しんせかい
1,760円(税込)
発売日:2016/10/31
- 書籍
身ひとつで【谷】へ飛び込んだ青年は、【先生】の生き様に何を学んだのか。文学界の異端者が描く、自らの原点! 第156回芥川賞受賞作。
19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いた先の【谷】では、俳優や脚本家志望の若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、地元の女性と同期の間で揺れ動く感情――。思い出すことの痛みと見向きあい書かれた表題作のほか、入塾試験前夜の不穏な内面を映し出す短篇を収録。
あの晩、実際に自殺をしたのかどうか
書誌情報
読み仮名 | シンセカイ |
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雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 168ページ |
ISBN | 978-4-10-350361-3 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,760円 |
書評
北海道にいた
僕は、山下澄人さんの書いたものを、すべて「震災小説」だと思って読んでいる。「震災」について一言も書いているわけでは無い、にもかかわらず、それでも彼の書くすべては「震災小説」だと。そしてそのことが、最もあらわになったのが、この「しんせかい」だとも。
山下さんが小説なるものを書き始めたのは、2011年の4月だという。あの大きな震災の約1か月後ということだ。北海道で書き始めたという。以後、すべての小説を彼は北海道で書いている。川崎に住んでるにもかかわらず、北海道でしか彼は書かない。書けないのかもしれない。この「しんせかい」も北海道で書いたという。冬の札幌で。雪が降る中で。
2011年の震災の、16年ほど前、1995年にやはり大きな震災があった。阪神淡路大震災である。95年の1月だった。当時、彼は生地である神戸に住んでいた。あの大きな地震の朝、彼の住む家は全壊した。
しかしその時、彼はそこにはいなかった。その時、彼の体は北海道にいた。札幌にいた。1月の寒い札幌にいた。
しばらくして神戸に帰った。彼は、彼の家を見た。彼の部屋の、寝ていた布団の上を見た。彼の姿は無かった。代わりに屋根が乗っていた。彼は屋根を見ていた。見ること以外のなにができたろう。
この年、もう一つ大きな事件が起こった。オウム真理教の事件である。1995年という年に、この二つの大きな事件が相次いだことは、2011年に震災と原発事故が連続して起こったことと、同じような強い衝撃を、日本で暮らす者に与えた。もちろんこの僕にも。
彼の小説を読んでいて、そのことを考えたことは今まで無かった。しかし、突然に確信したのだ。「しんせかい」を読んで確信したのだ。彼は、95年に起こったこの二つのことに、16年の歳月を経て、2011年の震災をきっかけに、そうとはわからぬやり方で、ずっと応答しているのだと。
「しんせかい」の中で、スミトは「谷」にいる。北海道にある具体的な場所だ。町だ。しかしスミトは町とは呼ばず「谷」と呼ぶ。地面が揺れると、人が突然、「じめん」と呼ぶように。彼はその「谷」で、神でも、グルでもない、只の人間を、「先生」と呼びながら、2年を過ごした。その時間のことを、今、スミトは静かに思い出している。震災の後で。
神戸なのに北海道にいた。布団の上には屋根があった。死んではいなかった。まだ生きていた。布団の前に立っていた。布団の上の屋根を見ていた。その時間を思い出している。
