星夜航行 上巻
2,200円(税込)
発売日:2018/06/29
- 書籍
その男は決して屈しなかった。
人が一生に一度出会えるかどうかの大傑作。
徳川家に取り立てられるも、罪なくして徳川家を追われた沢瀬甚五郎は堺、薩摩、博多、呂宋の地を転々とする。海外交易の隆盛、秀吉の天下統一の激動の時代の波に飲まれ、やがて朝鮮出兵の暴挙が甚五郎の身にも襲いかかる。史料の中に埋もれていた実在の人物を掘り起こし、刊行までに九年の歳月を費やした著者最高傑作の誕生。
第一部
第二部
書誌情報
読み仮名 | セイヤコウコウ1 |
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装幀 | ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)/装幀、坤輿萬國全圖(写本着色)/カバー、星空写真提供 NASA/カバー、 北極至赤道圈中分一半見界總星圖『天経或問』/表紙 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 536ページ |
ISBN | 978-4-10-351941-6 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 歴史・時代小説 |
定価 | 2,200円 |
書評
激動する現代のアジアをも見通す祈り
叙事詩的な小説でありながら、リリシズム(叙情詩的な趣)の香りのする小説に出逢うことは滅多にあるものではない。歴史小説というジャンルでその滅多にない体験をしたのは、経済小説の草分けと言われた城山三郎の『黄金の日日』くらいだろうか。そして本書を読み進みながら、頭を掠めたのは、『黄金の日日』のことだった。
実際、本書にも、安土桃山時代にルソンに渡り、海外貿易を通じて巨万の富を築いた、和泉国堺の伝説的な豪商呂宋助左衛門(菜屋助左衛門)が登場する。
『黄金の日日』は、日本史上で人気が高く、今でもヒーローとしてもてはやされている太閤(豊臣)秀吉を悪役として描き、後の身分制では最も卑しいクラスに位置付けられる商人を主人公に激動の近世日本の断面を描き出した点で出色の歴史小説である。
それが、叙事詩的な体裁を取りながらも、随所にリリカルな香りを発散させているのは、主人公やその周辺の人々の情念や息遣いが見事に造形化されているからである。
『星夜航行』もまた、『黄金の日日』と同じように、叙事詩的でありながら、リリシズムの香りのする稀有な小説である。なぜそうなのか。
それは、何よりも主人公、沢瀬甚五郎によるところが大きい。史料に名を残す実在の人物でありながら、言うまでもなく、信長や秀吉、家康に較べたら、星屑のような輝きしか残さなかった人物かもしれない。
しかし、徳川家の「逆臣の遺児」として不遇の星のもとに生まれながら、戦国から天下統一、そして南蛮交易、「朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)と続く波乱の時代を、三河から堺、九州、ルソン、朝鮮と、数奇な運命とともに生き抜いた主人公には、信長や秀吉、家康にはないものがある。それは、『黄金の日日』の主人公にも通じるリリシズムである。
戦国・安土桃山時代、さらに幕末と、叙事詩的な英雄譚や偉人伝には事欠かない。しかし、それらの多くが、どこかで人間の陰影、その喜びや悲しみの深さを描けていないように思えてならないのは、主人公にリリカルなものが欠けているからではないだろうか。
『黄金の日日』の呂宋助左衛門と『星夜航行』の沢瀬甚五郎に共通するのは、彼らがスターダストの中の一つに過ぎないことを心得ていることである。
ただし、違いもある。助左衛門は、根っからの商人であるが、甚五郎は、喩えて言えば、藤沢周平の作品に出でくるような「武士」である。
その武士が、出奔し、流転の果てに秀吉の「朝鮮出兵」に巻き込まれ、
「この戦乱で最も苦しんでいるのは、衆生、下々の民である。この朝鮮でも、日本でも、恐らく明国でも、最も厄災をこうむるのは、いずこによらず民草なのだ」
この世が地獄であっても、いつかは観世音菩薩があらゆる国土にその姿を現すことになる。この願いこそ、主人公が流転の果てに得たものである。
