巡礼
1,760円(税込)
発売日:2009/08/27
- 書籍
男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのか?
インタビュー/対談/エッセイ
男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのか?
1990年代以降、『窯変源氏物語』8000枚、『双調平家物語』9000枚と日本文学最大の古典の小説化に挑みつづけ、ここ15年は現代に生きる男女を主人公に短篇小説を書きついできた橋本治さん。初の純文学長篇『巡礼』が、いよいよ刊行となります。
ふつうの人たちの戦後
――『巡礼』の主人公はゴミ屋敷に暮らす忠市という老人です。なぜゴミ屋敷を書こうと思われたのですか。
橋本 私は商家の息子ですから、社会が変わり、それまでの商売がなりたたなくなったとき、空回りしたエネルギーはどこにいくんだろうというのがずっと気になっていたんです。ある人の場合、それがゴミ集めに向かうかもしれない。ひとつの時代を生きていた人が、その時代のまま見捨てられていくなら、そういうことも起こりうるのではないかと思った。書いていると、怖くなってくるんですよ。自分もいつそうなるかわからない。ほこりはつもっていくし、資料は山積みだし……。でも多くの人に、ゴミ屋敷の住人になりかねない要素があるんじゃないかな。
――忠市は、昭和ひとけたの生まれで、戦争中に少年時代をすごし、戦後まもなく荒物屋の住み込み店員になりますね。そしてやがて父親から家業の荒物屋を継ぐ。
橋本 荒物屋というのは、いまはほとんどないけれど、昔はあたりまえにあった商売ですよね。うちは菓子屋で牛乳屋だったんですが、やっぱり住み込みの従業員がいました。そういう時代があった、そんなふうに働いていた人がいた、ということは忘れられていいことではないなという、なにか良心の呵責みたいなものが私にはあったんです。
戦後の日本人というと、軍国少年がガラッと変わるとか、労働者ならプロレタリアートとして描かれるとか、そういうのばかりだけれど、思想性とは関係なく働いている人たちがごまんといたわけです。あたりまえの人のあたりまえの人生が書きたかった。思想性のない日本映画みたいなものですね。
――忠市は、生真面目に、黙々と生きてきたはずなのに、荒物屋を営んでいた家はいまやゴミ屋敷と化し、まわりからの冷たい視線にさらされています。
橋本 その人を侘しく悲惨に見せるのは、周囲の照明のライティングのせいですよね。この小説でいうと、近所の住人たちの視線。でも私のなかでは忠市は、小津安二郎の映画にでてくる笠智衆のヴァリエーションなんです。ほんとうにごくふつうの人。
――戦後の暮らしぶりが非常に丁寧に描かれているのにおどろきました。
橋本 いまの人が忘れている戦後日本を、ディテールで書こうと思ったんです。たとえば、荒物屋に嫁にくる会社員の娘は、初めて男の家にいったときどんなふうにふるまうか。新婚旅行から帰ってきたら何をするか、何に困るか。まだ珍しかったテレビを見に茶の間に従業員たちが集まってくると、その家の若奥さんは何を思うのか……。
歌舞伎の世話物だと、たとえば菜っ葉を切る芝居がそれだけだったら、いけないんです。「あ、いかにもその人間だ」というディテールの描出がなければ。二十歳のころ知った大向こうの掛け声に、「こまかい!」っていうのがあった。芝翫が「野崎村」のお光を演じていたときに聞いたんだけれど、なんてすてきな言葉だろうと思った。そういうのがないと、小説とはいえないでしょう、というのが私のなかにはある。
神さま仏さまのいない時代
――『巡礼』は、ワイドショーのレポーターが近所の主婦たちに話をきいてまわるところから始まります。忠市は、近隣の住人たちにすれば、ほんとうに困った人なわけです。でも読み進めるにつれ、読者の目には、悲しみのようなものが透けて見えるようになる。
橋本 ゴミ屋敷に住んでいる人は、さみしいんだろうな、と私はまず思ったんです。寄り添う人が必要なんだろうなと。ずいぶん昔ですが、有吉佐和子さんの『恍惚の人』が出たころの週刊誌の記事で、若い看護婦の女の子が恍惚の老人にたいしてあたりまえの人として接したら、その老人が人間としてよみがえってくるような記述があった。それが非常に印象的で、ちゃんとした人間として寄り添う人がいれば、そういうこともおこるんだなと思ったんです。
――忠市が次第にひとりの人間として読者に見えてくるのは、小説のなかで、彼が生きてきたディテールが丹念に描かれているからですね。
橋本 いま悲惨にみえる人にも、美しい時代があった。そのあとで落ちてゆくにしろ、一輪ずつ花を挿すように、幸福なほうに力を入れて書きたいんです。興味本位にいやなことは書きたくない。小説とは基本的に鎮魂なのでは、という思いもあります。