「厄災の当事者」とは誰だろう。どこにいるのだろう。当事者は、おろおろと、おずおずと、しかし逃れようもなく、その居所を受け入れるしかない。そのようにして立たされてしまった場所だ。運命と呼ばれる居所だ。
その場所で、ただ黙って見ているような、彼の居住まいを、受け入れを、ニヒリズムととる向きもあるだろう。諦観だと。しかし彼のこの受け入れは、諦観と呼ぶにはあまりに瑞々しい。なぜだろう。
彼が受け入れてる「運命」は、常に未知の「偶然」だからだ。布団の上の屋根のようだ。北海道にいた体のようだ。未知なのだから、彼はたえず世界のあらゆるに、驚きと、瑞々しさをもって触れていく。ことをする。
わかったようでいて、ひとつもわからない、生まれてきたら人間であったというこの運命の、この大厄災の、その真っただ中の当事者として、彼は「震災小説」を書いている。書くことで、ひとつひとつ、彼はその偶然の運命を受け入れていく。静かに肯定する。それが小説にできることだと。
抗うでもなく、つまらないと
北海道でしか書かないこと、それはただ、昆虫の生態のようなものかもしれない。その心理など測る必要はない。それが虫の生態ならば、虫の不思議を見ていよう。その虫は、そのようにして生きているのであり、そのようにしか生きられない。
「しんせかい」を書きあげた頃、彼は、もうひとつ連載を書いていた。先ごろ、「しんせかい」に先立ち出版された。僕はそれを本屋で見かけた。「壁抜けの谷」というタイトルだった。また「谷」だった。単行本の表紙は、その谷で、なにか草の葉の上で、交尾をしている2匹の昆虫の姿だった。
彼はそうやって応答を続けている。「せかい」へ。
(あめや・のりみず 演出家)
波 2016年11月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
世界を変えるために
何かが更新されて書かれている
保坂 僕は、山下さんが小説を書き始める前から、主宰の劇団「FICTION」の芝居も観てきたから、山下さんがやろうとしていることを一番理解しているのは僕だと思ってきたし、こうして話している今もその気持ちに変わりはないんだけど、最新作の『しんせかい』(新潮社刊)を読んだときは、「ああ、全然わかっていなかったな」と感じたんです。
でも、そう感じることはこの作品に限ったことではなくて、遡ればデビュー作『緑のさる』の時からその繰り返しでした。僕は『緑のさる』のいわゆる整合性がつかない箇所——関西人ではない人物が突然関西弁を話しだすようなところ——を山下さんに指摘したことがあったけど、後々、そんなことを気にすること自体にまったく意味がないと気づかされたんです。山下さんの小説には「こういう小説は二、三作書いたら終わりじゃないか」と感じさせるところがあるのに、現実にはこうして次々と、しかも毎回何か、その何かは全然わからないんだけど、何かが更新されて書かれていることに、今回もあらためて驚きました。
山下 ありがとうございます。2008年に保坂さんに初めて観ていただいた芝居のタイトルも、『しんせかい』でしたね。小説とはまったく違う内容でしたし、同じタイトルにしたことに特に意図はありませんが。
保坂 山下さんは二十年ほど前に劇団を立ち上げて以来、三十本以上の芝居を作っていますが、芝居のタイトルをそのまま小説にあてた作品は、他にも「トゥンブクトゥ」や「ディンドンガー」など、いくつかありますね。小説には作品の中身がわかるタイトルをつけるのが一般的だけど、そもそも山下さんの小説に「説明がつく」ということはなくて、僕が山下さんのタイトルからいつも受け取っているのは、その意味ではなく、大きさなんです。「あ、そっちを見ているのか」という感じ。
『しんせかい』は、山下さんが十九歳の頃に倉本聰の演劇塾「富良野塾」で過ごした記憶をもとにしているわけだけど、富良野で過ごしたのは、もう三十年も前のことですね?
