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太陽を曳く馬 上

高村薫/著

1,980円(税込)

発売日:2009/07/24

  • 書籍

合田雄一郎がミレニアムを挟んで挑む二つの事件。立ち塞がるのは21世紀の思考回路! 『晴子情歌』に始まる三部作完結篇、現代の東京に降臨!

惨劇の部屋は殺人者の絵筆で赤く塗り潰されていた。赤に執着する魂に追縋る一方で、合田は死刑囚の父が主宰する禅寺の施錠をめぐって、僧侶たちと不可思議な問答に明け暮れていた。検事や弁護士の描く絵を拒むように、思弁の只中でもがく合田の絵とは?

  • 受賞
    第61回 読売文学賞 小説賞
目次
第一章 TOKYO POP
第二章 公判
第三章 桜坂へ

書誌情報

読み仮名 タイヨウヲヒクウマ1
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 408ページ
ISBN 978-4-10-378406-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、ミステリー・サスペンス・ハードボイルド、文学賞受賞作家
定価 1,980円

インタビュー/対談/エッセイ

人はなぜ描き、なぜ信じ、なぜ殺すのか?

高村薫

執筆開始から10年。『晴子情歌』『新リア王』を経て、三部作がこのほど完結した。初めて二一世紀の東京を描いた高村さん。合田雄一郎を主人公に選んだのも十数年ぶり。福澤一族が関わった二つの難事件は、合田を懊悩させるに十分だった……。

合田雄一郎は私である

――まず、合田雄一郎の個人情報ですが、彼の別れた妻が9・11で亡くなっている。世界貿易センタービルにいて犠牲になっています。三部作の完結篇は二一世紀初頭、象徴的に四〇〇メートルの落下がまず示され、一方ではその翌月になって福澤彰之の息子・秋道の死刑が執行されたということを、合田雄一郎は仄聞するわけですね。二・四メートルですがこちらも落下。とても象徴的に思えます。

高村 2001年の9月11日、映像を通して四〇〇メートルのタワーの崩壊に接しました。そのとき私は、窓から飛びおりる人たちが目に焼きついてたまらなかった。小さいときから悪夢というと、落ちる夢なんです。人間が技術でもってそのサイズを超えたような高いタワーを築き、そこで異様とも思わずに生活の営みをする。それが当たり前のようになった二一世紀の初頭に、そこから多くの人が落ちた。これは私たちが記憶にとどめなければいけない光景だと。

――合田がこの物語の視点人物として、二つの事件に深く関わってゆくわけですけれども、合田の視点で描こうと思われた理由というのは、そもそも何だったのでしょうか。

高村 合田の視点というのは、同じような社会生活を送ってきた私自身の視点でもあるんです。私が今二一世紀の初頭に立ち尽くしている感じを誰が担ってくれるかというと、これはもう合田しかいない。四〇を超えた合田に二一世紀初頭の東京に立ってもらったんです。

――『新リア王』では津軽の雪吹きすさぶ小さなお寺にいた彰之が、今度はある禅寺をマスコミにも取り上げられるような存在に仕立てています。これには仰天しました。

高村 青森少年刑務所を出た息子を何とかしなきゃいけないというので、とりあえず彰之が東京に下宿させて学校にやる。秋道の行く末は彰之にかかっていますから。すると彼も東京にいなければいけない。彰之の父・榮は政治家だから、赤坂の立派なお寺にもつてがある。そういう経緯であって、彰之が別に変身したわけではないんです。

――ただ、彰之が寺に提唱した托鉢が大変な評判を呼ぶわけです。若い女の子が嬌声を上げながら托鉢の雲水たちを見守ったりする。これまでに彰之が登場したシーンと比べてとても突出して見えますが。

高村 曹洞の僧侶たちが、行列をつくって托鉢行脚に出るという姿は、地方なら幾らでもありますから。それをそのまま東京へ持ってくるから注目を集める。東京がいかに特殊かということですよ。網代笠と直綴と手甲、脚絆に草鞋で、姿は同じなのに、東京がそれをエキゾチックに見せてしまう。

殺人現場の現代美術史

――今回、合田が関わった二つの事件というのはいずれも彰之に深く関係していて、その一つが二〇世紀末に、秋道が起こした殺人事件です。凄惨きわまる現場は、あたかもコンセプチュアル・アートさながら批評を拒絶する結界をなしているようにも見える。絵を描いていた秋道が最終的にとりつかれていたのが赤い色面です。殺人の現場に彰之が行って、秋道の描こうとしたものの軌跡を垣間見る。「太陽を曳く馬」というプリミティヴな岩絵からモダンアートまで。彰之はその時点から、秋道の心に分け入っていくために、美術の世界に深く踏み込んでいくわけですね。

高村 もともと彰之の育ての親・淳三が絵かきですから。『晴子情歌』の晴子は夫である淳三が描く絵を周りから見ている。私の頭の中にあったのはゴッホのかいた小さい庭の絵ですけれどもね。ゴッホは、大正生れの日本人にとって西洋絵画の代表です。それが、榮の時代、つまり『新リア王』の時代になると、もう1980年代の半ばですから、絵画のイメージが大分変ってきている。当時はすでに現代アートの時代になっていたわけですが、今回の作品では、もう二一世紀の話。個人的には現代アートの行き着いた最果てみたいなイメージです。