昔は、「ほんとうに気の毒よねえ」「気の毒になあ」というシンパシーのあらわし方があったでしょう。他人事のようだけれど、そうではなくて、現実世界のなかでそういう思いが生きていた。無関心のなかにおかれている人間は、とても悲しいのではないかと思うんです。
――『巡礼』というタイトルが印象的です。
橋本 これももともと考えていたもので、最初は徘徊する老人を書きたかった。徘徊老人というのは、神仏のない時代の巡礼だな、とあるとき思ったんです。同じように、ゴミ集めというのも、仏のない寺をまわっているように感じられた。
――終盤に四国八十八箇所めぐりが出てきます。
橋本 これはもう絶対に入れるつもりだったんです。強引だろうがなんだろうが、お遍路さんは入れる。
――ちっとも強引とは思いませんでした(笑)。
橋本 いまは神仏のいない時代ですよね。そのことをもう少し重く考えたほうがいいと思う。苦しいときの神だのみというか、なにかが救済してくれるという感覚は、人にとって大事なものなのではないか。自分ひとりで抱えられることばかりではないでしょう。
あと、仏さまの出てくる小説を書きたかった、というのもあるかな(笑)。いまは素朴な祈りが忘れられているから。神さま仏さまに頼ろうとするような素朴な信仰心がなくなると、新興宗教が生まれるんじゃないか。お遍路さんの「同行二人」、一人で歩いていても弘法大師さまがいてくださるから二人なんだ、というのはいまの人にはなかなかわからないでしょう。もっとも私自身に信仰心があるかというと、ぜんぜんなんですが。
小説家・橋本治
――以前お話をうかがったとき、平安時代の人のことはよくわかるけれど現代人は何を考えているのかわからない、一人の人をじっと見るような短篇を百本書くんだとおっしゃっていましたね。そこからいくつものすばらしい短篇集が生まれて、なかの一冊『蝶のゆくえ』は柴田錬三郎賞を受賞なさいました。
橋本 『窯変源氏物語』を8000枚書いたあと、現代人を書こうとしたんですが、なんだかよくわからないと思った。それで登場人物のワークショップをするようにして短篇を書き始めたんです。そのうち、一人の人ではなく数人の人が動くようなものを書きはじめて、群像のようにもっとたくさんの人が出てくるものを書きたいな、と思うようになった。それが『巡礼』につながっていったんです。
――橋本さんの評論的お仕事に十分敬意を払ったうえでのことなのですが、『巡礼』を読んで思ったのは、お願いですからこれからしばらく小説に専念してください、ということでした。それくらいすばらしかった。
橋本 小説家でありたい、とは思っています。世間ではあまりそう思われていないみたいだけど(笑)。評論は何かに向かって突き進んでいくもので、明快に言うべきことがある。小説はあてどのないもので、理屈ではない。理詰めの頭を失くして、ひたすらディテールを積み重ねてゆく。小説でテーマなんてものが見えたら終わりなんじゃないかなと思います。この人いとおしいな、この人かなしいな、とかが少しでも感じてもらえれば十分なんですが、それをやるためには評論で詰めてゆく必要があるというのが、因果な私ではあるんです。
――最後のほうに出てくる天ぷらのシーンが、なんともいえませんね。
橋本 忠市のような人にどうやったら笑顔をみせられるか、と思いながら書いていました。この人にどうしたら生きているということを実感させられるだろうかと。食べものに関心をもつって、生きている実感そのものでしょう。
――1950年代から1960年代、日本人の暮らしが大きく変貌していく様子も小説の読みどころです。
橋本 こういうリアリティもあったのだと、昔という道具を使っていまの思い込みをひっくり返す、照らしだすことはできるかな、と思うんです。いまは日本中どこでもシャッターのおりた商店街だらけです。なかに人がいるのかどうかすらわからない。私はそこにも人はいると思うんです。
(はしもと・おさむ 作家)
波 2009年9月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
橋本治
ハシモト・オサム
(1948-2019)1948年(昭和23)、東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。イラストレーターを経て、1977年、小説「桃尻娘」を発表。以後、小説・評論・戯曲・エッセイ・古典の現代語訳など、多彩な執筆活動を行う。『ひらがな日本美術史』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『草薙の剣』など著書多数。2019年没。