山下 ええ。1985年からの二年間で、随分昔のことですから、いざ書こうとしても、ほとんど何も思い出せなかったんです。頑張って思い出そうと、覚えていることを書き出してみたりもしましたが、「え! これだけしかないんや……」と、自分でも驚くくらいの少なさでした。だから、ここに書かれていることは「当時を思い出して」というよりも、「ほぼ捏造した」と言ったほうが良いかもしれません。
保坂 僕は昨日、ある大学のキャンパスに行きましたが、それは四十二年ぶりのことだったんです。最寄駅からの道を『しんせかい』のことを考えながら歩いていたら、駅の改札を出るとすぐに大学の正門があったと思ってたり、校舎がわりと平らだと思ってたり、向こう側に東京タワーが見えるというのを全然忘れてたり、……まったく覚えていないものだなって感じていたところです。
山下 一方で僕は、保坂さんの新しい短篇集『地鳴き、小鳥みたいな』(講談社刊)を読みながら考えていたんです。この本に収録された「キース・リチャーズはすごい」で、サザン・オールスターズを聴いた主人公のなかに鎌倉で暮らした子供時代の記憶が押し寄せてきたのと同じように、僕にも「富良野」と聞けばワッと思い出す「気分」のようなものがあります。だけどそれを追いかけても具体的な出来事というものはほとんど見つからなかったな、と。先日も、富良野で一緒に生活していた人が『しんせかい』を読んで「そういえばあの時にこんなことしたよね?」って連絡をくれましたが、「それは僕じゃないのでは?」という感じで、自分の記憶のなさに未だに愕然としています。
全体図の外側へ
保坂 『しんせかい』で主人公・スミトの訪れた【谷】は、富良野塾とは明記されていないし、そこで出会う【先生】についても、倉本聰さんの実名は出てこない。山下さんのプロフィールを知る読者なら、そこを置き換えながら読むかたちになるんだけど、こうして【先生】の名前を伏せたことや、【先生】から受けた授業についてはあまり書かれていないこと——ここからは、山下さんが授業を重んじてはいない、あるいは【先生】を尊敬していないと受け取ることもできるんだけど、どうですか。
山下 ええと……そのように読めますか?
保坂 少なくとも当時、役者になりたいという明確な意思を持っていなかったスミトは、何も知らないまま【谷】に来て、彼にとっては全くわけのわからない一年を過ごした。しかし現実には、こうして「山下澄人」という一人の役者ができあがった。だからこの小説の作者は、授業で何を教わったかよりも、かつては脚本を書く気もなかった人間が、いずれは脚本を書き、演出もやって、やがて小説まで書くようになったというバックグラウンドを書くことの方に意味があると考えていたと思うんです。
山下 倉本さんに抱く感情というのは、一言ではなかなか表しにくいものですが――、僕はたぶん、富良野を出る時には「俳優になろう」「これから頑張っていこう」と思ったはずです。でも、そういうことは書いてないんです。そしてその必要はないとも思いました。では何を書こうとしたのかといえば、それはやっぱり、自分がこの場所で見ていたものなんです。だから、感情のようなものは――そこは覚えていないということもありますけども、書いている間はまったく頭になかったです。
保坂 この【谷】では二十人くらいの塾生たちが共同生活をしているけれど、僕はこの小説を二回読んでも、一人一人が一体どういう人なのかがほとんどわからなかったんです。掴めたのはスミトが仲良くなった女性・けいこと、わりと関わりのあった一期生リーダー・藤田の二人くらいで、なにしろ最も印象に残ったのが、近所の農家のじいさん(笑)。塾生でもない進藤じいさんが、僕は一番面白かった。
スミトはどうやら、ここに集まっている人たちからできるだけ距離をとろうとしていて、人じゃなく馬と仲良くなってる姿からは、彼はまだ芝居の世界のことを何も知らないけど、「ここでこうしていてもダメだ」と感じていたことは読者に伝わっているんです。馬の世話――つまり彼の考える、この場所で一番ここらしいこと――を選んだスミトが身体の最も深いところで考えていたことは、自然と出てしまっている。書き手にはそのつもりがなくてもね。
