフィール
アルフォンス・デーケン
Deeken,Alfons
1932年ドイツ生まれ、1959年来日。上智大学名誉教授。「東京・生と死を考える会」会長。1991年全米死生学財団賞、第39回菊池寛賞、1998年ドイツ功労十字勲章、1999年東京都文化賞などを受賞。2003年3月、上智大学定年退官。主要著書に、『死とどう向き合うか』(NHKライブラリー)、『ユーモアは老いと死の妙薬―死生学のすすめ―』(講談社)、『生と死の教育』(岩波書店)、『光のダイアローグ』(三五館)、『旅立ちの朝に―愛と死を語る往復書簡―』(新潮文庫、曽野綾子氏と共著)、などがある。
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