沈むフランシス
1,540円(税込)
発売日:2013/09/30
- 書籍
- 電子書籍あり
森をつらぬいて流れる川は、どこから来てどこへ向かうのか──。
北海道の小さな村を郵便配達車でめぐる女。川のほとりの木造家屋に「フランシス」とともに暮らす男。小麦畑を撫でる風、結晶のまま落ちてくる雪、凍土の下を流れる水、黒曜石に刻まれた太古の記憶、からだをふれあうことでしかもたらされない安息と畏れ。――五官のすべてがひらかれてゆくような深く鮮やかな恋愛小説。
書誌情報
読み仮名 | シズムフランシス |
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雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-332812-4 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,232円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/03/14 |
書評
精巧なロマンチシズム
この小説の大きな魅力の一つは、北海道の四季の美しさである。
「牧場を覆う星は、見たことのないほどの数でひしめいていた。世界全体を圧するような耳を聾するおおきな音が天から舞い降りてくる光景を、黙ってひとりで見ているような錯覚に桂子はとらわれた」
簡潔で油断のない文章で描かれる春も夏も秋も、とりわけ冬の世界はすばらしい。
桂子は三十五歳である。東京での会社勤めと男との暮しを片付けて北海道へやって来た。中学のころ父親の仕事の都合で三年間北海道にいたことがある。
「アイヌ語の響きを残す地名が、桂子には泣きたくなるほどなつかしかった。(略)幌加内、音威子府、苫小牧、占冠、馬主来、阿寒、佐呂間、真狩」
とはいえ中学時代の友人知人に会いたいというのではない、地名は異郷の表象で、いまの生活を捨てたい、脱出したいという「泣きたくなるほど」の衝動が求めたドアのハンドルである。しかし、桂子はそのドアをすぐあけたりはしない。かつていた町から四十キロほど離れた町に非正規雇用の郵便局員の職を見つけ、東京で十三年勤めた会社に礼を失することなく辞し、それから漸く新しい土地に踏み出すのである。荒々しいところは少しもない。しかし、今までの給料に比べれば何分の一しかない配達業務である。
「東京で出会うのはほとんどがゆきずりの視線だ。ところがここではすべての視線に名札がついている。昨日の視線には、明日も明後日も出会う可能性がある。二度と出会わない、などということはまずありえない」
それにわずらわしさではなく、生きている手応えを感じるのは、それまでの都会の生活がどのようなものであったかを語っている。配達先の老人から目が悪くなって手紙を貰っても読めない、読んでくれないかと頼まれる。読んでやる。「あんたは読むのがうまい」といわれる。家々の前で停車してはエンジンをとめ、川の音や木々の葉ずれの音を聞き、郵便物が箱に落ちる音に喜びを感じる。
これはもう都会で生きる人の多くの頭をよぎる夢想の実現で、決して見せびらかすようにではないが、ほとんど官能的と呼びたくなるような魅力をたたえて自然や人々が語られる。
「安地内村は早くもすでに秋だった。赤や黄色に変った葉の匂い、早朝に見る吐く息の白さは、生きることよりも死ぬことを近しく感じさせる。冬に向かう秋が、桂子は好きだった」
その桂子は「いい女」である。たぶん作者がこのような知性、感性、脅えと強さを持っている人を好きなのだと思う。それを体現している都会の女が北国の小さな村で一人暮しをはじめる。となれば、ここに「いい男」が現われなければならない。それも作者がこれが一番と思う男でなければならない。腕力の強い流れ者などというのではぶちこわしである。
和彦が現われる。はじめは得体が知れない。無論そうでなければならない。
それから彼の熱中していることの一つがさらりと開示される。招き入れられた和彦の室内には高度なオーディオ機器が納まり「女の趣味はひとつも見当たらない」。そこで和彦が傾注しているのは、趣味の一つの極北というようなものなのである。といっても性愛に類することではない。いや、軽く横すべり出来るものともいえるが――というぐらいにしておこう。
そして、恋がはじまる。その恋のあれこれも無論この小説の楽しみである。行きずりの目ではない目があちこちにある。それを避けながらの逢う時を捜す味も都会からは失われたものの一つかもしれない。
沈むフランシス? この話でどうフランシスが出てくるのだ、と思う人がいるだろう。
そう。それがこの作品をただの恋物語にさせない大きな柱である。しかし、これも具体的にここであかさない方がいいだろう。決して幻想とか異物というようなものではない。むしろとても具体的で、だがそのまま詩でもあるというようなフランシス――。