山下 まあ……、僕にとっては授業で何を教わったかよりも、そこにカラスがいっぱいいたことや、馬小屋を建てる前に馬がやってきたこととかのほうがずっと大きいんですよね。
保坂 たとえば玉ねぎの苗を植えながら、はじめは遠くに四、五人に見えていた日雇いのおばさんたちの声が次第に分厚くなってきて、ふと顔を上げたら実際には二十人近くもいたと知って驚く――という時が、スミトが初めて北海道の広さを本当にわかった瞬間だったり。
山下 ええ、ええ。だから今でも「富良野塾」と聞いて僕のなかにパッと浮かんでくるのは、そうした風景でしかないんです。僕がもう少し賢かったら、芝居の授業で真面目にノートをとったり、積極的に何かを提案したりしたのかもしれませんが、ただ違和感だけを抱えて、「どうしたら良いんだろう」と思っていました。そういうところはもしかすると当時に限らず、今も続いているかもしれないんですけど。
保坂 僕がこの小説を読んで最初に良いと感じたのは、この演劇塾らしき【谷】の全貌がよくわからないところでした。普通はまず、ここにこういうものが置かれていたという全体の見取り図を頭のなかに作って空間的なイメージを構築したり、年表を作るなどして時間的にも整理をしてから書き始めるほうがわかりやすいものになるんだけど、山下さんはそうしていない。
山下 今考えると、この【谷】の広さがどれくらいなのかや、北はこっちで南はあっちと、方角を書きこむこともできたはずなんです。でも、そこに居た当時の僕はそれらをわかっていないから、やっぱり「左に山が」と書いてしまって、読者には全体図が掴めない。だけど、あらかじめ俯瞰図を描いてしまったら、その外側にいけなくなる感じがあったんです。
保坂 これは偶然だけど、僕も「地鳴き、小鳥みたいな」(短篇集表題作)を書きながら同じようなことを考えてました。主人公は子供時代に暮らした甲府盆地を訪ねるんだけど、どっちに行けば駿河湾があって、富士川はどっちに向かって流れているかなんて、当時の僕はわかってなかった。でも、書いている今はそれらを知ってしまっているから、その「重ならなさ」がある種の苦痛となって迫ってきたんです。
だけど、そこを苦痛と感じるか否かに、一応はそれなりのトレーニングを積んでしまった僕と山下さんの違いがあって、山下さんのそうした「天然」とも言える書き方の強さが、僕はとても貴重だと思っています。だからこそ、何もわからないままに【谷】を訪れた十九歳の山下澄人が、そこで何を見て何をしたかが書けた、と。
山下 そんなふうに受け取っていただけると嬉しいです。
保坂 過去を書くことは難しいんです。たとえば僕の友人は「保坂は昔から小説家になって芥川賞を獲るって言ってた」って言う。たしかに僕はそう言ってたんだけど、でも本当は「言ってはいない」んです。
山下 そのニュアンス、凄くよくわかります。
保坂 子供が「立派な大人になりたい」と言っても「立派な大人」がどんなものかすら知らないのと同じで、十九や二十歳の子供がそういうことを言っても、それは何かを言ったことにならない。だけど「昔から言ってた」と聞くと、まるで今日までがそのために生きてきたかのように感じられるというか、文章に書くと、なおさらそういうことに収まってしまう。
だから「保坂さんはこれまでに小説についてどんな勉強をしてきましたか?」と聞かれても、僕は文章を練習したり、小説を沢山読んだわけではないから、音楽はこれを聞いて、夜はだいたい酒を飲んで、猫の世話をして……って普段していることを答えるしかないんです。それが今の自分を作っているわけだから。人生は何か目標を立ててクリアするものだと思っている人が多いけど、それは間違っているんですよね。
山下 僕が何故、保坂さんの小説を爽快に感じるのかが、今はっきりとわかりました。『地鳴き、小鳥みたいな』の「私」は音楽を聞いたり、猫を看たり、誰かと旅をしながら暮らしているけれど……何をしてたのか? って後から考えると一言じゃ言えない。そのときに見たもの、見えたから頭の中を駆け巡ったことを書くだけと言うと、とても簡単なことのように聞こえるかもしれないけれど、そうではない。