――ただ、現実には、作中にもあるとおり、現代アートの行き詰まりはその遥か前に起こっていますね。

高村 現代アートは、二〇世紀のどこかで行き詰まって、その結果ウォーホルみたいないわゆるポップアートへ行ってしまった。そこを、画家になったつもりで、その行き詰まりに至った理由を考えようと思ったんです。例えば、ミニマリズムやあるいは抽象表現主義と言われていた人たちが、実は究極のところまで行ってしまったとしたら、次世代の人たちはもうやることがなかったのではないか。その究極の一人がマーク・ロスコです。色面だけしか描かなくなった。

――高村さんはロスコの絵の前で立ちすくむような感慨を覚えたと伺っています。

高村 二次元というのは線を引いても色を塗っても何か形があらわれるわけで、意味が必ずくっついてくる。意味というものを拒否するような色の塗り方をして、なおかつ、ロスコの場合は誰にも真似ができないんですよ。ものすごく薄く溶いた絵の具を幾重にも塗り重ねるんです。前に立った人に、もうこれは何を描いているかということではなくて、何かすごいものを見たという身体経験をさせてしまう。

――それ以前の秋道は延々と円や渦巻きを描いている。何か呪術的イメージもありました。そこからロスコ的世界へ……。

高村 そう、その線を引くという行為の延長に実は岩絵の「太陽を曳く馬」もあるわけで。非常に原始的な力強い手の運動としての絵、しかしそれさえも全部塗りつぶしていく。

――合田が殺人の動機を探ろうと秋道に話を聞きますね。だけどさっぱりわからない。ただ、大きな手がかりとして彰之が秋道に書き送った手紙の束があった。手紙には、彰之が今仰った流れを発見してゆくプロセスが綴られています。秋道自身が語らなかったことを彰之が発見するわけですね。

高村 彰之の手紙に、2001年現在の合田が触発されるという形です。そんな手紙があることは事件当時あるいは裁判の途中は知らなかった。2001年になって秋道の死刑が執行され、その死後に、三年前自分が見たものの意味を今さらながら合田も考え始めるのです。

――殺人事件の後に、彰之が様々に試行錯誤するプロセスが、細大漏らさず書いてある手紙。その根底にあるのは、やはり秋道を理解してやりたいという気持ちなんでしょうか。しかも彰之は仏教者です。

高村 彰之の立場というのは、ものすごく複雑です。いきなり一八、九の青年が息子を名乗って現れるんだから酷な話ですよ。だから、『太陽を曳く馬』の法廷シーンで彰之を見ている人たちは、これでも父親かと思ってしまう。ただ彰之はどうしていいのかわからないんです。彰之に直接の責任はないんだけれども、彼の中には、例えば初江という女性と学生時代に同棲したこと、初江を捨てたこと、彼女が妊娠していて子供まで生んでいるのを知らなかったこと、それから何年もたっていきなり初江が現れますけど、結局は一家を構えられずに彼女は消え、さらに何年か後に東京で死んでしまう。そんな彰之が抱えてきたもの、それは自分という悪なんですよ。だから彼が一生懸命秋道に向き合うのも、半分は自分という悪に向き合っていることになる。

大審問官と彰之と

――さて合田の関わるもう一つの事件が、彰之がトップに連なっている寺で起こった死。事故なのか自殺なのか未必の故意なのか、そういう案件なわけですけれども、寺院内部の死というのは、考えてみればシチュエーションとしては珍しい。これを思いつかれた背景は何だったんでしょう。

高村 作者の一番大きな動機としては、合田に思い切り厄介な事件を押しつけたかった。その事件をきっかけにして合田自身も物を考えていきますから。だから、ほかの刑事では無理というような事件を作りたかった。難しいという点では、相手が宗教者というだけで難しいですからね。

――死んだ僧侶、末永和哉ですが、彼は救いを求めてかつてオウム真理教の門までたたいた人物で、坐るということに非常に傾倒しています。そして末永の死をめぐって合田が僧侶たちを相手に事情聴取をするわけですが、話は事件当夜の人物の動きを捉えるどころか、僧侶同士、思想体系のぶつかり合いといった様相を帯びてくる。

高村 日本の仏教を外から何年か眺めてきて、どうしても、つまずくというか、引っかかるところがあって、作者である私自身が考えたかったんです。

――事件解明の鍵は夜間通用門の施錠云々ということに収斂されていくのですけれども、それをめぐってほとんど『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」になってしまうわけですね。そこで人間の認識とは何なのかといった議論に突入し、のみならず近現代思想が様々に援用される。その流れは、先ほど触れた現代美術の流れと何かしら重なって見えました。