それは、激動する現代の東アジアをも見通す祈りでもある。主人公の甚五郎が、征夷大将軍になっていた家康に謁見するシーンは、その祈りがただの夢ではないことを暗示しているようで、深く心を揺さぶる。
『星夜航行』は、『黄金の日日』を受け継ぎながら、さらにそれを超える不朽の名作として読み継がれていくに違いない。
(かん・さんじゅん 東京大学名誉教授)
波 2018年7月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
激動期の使命、人を人たらしめるもの
前々作『出星前夜』(大佛次郎賞)、前作『狗賓童子の島』(司馬遼太郎賞)から3年、最新作は家康、秀吉の登場する、いわば歴史小説の大舞台。主人公は権力に翻弄されながらも、決して屈しなかった徳川家の旧臣です。
鴎外の短篇から
――主人公の沢瀬甚五郎は実在の人物だそうですね。
飯嶋 森鴎外の短篇に徳川家の家臣が逐電し、二十数年後、ある重要な使者として駿府を訪れたというものがあり(「佐橋甚五郎」)、その存在を知りました。短篇の末尾に「此話は『續武家閑話』に據た」と書かれてあるものの、不明な点があったらしく、「異説を知つてゐる人があるなら(略)著者の許に投寄して貰ひたい」と鴎外は呼びかけていて、私は家康が男の正体を見破ったという記述に違和感を憶えた。この男は家康の嫡男三郎信康の小姓だったとあり、三郎信康と言えば、家康と敵対し、武田家と通じていた嫌疑を持たれ、家康の命で切腹しています。小姓の中には主の後を追った者や出奔した者が複数いて、散り散りになっています。家康は小姓衆の人相風体を見知っていたはずがなく、正体を見破ったのは三郎信康の小姓として苦楽をともにした者ではなかったか。「佐橋」は「さわせ」と読ませる史料もあり、家康の時代について書かれた『三州一向宗乱記』に「沢瀬」という家臣が出てきて、『寛政重修諸家譜』にも沢瀬家の記述があった。さらに使者との対面の場にはかつての小姓がひとり列席していたことも分かり、佐橋あるいは沢瀬甚五郎のことを調べていきました。
――三河を二分した一向宗乱のとき、父が家康に弓を引いたため、沢瀬甚五郎は逆臣の遺児として逼塞していましたが、馬を馴らす術や乗りこなす腕を買われ、徳川家に取り立てられます。甚五郎は祖父から剣術や槍術、砲術を叩き込まれ、初陣で武功を挙げる。しかし、恩ある者の相次ぐ死を受けて徳川家を離れます。
飯嶋 小姓はいわば首相秘書官や大臣官房のような幹部候補生で、甚五郎は家老クラスの将来が約束されていましたが、暗転します。秀吉の吏僚として結果的に朝鮮出兵を推し進めることになった小西行長についてもページを割いて書きましたが、彼は堺の商人の生まれながら、秀吉に見込まれ、一国一城の主に登り詰める。しかし行長にとってその栄達は良かったのかどうか。本能寺の変、天下統一、文禄慶長の役とつづく激動期のなかで、幹部候補生や一国一城の主も安穏として一生を過ごせる時代ではなくなっていました。
秀吉の野望、イントレランス
――当時は海外との交易が盛んになり、日本を取り巻く環境は変化し、甚五郎もその世界に身を投じていきます。
飯嶋 唐(中国)と天竺(印度)、それに日本で世界は成り立っていると、日本では考えられていたところ、南蛮人が渡来し、ヨーロッパと日本人は出会います。世界地図の修正に迫られ、キリスト教によって全く異なる世界観や人間観を知り、南蛮由来の鉄砲や大筒が戦の様相を変えていく。秀吉の明国討伐と朝鮮出兵は、戦国時代の終焉で武将の領土拡大の野心を海外へ向ける目的や、明国と朝鮮に対する秀吉の無知があったとされ、その通りだったと思いますが、世界が広がったことや海外交易も関係していたと見ています。明国の製品はポルトガル人を通じて日本へ運び込まれ、イエズス会を介して言い値で買わされ、売り上げはイエズス会の日本での活動資金になっていました。天下統一を成し遂げかけていた秀吉にすれば面白くなく、バテレン追放令を出してイエズス会を排除しようとするとポルトガルの交易船は日本を通り越してアカプルコへ向かい、交易は一時期、途絶える。ならば南蛮やイエズス会を通さず、兵を送って明国を押さえ、自分がアジアの盟主になればいいと秀吉は考えた。明国を征した後、寧波を隠居所にしようとしていて、寧波は一大商港で、明国征伐が海外交易を視野に入れたものだったことは間違いありません。ただ、秀吉が抱いたのは明国と朝鮮への大いなる誤解と自己中心的で傍迷惑きわまりない野望でしたが。