そうやってただ過ごしていた時間が今の自分を作っていたり、ときに励ましてもいたりすること――そこがどう繋がっているのかを説明せよと言われたら面倒だけど、僕も、そういう繋がりが、とても面白いことだと思っているんです。
「天然」の強度を維持して書く
保坂 ところで『しんせかい』では突然、空から【谷】を見下ろす鳥の視点に変わるところがあるでしょう? こういう書き方は、たいてい小説ではルール違反だから良くないと言われるんだけど、映画なら普通のことです。そしてその光景は、読んだ全員が理解できる。読んでわかるなら、やって良いことや悪いことなんて無いと僕は思う。
山下 その光景が、まるで映画みたいに僕に見えているわけではないけど、普通に書き続けていると飽きてくるんです。だからペコッて出てきてしまうんです。
保坂 冒頭の、スミトが富良野に船で渡るところは、〈船が動き出した。いやまだ動いていない〉。それから小説の結びでも、〈満月に見える。少し欠けているようにも見えた。月など出ていなかったかもしれない。夜ですらなかったかもしれない〉――どちらも書いてすぐに否定をしているけど、ここは「どういうこと?」って作家に問うところではないんだよね。それはもう、「あなたがそこが気になるのだったら、あなたはずっとそこを気にしてなさい」としか返しようがない(笑)。
山下 何というか……、「船が動き出した」って書くと「ああもう、なんか嘘くさい」って感じてしまうんです。
保坂 わかる(笑)。それから、富良野に到着したばかりの二期生たちが互いの呼び名を決める場面では、〈(その呼び名は)大変に呼びにくいが慣れれば普通にいえた〉とか、〈(この二人は)以降まさに犬猿の仲となるのだけど〉と、随分先のことも書いてしまっているんです。つまり、作者はそこには興味がなくて、このあたりのことをのちに膨らませるつもりもないというその関心のあり方を、無意識にも先に語ってしまっている。こういうところも書き方としてあまり良くないという人がいるかもしれないけど、それを問うことには何の意味もない。
僕はやっぱり、山下さんが小説を書くときにとるこうした態度というのは、「小説とはこうだ」と考えられている世界のなかでそれを上手くやることよりも、自分が見ているもの、考えている何かをかたちにするために何でもやる、っていうことだと思うんです。授業で何を教わったかを書かなかったことにも表れていると思うけど、山下さんや僕は、ある枠のなかで、たとえば良くできたものを見習って、上手くなろうとするタイプではない。
山下 でも僕は、その枠組みをわからないままに書いているだけで、だから「こんなふうに書いて良いのかな?」と考えた時期もありましたけど、保坂さんの小説を読むと「あ、良いんだ」と思えるから書けてるんです。
保坂 前を行く人が枠を壊すと、次の人はその手間が省けて楽になるかというとそうじゃないから、枠を壊すことは必ずしも良いことではない。でも、山下さんのようにまっさらで、「天然」の強度を維持して書く人が出てきたことを考えると、やっぱり壊して良かったなって思いますね。
山下 たしかに僕は「天然」ですね。そうやって外してもらった枠のなかで自由に走り回っているだけ。
保坂 「天然」じゃなくて「天然の強度の維持」なんだよね。山下さんは演劇でも、素人に参加させるじゃない? 普通は役にイメージがあって、役者はそれに合うかたちに演技を仕立てていくけど、山下さんは台詞を覚えられない人もそのまま舞台に上げて、隅にただ立たせておいたりする。その人をありのまま、そこに出す。
だから「そのまんまで行く」というのが山下さんの演劇であり、小説なんです。『ギッちょん』や『壁抜けの谷』を普通の小説と同じように理解しようとしたら、複数の人物や場面の整合性を問い始めて大混乱を起こしてしまうから、やっぱり整理はしちゃいけない。っていうより、書いてある順にそのまま読む。だって誰かと一晩酒を飲んで語り明かしたとして、そこで話したことなんて後からまとめないでしょ。面白かったか退屈だったかのどちらかが残るだけで。
