平凡
1,540円(税込)
発売日:2014/05/30
- 書籍
つい想像してしまう。もしかしたら、私の人生、ぜんぜん違ったんじゃないかって――。
もし、あの人と別れていなければ。結婚していなければ。子どもが出来ていなければ。仕事を辞めていなければ。仕事を辞めていれば……。もしかしたら私の「もう一つの人生」があったのかな。どこに行ったって絶対、選ばなかった方のことを想像してしまう。あなたもきっと思い当たるはず、6人の「もしかしたら」を描く作品集。
月が笑う
こともなし
いつかの一歩
平凡
どこかべつのところで
書誌情報
読み仮名 | ヘイボン |
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雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-434606-6 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,540円 |
書評
人生はやっぱり捨てたものじゃない
私は生まれ育った東京の戸越銀座という下町で暮らし、近所に点在するコーヒーショップで一日の大半を過ごしている。店の常連は、この町で半世紀以上、下手すると八〇年くらいは暮らすお年寄りたちだ。私自身は二〇年ほど東京の西で暮らしていたので、在住歴はのべ四半世紀という、この町では新参者のうちに入る。
お年寄りに囲まれて過ごすようになって七年がたつが、日々思うのは、人は揺るぎない個性を持っているなあ、ということだ。何十年という人生の中には様々な岐路があったはずだが、それらをすべてひっくるめて「いま」を作っているという、確固たる感じである。よく「自分には個性がない」と悩む若い人がいるけれど、長く生きれば個性的になれるよ、とアドバイスしたいくらいだ。
角田光代短編集『平凡』を読んだのも、近所の喫茶店だった。一篇読み、顔を上げてお年寄りを眺める。また小説に戻る。耳の遠いお年寄り同士の会話に妨害され、しばし現実の世界に連れ戻される。次の一篇を読む。そうこうしているうちに現実と小説の世界が入り乱れてごちゃごちゃになり、表題作「平凡」の紀美子が自分の隣にいて、「どこかべつのところで」の庭子が自分とすり代わり、目の前のお年寄りがフィクションに思え始めた。これは実に不思議な体験だった。
著者はこの作品で、「あの時違う選択をしていたら、別の人生があったのではないか」という、目の前の現実と架空の人生の間で揺れ動く主人公たちの、現在の一瞬を切り取った。彼らもまた、現実と虚構の間を行ったり来たりしながら、現在の一点に立っているのだ。
私自身は、食堂にニラレバ定食はあっても人生にタラレバ定食はない、というのが持論だ。あの時ああしていれば、といま後悔するくらいなら、あの時点で必死に選択すべきだった。「あの時」の自分が「いま」の自分を形成したのだから、「いま」から変えるしかない。
私がこの結論に至ったのは、強いからではない。逃げるのが嫌いだからでもない。弱いからだ。「いま」を受け入れるには、過去を諦める必要があったからである。
この短編集には、イラッとくる女性が何人か登場する。「もうひとつの人生ってのがあるって、信じてみたいんだよ」と現実逃避する「もうひとつ」のこずえ。別れた恋人が「不幸になっていてくれないかな」と妄想する「こともなし」の聡子。かつての恋人の消息を確認しにやって来る成功した料理研究家、「平凡」の春花。本当に目の前で彼女たちが話しているような、リアルな苛立ちを覚える。そして次の瞬間、これこそ自分が否定したかった自分だと思い出し、ドキドキする。こういう自分を見たくないから、「諦める」しかなかったのだ。
著者は、安易な成長や簡単な解決にはけっして導かない。この作品集が秀逸なのは、「イラ子」や「イラ男」が他者との関わりを通して、自分の「平凡」を見つめ始めていく、瞬間のきらめきなのだ。過去の自分と現在の自分、過去の彼や過去の彼女が入れ子のようにからみあい、一瞬のきらめきが訪れる。ページを閉じたあと、彼らがどんな人生を送るかはわからない。でもきっと、昨日とはほんの少し角度の違う道を歩いているはずだ。そう思えることが、本書の醍醐味なのである。
もう一つの入れ子が本書には仕組まれている。それは角田光代自身の変化だ。私の心に一番しみたのは、行方不明の猫を探す庭子と息子を亡くした愛の邂逅が描かれた「どこかべつのところで」だが、この作品に著者の一つの願いが隠されている。これは読んだあなたに感じてもらうしかない。
主人公とともに揺らぎ、著者とともに揺らぐ。人生はやっぱり捨てたものじゃないと思える、秀作である。
(ほしの・ひろみ 作家)
波 2014年6月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
「もし」から想像する、もうひとつの人生