――行長や対馬の宗家らは朝鮮出兵を回避しようとしますが、その方策は国書を偽造し、事実を偽り、秀吉と民を欺く。なにやら昨今の官邸や財務省を見るようです。
飯嶋 この小説を書き始めたのは九年前で、書き上がったのは五年前、それから四年かけて校正していたから、森友や加計の問題は念頭に置きようもなかった(笑)。もっとも朝鮮出兵で甚五郎が孔子の「必ずや名を正さん」という言葉と逸話を思い起こしたように、秀吉の明国征伐の意図や目の前で起きていることはありのままを正確に伝え、語られなければ、対処法を間違えます。日本ばかりか朝鮮や明国も秀吉の意図を正視せず、事実を糊塗し、ねじ曲げ、朝鮮役は長期化し、泥沼に嵌まっていく。小説とは面白いもので、過去の世界に身を置け、人の死さえも体験できる。私のような凡人でも九年もこの小説にかかわっているうちに、あの時代とあの時代を生きた人々が見えてきました。書きながら意識していたのは1916年に公開されたグリフィス監督のサイレント映画「イントレランス」です。この映画は時代と場所の異なる四つのエピソードで構成され、ひとつは当時のアメリカを舞台にし、無実の青年に下された死刑判決、つづいてキリストの処刑、その次はバビロン帝国の滅亡、最後はフランスで起きたユグノー教徒の大虐殺となっています。タイトル通り不寛容と憎しみが尊い命を奪い、文明を葬り、民衆は塗炭の苦しみを味わう。この映画が暗示し、歴史上、繰り返されてきたことが、あの時代にもあって、いまなお起きているのではないでしょうか。
朝鮮役の最前線へ
――文字通り、国を捨てて戦う日本兵も現れます。
飯嶋 そういう兵がいたことは徳富蘇峰の『近世日本国民史』で知りました。忘れもしない1992年、駒込の古書店に五十冊揃いで売りに出ていて、そのうちの「朝鮮役」の三冊だけ欲しくて売ってくれないかとお願いしたら、ダメだと言われ、手持ちがなく、駅前のATMでお金を下ろして購入した。あのとき、『近世日本国民史』に出会わず、五十冊揃いを買ってなかったら、見過ごしていたかもしれません。朝鮮の青史『懲ヒ録』にもこの兵の奮闘が記されていました。
――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
――『星夜航行』という書名は沢瀬甚五郎の歩みを象徴するように気高く、美しい言葉ですね。
飯嶋 人は思い通りに生きてはいけないものですが、三河を去った後も沢瀬甚五郎は自身の特殊な技量ゆえに悲惨な思いをし、悲劇に見舞われる。星は雨や曇りの日には見えませんが、常に変わらない位置にあり、一定の動きを示すように甚五郎もおそらく、いかなる状況下でも自分の良心に恥じず忠実であろうとし、人格を保ち、自分の行ってきたことに後ろめたさはなかったのではないでしょうか。だからこそ四半世紀を経て、重要な使命を託され、家康の前に堂々と姿を現したのではないか。そのことは駿府を驚嘆させ、その名を史書の片隅に残したのだろうと思いました。『星夜航行』を通して沢瀬甚五郎の航海とこの時代を追体験していただけたら幸いです。
(いいじま・かずいち 作家)
波 2018年7月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
飯嶋和一
イイジマ・カズイチ
1952(昭和27)年、山形県生れ。1983年、『プロミスト・ランド』で小説現代新人賞、1988年、『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞を受賞しデビュー。2000(平成12)年、『始祖鳥記』で中山義秀文学賞、2008年、『出星前夜』で大佛次郎賞、2016年、『狗賓童子の島』で司馬遼太郎賞、2018年、『星夜航行』で舟橋聖一文学賞を受賞。ほかの著書に『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』『黄金旅風』がある。