僕の『朝露通信』も、舞台が山梨や鎌倉、あるいは現在と過去とひっきりなしに飛ぶけど、検事をやっているような友達が読むと「これは難しいな、実験小説だ」って言うんです(笑)。でも、同級生のお母さん、その人はもう八十歳を過ぎてるんだけど、「すごく楽しかった」って。彼女は小説に時間軸や因果関係がなければならないとは思っていないからそのまま読める。少しでも「こうあるべき」という頭があると、途端に難しいものになってしまうんですよね。
山下 何が書かれているのかを掴もうとする小説の読み方もあるとは思うけど、たとえば『地鳴き、小鳥みたいな』は、ここに書かれていないことが書かれているとしか言いようがないですよね。保坂さんはおそらく、ここに書かれていないことを書くために、この小説を書いたはずで。
保坂さんの小説は、読み終えたあとに「そうそう、僕が言いたかったことも、これ」という確かな感触が残るんです。それで今は、保坂さんが書いたことなのか僕が考えたことなのかわからないことが沢山あって、初めの頃はそれを厳密に分けようと努めたけど、「もう、どっちでもいいや」って(笑)。
保坂 そこは僕も同じ。一人で考えているわけではなくて、むしろ一人で考えることにはあまり意味がないとも思ってるんです。たとえば僕には哲学者の樫村晴香という存在があり、彼が示す方角を見てわかったことや、彼の見せた土地があるからできることがある。
山下 なるほど。僕が『地鳴き、小鳥みたいな』を読んだときに感じた「ああ、一人じゃないんだ」という幸福感は、そういうところから来ているのかもしれません。最近、自分の考えが僕個人が考えていることという感じがしなくて、頭の上になにか層のようなものがあって、そこに時々、頭がちょこちょこと当たっているんだけど、その先にはもう何百年、何千年という層が続いていて……みたいなことを感じるときがあるんです。
ボブ・サップと小島信夫
山下 十年前に、総合格闘家のボブ・サップっていましたよね? 彼はいわゆる「ど素人」なのに身体能力が半端なくて、登場するなり、どんなスーパーチャンピオンも棍棒で殴られたみたいに倒されてしまった。だけどあるときを境にボブ・サップは負け始めて、それがいつかと言えば技術を覚え始めた時なんです。だから僕には、「彼と同じになってしまうぞ」という恐怖心も常にあって、「馬鹿を維持しないと」っていう気持ちが少なからずある。それはそれで、ちょっと大変なことなんですけれども……。
保坂 それは小島信夫に通じるかもしれない。彼は「馬鹿」を維持した。変な人であることを矯正せずに押し通したんです。
ただ、人間には勉強をして優秀になる人ともともと地頭が良い人の二種類がいて、『しんせかい』のスミトには後者のものがある。たとえば芝居の授業では、台詞の「間」をとることを容易く覚えて、褒められて喜んだりもするんだけど、すぐに飽きちゃう。
山下 それは富良野で実際にあったことで、「間」をとるために数を数えただけなのに「お、良いね」と言われて、そこにちょっとバリエーションをつけたらもっと褒められて、「ああ、もうすごく簡単だな」って思ってしまった。そういうことがすぐに新鮮なものではなくなって、だけど自分が面白いと思わなくなるのと同時に、周りからも「面白くない」って言われ始めたのは、小説を書き始めた頃の感じともよく似ています。
保坂 一方でスミトは、はじめは何とも思っていなかった【先生】のことを知れば知るほど畏れるようになっていく。そして【先生】のメソッドで育つような俳優にはならなくて、むしろ【先生】が見れば「何だ? これ」というような芝居をするようになった。
山下 だから授業を真に受けていた最初の頃よりも、そのあとに続いた時間のほうが今に直結していると思うんですけど……と言葉にしていくと、僕は倉本さんを尊敬していないのかな? 嫌いではないし、むしろ、好きなんですけど。