――「もしあのとき○○していたら」と誰もが一度は想像してしまう「自分のもうひとつの人生」。あの人と結婚していなければ。あのとき窓を開けなければ。彼女と別れていなかったら。そんな「もし」を描いた小説六篇を収録したのが新刊『平凡』ですが、このテーマはどこから出てきたのでしょう。
若い時は人生の岐路をどちらに行くかというようなことで悩みましたが、年齢を重ねていくと前ばかり見るのでなく、「もしかして、あのときこういう選択肢があったのではないか」と振り向いたりする。二十代にはなかった視点なんですね。それで「あのとき」というのは、例えば結婚や試験などの人生の特別な出来事ではなく、ある朝バスを一台逃してしまったとかの何気ないことであり、それによって人生が変わってしまうかもしれないと考えたんです。でもあのバスに乗れたとしても、その瞬間は変わったように思えるかもしれないけれど、数年とか時間が経ってみると、人生の自分の立ち位置はそんなに変わっていない、それが今の実感です。
――表題作の「平凡」は、地味なパートの主婦の女性と、テレビに出ている料理研究家の女性を対比して描き、意外なドンデン返しがありますが、「平凡」に生きるとは何だろうと考えさせられました。
あの小説は、別れた恋人に対してどんな呪いをかけるだろうか(笑)、と考えたのが始まりです。自分を捨てて若い女と結婚したけれど、子どもがじゃんじゃん産まれて、住宅ローンに苦しめられて、会社は左遷されて、奥さんは太っちゃって……そんな地味な暮らしをしやがれ、という呪いが現実味があるかと思ったのですが、それは普通の平凡で幸せな暮らしですよね。まったく呪っていないし、むしろ無事を祈るというか祝福になっている。二十代だったら、住宅ローンは地獄だと思うだろうし、そこに幸せがあるなんて気づかないけれど、「平凡は一種の祝福である」と、今だからわかって書けたんだと思います。
――最後に収録された「どこかべつのところで」では「後悔」をキーワードに書かれています。
「後悔」は「もし」とは違って、起きてしまったことなので、○○しなかった自分とか、あのとき事故に遭わなかった人というのを想定しないと、人生が辛すぎますよね。「もうひとつの人生なんてない」と思った方が楽かもしれないし、「どこかにもうひとつ人生がある」と思えた方が生きるのが楽な場合もありますよね。後者の立場を描いたのがこの小説です。
――その年度の最も完成度の高い短篇作品に与えられる川端康成文学賞を2006年に「ロック母」で受賞した時の授賞式で、角田さんは短篇小説が好きで良い短篇を書きたくて、千本ノックのように短篇を書いてきた、だから尚更受賞が嬉しいという伝説的なスピーチをされました。その後、短篇小説の書き方は変わりましたか。
あの後、黒井千次さんに「あなたが千本ノックを十分にやってきたことはわかったから、もういいでしょう。これからはゆっくり落ち着いて書きなさい」と言われて、「確かにそうだな」と思いました。多い時で三十枚~五十枚の短篇をひと月に七作書いてたんです。さらに長篇連載をしてエッセイを書いて、月の締め切りが三十本以上あったんです。『おやすみ、こわい夢を見ないように』(2006年新潮社)とか『ドラママチ』(2006年文藝春秋)がその頃に書いた小説です。そこから徐々に数を減らしていったので、この『平凡』シリーズは一年に一作ずつで、本になるまでに七年かかっています。
――時を経たからこそ、この作品集が出来たのですね。
最近読み直したんですが、三十代前半に「誕生日休暇」(『だれかのいとしいひと』所収)という小説で、自分で名づけた〈人生玉突き事故説〉を題材に書いたんです。恋人同士が待ち合わせたのに会えなくて、そこで取ったある行動が原因で、どんどんみんなの人生が変わってしまう。三台後ろから追突されたくらいで、思わぬ方向へ大きく変わるなんて、人生がそんなに軽いものだとは、なんて怖ろしい(笑)とその頃は思っていたんですね。それと比べていま『平凡』に収めた小説を読むと、自分の考えが変わっているのがよくわかりました。人生なんてそんなふうに変わってしまうもので、それは重さとか軽さではなくて、誰にでも起きることなんだ、それが普通だから、と今は思えるんですね。小説を書くことでわかってきたことでもあるんです。だから年齢ごとに自分の考えが違ってきているのが、小説を書くことで実感できますね。
――では読者もこの『平凡』を五年後、十年後に読み返してみると、また違った印象を持つかもしれませんね。
ぜひそうしてもらえると嬉しいです。
(かくた・みつよ 作家)
波 2014年6月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
角田光代
カクタ・ミツヨ
1967年神奈川県生れ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、2021年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『くまちゃん』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』他、エッセイなど多数。