めくらやなぎと眠る女
2,090円(税込)
発売日:2009/11/27
- 書籍
『象の消滅』に続いてニューヨークで編まれた、著者自選短篇集!
短篇作家・村上春樹の手腕がフルに発揮された粒ぞろいの24篇を、英語版と同じ作品構成・シンプルな造本でお届けします。「野球場」(1984年発表)の作中小説を、実際の作品として書き上げた衝撃的な短篇「蟹」、短篇と長篇の愉しみを語ったイントロダクションなど、本邦初公開の話題が満載!
Blind Willow,Sleeping Womanのためのイントロダクション
Blind willow,sleeping woman
バースデイ・ガール
Birthday girl
ニューヨーク炭鉱の悲劇
New York mining disaster
飛行機
――あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか
Airplane:
or,how he talked to himself as if reciting poetry
鏡
The mirror
我らの時代のフォークロア
――高度資本主義前史
A folklore for my generation:
a pre-history of late-stage capitalism
ハンティング・ナイフ
Hunting knife
カンガルー日和
A perfect day for kangaroos
かいつぶり
Dabchick
人喰い猫
Man-eating cats
貧乏な叔母さんの話
A “poor aunt” story
嘔吐1979
Nausea 1979
七番目の男
The seventh man
スパゲティーの年に
The year of spaghetti
トニー滝谷
Tony Takitani
とんがり焼の盛衰
The rise and fall of sharpie cakes
氷男
The ice man
蟹
Crabs
螢
Firefly
偶然の旅人
Chance traveler
ハナレイ・ベイ
Hanalei Bay
どこであれそれが見つかりそうな場所で
Where I'm likely to find it
日々移動する腎臓のかたちをした石
The kidney-shaped stone that moves every day
品川猿
A Shinagawa monkey
書誌情報
読み仮名 | メクラヤナギトネムルオンナ |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 512ページ |
ISBN | 978-4-10-353424-2 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 2,090円 |
書評
村上春樹のユーモア感覚
以前から漠然と感じながらも、今まであまり真剣に考えてこなかったことだけれど、村上春樹の小説の魅力のひとつはそのユーモア感覚ではないだろうか。ちょうどヒッチコックのスリラー映画に控え目なユーモアがいつも漂っているように、村上氏の文章には独特のユーモアがいつも溢れていて、それが彼の小説の隠し味になってきたと思うのだ。
もちろん、村上氏は純文学(Serious Literature)の作家である。彼の作品には、現代人の孤独感や不条理感などが濃密に立ち込めていると思う。しかし、観客を怖がらせるには、ときにはユーモアも必要だと感じていた映画監督のように、村上氏もまた、シリアスな物語を語るにはちょっとしたユーモアが役に立つと考えているのではないかと思う。そういった調味料が料理をいっそう引き立てるのだと。
今回出版された短篇集『めくらやなぎと眠る女』でも、そのことをあらためて感じた。
だが、それについて書く前に、まずはこの作品を紹介しておこう。『めくらやなぎと眠る女』は、海外で独自に出版された英語版の傑作短篇集――1993年の『象の消滅』――の第二弾である。前作には収められなかった忘れがたい過去の作品や、1990年代から現在に至る期間に発表された多くの作品が収められている。もちろん、『東京奇譚集』の作品も入っているし、映画化で話題になった「トニー滝谷」や、後に長篇『スプートニクの恋人』に吸収された「人喰い猫」なども収められている。『神の子どもたちはみな踊る』の作品が収録されていないのはちょっと残念だが(海外では『After the Quake』というタイトルで単独で出版されているので、あえて収めなかったのだろう)、『象の消滅』とともに、村上氏の短篇世界の魅力を余すところなく伝える内容になっている。
さらに、これはボーナス・トラック(特典)とでも言うべきだろうが、この本には未発表の「蟹」という奇妙な味の作品も初収録されている。これは、『回転木馬のデッドヒート』に収められていた「野球場」という短篇から派生した作品。その短篇のなかで、語り手の作家は一人の青年から送られた短篇を読むのだけれど――ただしストーリーしか紹介されない――それをじっさいに物語の形に仕上げたものだ。短篇内短篇とも、過去の作品のスピンオフとも呼べそうな異色作であり、ファンには垂涎ものだろう。
さて、そんな『めくらやなぎと眠る女』でも、村上氏のユーモア感覚は、シリアスな作品をより引き立たせる妙味として機能していると思う。たとえば、「我らの時代のフォークロア」に出てくる、「ほとんど新品の男性用生殖器を身につけた我々……」という一節。この「ほとんど新品の男性用生殖器」という卓抜な表現は、十代の旺盛な性欲を醒めた目で表現していて、優等生カップルをめぐる悲喜劇にふさわしい滑稽な味を与えていると思う。(ちなみに、ここは英語版では、“our nearly brand-new genitals”と訳されている!)
また、最近の短篇の「ハナレイ・ベイ」。これは、ひとり息子を失った母親をめぐる痛切な物語なのだが、途中からアボット&コステロを思わせる長身とずんぐりの若者二人が出てきて、読者の気持ちを(おそらくはヒロインの気持ちをも)和らげてくれる。とくに、彼らの話すちょっと頭の悪そうなセリフ――「ほらね、そういうとこ、やっぱダンカイっすよ」(英語版でも、“That's it! You are a boomer!”とバカっぽく訳されている)――は、読む者を微笑ませずにはおかない。こういった愉快なキャラクターやセリフが、この痛切な物語をさらに胸に迫るものにしているのだ。
「我らの時代のフォークロア」には、「深い哀しみにはいつもいささかの滑稽さが含まれている」という印象的な一節が出てくるが、それはまさに村上氏が多くの短篇小説のなかで実践してきたことだと思う。そこを味わってほしい作品集だ。
(さいとう・えいじ アメリカ文学者)
波 2009年12月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
村上春樹
ムラカミ・ハルキ
1949年京都生れ。『風の歌を聴け』でデビュー。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』などの長編小説、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』などの短編小説集がある。『レイモンド・カーヴァー全集』、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』、ジェフ・ダイヤー『バット・ビューティフル』など訳書多数。