保坂 いや、その感じはわかる。俺にとってはその対象が小島信夫で、彼が最も偉大な存在だけど、「尊敬しているか?」と聞かれたらそうじゃない。そもそも人が「尊敬」していると思っている相手の言葉に一生懸命耳を傾けていたとしても、大体の人はそれを自分にとって都合の良いかたちに解釈して、逆に消化しないまま持ち続けているということができないんじゃないかとも思うんです。
山下 単純に、そういう対象がいると便利なのかもしれませんね。表面上、言われることをただ聞いていれば良いから。
保坂 だけどスミトは、【先生】が自分を褒めていたことを人伝に知って、それを故郷の友人に葉書で知らせてもいるんです。そして、のちに「人に褒められたのははじめてだった」と小説に書いてもいる。初めてなら、それはとっても嬉しいものだったんだろうね。なにしろスミトは、褒められにくい人間なんだから(笑)。
山下 だってそれまでは本当に、人に褒められることなんてなかったし、排除されたり、理不尽な暴力を受けることがほとんどで、ごくたまに僕の機嫌を取るために褒められるようなことというのはありましたけど、そうじゃないかたちで褒められる体験は、これが初めてだったんです。だから僕が今こうして続けていられるのも、そのときの喜びに背中を押されてのことだと思ってて、そこは疑っていないんです。だから、倉本さんのことは……。
保坂 うん。そこから先は、この小説を読めばわかる。スミトが、自分の何気なく言った言葉が【先生】を「怒らせた」のではなく「傷つけた」と気づいてから和解に至るまでの場面が、僕はすごく見事だと思った。山下澄人はこんなこともできるのかって。エピソードとしては短いのに、スミトが【先生】を大事な人だと思っていることがよく表れている。
山下 そう、倉本さんに対する気持ちって、それなんです。「怒らせてしまった!」というよりも「傷つけてしまった」「ああ、申し訳ないことをしてしまった」の繰り返しです。
世界と人間の関わり方を変えたい
保坂 山下さんの小説には、人物の表情やしぐさ——脚本で言えばト書きにあたるもの——が描かれてないけど、それらがどうして読む人に伝わるかは、山下さんの朗読を聞くと良くわかる。たぶん、そこには芝居の訓練が生きていて、本当に面白くて、飽きない。そしてそれは、山下さんが小説を書くときの呼吸そのものでもあるんです。
山下 小説を書き始めたばかりの頃、「演劇的ですね」との感想をもらっても、どこがそうなのかがさっぱりわからなかったんです。でも、自分の小説を初めて朗読した時に、俳優をやっていたことと小説を書くことはここで繋がっているのかも? と感じたことはありました。
保坂 僕が前作『壁抜けの谷』を読んだ時にはもう、朗読を聴かなくても、途中から山下澄人独特のイントネーションも含んだ語りが頭の中に流れ始めたんですよ。そうすると、こういうふうに書いたら、普通は意味が掴めないと思うところも、自然に意味が伝わってきた。
たとえば、スミトは役者を目指す塾生たちの前で「ブルース・リー」と答えて笑われるんだけど、僕にはもう「ブルース↘リー↗」と言った抑揚が聞こえている。
山下 そういうこと! これまでは「よくわからない」と言われても、どこがわからないのかがわからないという感じだったんです。では、読み聞かせたら全部をわかってもらえるんですね。
保坂 山下さんのに限らず、小説にはそういうことがあるんです。僕の小説も、一部の読者からは「静かな小説」と言われたり、「保坂さんは思慮深くて物静かで、小説を書く前には毎日、家の中をきちんと整理をしてから始めるんでしょう?」って勝手な想像をされたこともあったんだけど(笑)、そういう人たちには読めていないんです。たしかに人を殴ったり殺したりはしないけど、本当はものすごく騒がしい小説であり騒がしくて落ち着きがない人だ、ってことが。
僕の妻は『源氏物語』を古典の高校教師が京都弁のイントネーションで朗読するのを聴いたら、するっと理解ができたらしいんです。だから書き手には耳で聞けばわかるように文章を書く人とそうではない人がいて、でも小説を論じるときにそういうことはほとんど問題にされないでしょう?