高村 結果的にそうなったんです。私も、ここまで絵をかくという行為、二次元と向き合う、あるいは絵を見るという行為と、人間が坐るという行為、坐っているときの、坐っている私の目とか耳とかの働きがどうなっているかというもの、認識論ですね、それがこんなに密接に結びつくというのは当初考えてなかったんですね。でも物凄くクロスしている。それは彰之の手紙を読めばわかっていただけるんですけれども、要するに絵をかく行為にしろ、お坊さんが坐るという行為にしろ、人間がこの時間と空間の中で世界とどう向き合うかという、その向き合い方なんですよ。だから、美術の世界と仏教の世界とはぴたりと重なった。

――ただ、坊主たちの問答を聞いていて、非常に寒々しい雰囲気すら漂ってくるわけですね。合田にはそう思える。ある種の退廃すら感じてしまう。

高村 まさに仏教二五〇〇年の歴史が問題なのだと思うのです。釈迦が死んだ後の仏教史を眺めてみると、その仏教を仏教たらしめてきた言語があるわけですよね。それは、優秀な学僧たちが練りに練って練り上げた論理の世界。それを一応日本の大乗仏教は受け継いではいるんだけれども、お坊さんたちは現にどうしたかというと、練り上げられた仏の論理をぽんと脇に置いて、要は八正道だと言うわけですよ。煎じ詰めれば、信心を持って正しい生活をして、それで人様を救うような行いをしましょうという。実は両者はつながってないんです。道元の禅も実は仏とは何かという論理からぽんと出てしまっている。それに、あの仏像っていうのは一体何なんだろうと思いませんか。仏様と言うけれども、実は仏教の論理では仏というのは人じゃないんですよね。仏という一つの概念の固まり。では私たちが手を合わせて拝んでいるあの仏像って何、ということになるでしょう。それとは別に仏という一つの概念があるんです。その仏という概念とお坊さんの実践というのをどうやって結びつけるか。

――「大審問官」の中には、復活してきたキリストの話が出てきますよね。彰之はそんな、キリストのような位置づけではないかと……。

高村 合田の場合はいわゆる仏教を外から見ている人間の代表で、彼はそうやってお坊さんたちの話を聞いていて、待てよと思うわけですよね。例えば禅定という深い三昧に入ったときに、目はあいていて、見えてはいるけれども見えていないというあの論理。おかしいと思うわけですよ。不思量とは何かを思量する、というような言い方であらわされる禅の三昧、よく考えていくと、私はどこかにうそがあると思うのです。生身のお坊さんが仏を求めるということ、それは本当に個人の思弁的な営みですよ。それと衆生済度というふうな実践をどう結びつけるか。突き詰めればどんどん抽象論になっていく。「大審問官」の例で言うと、キリストを否定する大審問官は彰之ですよ。彰之が、僧侶も最後は宗門の教義を離れて人間の言葉で語りましょうと言うわけですよね。いくら頭を剃って出家の身でも、私たちはそもそも人間であるから、と。結局、結論はそれしかない。復活したキリストに当たるものはいないのです。

――合田の状況把握が深まっていくと、検察とか弁護士のかいた構図とえらく乖離してしまう。これはある意味では、高村さんが二〇世紀に犯罪捜査を合田を中心にお書きになったような世界との訣別を示しているんでしょうね。ロジックが完結するような犯罪を描くことのリアリティの問題……。

高村 二一世紀の初頭に、私たちが二〇世紀に蓄積してきた近代理性の言葉が、本当に行き詰まっているというような感覚と現実がある。一つの例がオウム真理教ですよ。オウム真理教は超能力から始まった。超能力なんてものを大学出の学生たちが信じてしまうこと自体、まさに近代理性の終わりですよね。同時代に生きた私たちとして一番知りたかったことは、オウムは宗教なのか宗教でないのかという部分です。結局そのオウムを否定する言葉というのは、人間の言葉なんですね。人間として人間の言葉で彰之は否定をするわけです。

――さて、高村さんは常に自分に高いハードルを課してきた人です。今回そのハードルは何だったのでしょうか。

高村 小説の言葉になるかならないか、ぎりぎりのところというのを今回も考えました。裁判の言葉とか僧侶たちの言葉。宗教を語る言葉。僧侶が認識論を語る言葉。いずれも小説になるかならないかというぎりぎりのところ。『新リア王』のときにも、政治家たちの公共事業をめぐる話とか予算案をめぐる話とか、そんなものは本来小説の言葉にはならないけれども、それを書かなきゃ政治家を小説の主人公にできない。今回も、僧侶から仏をめぐる話を抜いたら僧侶を書いたことにはならない。絵かきから美術論を抜いてもしかり。この登場人物たちを単なる属性で描くわけにはいかないんですよ。

――現代ではキャラということに還元して語られる問題ですね。ライトノベル系のメソッドですが、「らしい」描写を重ねれば小説になっちゃうという……。

高村 私にはその回路が欠けてるんです。そういう発想が出来ない頭なんですね、きっと。

(たかむら・かおる 作家)
波 2009年8月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

高村薫

タカムラ・カオル

1953(昭和28)年、大阪市生まれ。作家。1990年『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。1993年『マークスの山』で直木賞受賞。著書に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』『空海』『土の記』等。

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