山下 そうですよね。
保坂 僕は一つ、山下さんと出会って話をするうちに、すごく反省したことがあるんです。ブルース・リーの映画が初めて日本で公開されたとき、僕は高校生で、仲間の五、六人で観に行ったんです。ふだん映画を観ないタイプの奴らは、映画館を出た後「アチョー!」って盛り上がってたけど、僕は「すごくつまらなかった」と思ってた。以来、ブルース・リーの映画に対する印象は変わらなかったんだけど……。
山下 そうそう、保坂さんが「あれは映画としてどうよ」と話すのを初めて聞いた時は驚きました。「保坂和志たるもの、なんちゅうことを言うのや!」と(笑)。
ブリース・リーは、彼をよく知らない人からはアクション俳優だと思われているけれど、本質的には武術を通した思想家なんです。彼にとって映画は手段にすぎなくて、自分の動きそのものを見せたいがために映画を作っているから、主眼を置くのはアクションシーンだけで、筋はどうでも良いものだったんです。
保坂 そう。だから、彼の映画を筋で見ていて、身体の動きそのものに目を奪われることがなかった自分はダメだって(笑)。
山下 面白いのは、撮影が難しいアクションシーンは普通はカットを入れながら撮るけど、彼の場合は全篇ではもちろんないですが、基本的に固定カメラで通しで撮っていることです。すべては流れのなかの動きだから、割ったら駄目。というか割らずに撮れた。それがものすごいことなんですが。だから僕は小説や音楽も、すべてそうだと思っていて……。
保坂 山下さんの小説もそうだね。線を引いたりメモをとったりせずに、ワーッと一気に読むのが一番面白い。
山下 『地鳴き、小鳥みたいな』を読んでいて、保坂さんにとっての特別なギタリスト、デレク・ベイリー、あるいは音楽って、僕にとっての何に置き換えられるだろう? と考えたんです。音楽には詳しくないけど、でもそれはもしかしたらブルース・リーないし格闘技ではないかと思ったんです。身体を使って行われる何か。
『しんせかい』のスミトは、ブルース・リーになりたいと思って【谷】に行きましたけど、そこには演劇の「え」の字もなくて、傍から見たらただの馬鹿だと思います。【谷】には大学できちんと演劇を学んでからやってくる人たちもいるなかで、僕がそれまでにしてきたことといったら柔道だったり、空手だったり。でも、そもそもの始まりが「ブルース・リーになりたい」ですから、僕にとっては演劇をやることも、小説を書くことも、あまり違いがないんです。だって、やりたかったことは、映画のなかでヌンチャクを振り回すようなことだから。
保坂 そう。目指しているものはもっとずっと遠くにあるんだよね。枠を外すとか、流れを割ってはいけないとかって、本当はどうだっていいことなんです。上手く書こうだとか、褒められたいとか賞をとるとか、そんな小さいことのために書いているわけではなくて、言葉と人間の関わり方を変えたい。そして世界と人間の関わり方を変えたい。つまり世界を変えるために書く。
山下 そうですね。世界を変えるために書く――、そこに繋がるような考え方がなかったら、僕は小説なんか絶対に書いていません。目先の利益のために動けるほど僕は勤勉ではない。小説を書くことが目的じゃなく、小説でやりたいことがあるから書いている。それがちょっと雲をつかむようなことだからこそ頑張ろうと思えるし、保坂さんのように同じ気持ちで書いている人がいることは僕にとって大きな希望で、だからこの先一文無しになったとしても、「ま、いいや」と思えるんです(笑)。そういう瞬間の、「ヒュッと風が吹く」ような気分というのは僕にとって何物にも代え難いんです。
保坂 ボブ・ディランが『風に吹かれて』を発表したときに、欧米人は「The answer is blowin’ in the wind」が何のことやらわからなかったらしいんです。でも、僕たちはわかるじゃん? そうだって思うじゃん? だけど、わからなくなっちゃった人たちも多い。小説を読むぞ、芝居を観に行くぞ、って改まれば改まるほど、そういうことがわからなくなるんです。
(2016・10・14)
(ほさか・かずし 作家)
(やました・すみと 作家・劇団FICTION主宰)
新潮 2017年1月号より
単行本刊行時掲載
山下澄人『しんせかい』朗読
冒頭朗読
第3章朗読
イベント/書店情報
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著者プロフィール
山下澄人
ヤマシタ・スミト
1966年、神戸市生まれ。富良野塾二期生。劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞、2017年『しんせかい』で芥川賞を受賞。著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『君たちはしかし再び来い』『おれに聞くの? 異端文学者による人生相談』など。