村に似合わない洗練された男女の恋は、いわばロマンチシズムに流れて個人的閉鎖的に流れがちだが、ここでは外にひらかれている。公共にひらかれているのである。桂子は郵便局で、和彦はフランシスで。
ある深夜、村の灯りが一斉に消えてしまう。その時二人はどうしていたか。美しいラストである。とても先回りして私が書く気になれない。
(やまだ・たいち 脚本家・作家)
波 2013年10月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
感覚をことばで表現すること
――読売文学賞を受賞なさったデビュー作『火山のふもとで』は長野県の浅間山麓が舞台でした。『沈むフランシス』では北海道東部の湧別川のほとりを描かれていますね。
小学生のときから北海道が好きで、北海道の輪郭を一筆書きで描くのが得意でした。原野があって、乾いた雪が降って、ヒグマもいて、エゾシカもいて、サケもいて……こう並べるとあまりにイメージが貧困ですね(笑)。空気感も景色も、ちょっと日本離れしているし、北海道にもいろんな人がいると思いますけれど、どこか大陸的というか、鷹揚というか、沖縄の人に似たやわらかさを感じます。
――主人公は、東京での仕事を辞めて、中学時代に父の転勤で暮らしていたこの地方にもどってきた三十代半ばの女性です。
今回は女性を主人公にしたかったんです。総合職として働いていた女性がなんらかのなりゆきでドロップアウトする。そのあとをついていくようにして書いていきました。働く男のストレスは、待遇や肩書きであっけなく解消することがありそうですが、女性はあきらかにもっと複雑です。男の悩みはあまり文学的ではない(笑)。
――非正規雇用の郵便局員になったこの桂子という女性は、村のすみずみを郵便配達車でまわるうち、川のほとりの木造家屋に暮らす和彦という男に出会います。この男がなぜこんなところに住んでいるのか、最初はわからない。この世にあるさまざまな音がここで描かれ、和彦の複雑さを暗示します。
生の音ではない録音された音、というものを初めて意識したのは、1960年代の家具調ステレオの付録の試聴用レコードでした。お祭りの音とか機関車の音が左から右へ動く。スピーカーの向こうに世界があるようで、子ども心に驚いた。人間が世界とつながる方法はいろいろある――と言葉で思ったわけではありませんが、いま思えばそういうことでしょうか。
――『火山のふもとで』では、建築物の描写が本当に見事でしたが、今回は、音をことばでどう伝えるかが試みられているように感じます。蒸気機関車がやってきて走り去る音、アラスカの氷河、シカゴの老舗ホテルのレセプション……ありありとその場所と空間が立ち上がってくるのに驚きました。
空調のあるビルのなかにいると、下界の音はもちろん、匂いも湿度も温度の変化も気づかないまま一日が過ぎてしまう。人間の五官は、必要があって備わっているものです。あまり使わないでいると、忘れてしまう。なまなましい感覚を言葉で表現できないか、最初から最後までずっと考えていました。
――出会った当初、正体不明だった和彦は、むろん高等遊民などではなく、川べりのある施設の管理人をしています。
グライダーとか、凧とか、犬ぞりとか、チャイニーズ・ランタンとか、自然の力を利用して動かすものに興味があります。夜間警備とか、マンションの管理人とか、ひとりで淡々とこなす仕事も好きなんです。和彦はあまり他人と接することなく暮らしていたいと思うようになった男ですから、人家から離れた場所でのこういう仕事が向いていると思いました。
――この二人が出会って恋愛が始まるのですが、始まり方がやや唐突で、そのぎくしゃくした感じがとても面白いですね。
恋愛はつねにぎくしゃくするものじゃないですか? だから恋愛には言葉が邪魔だというピエール・ド・マンディアルグの『海の百合』みたいな小説もある。ふたりとも三十代だし、人を深いところで動かす感覚をこそ描きたかったので、恋愛のかけひきを思い切ってショートカットしてみました。
――自然描写がすばらしいです。とくに初雪が降り、根雪になって、すべてが白く覆われ、やがて永遠と思われた冬が終わるまで。北海道のむきだしの自然が肌に迫る感じがします。もうひとつ印象的なのは桂子と和彦のセックスシーンでした。
五官を総動員する行為の、最たるものですから。
――桂子に示唆を与える老人たちも魅力的ですね。
それは、書き手自身の志向ですね。長年生きてきた人の話はどうしたっておもしろい。言葉も、長年をかけて、五官によって鍛えられてゆく部分があるはずです。
――装幀の犬の写真、意外に思う読者がいるかもしれません。
小畑雄嗣さんの写真集『二月』からお借りしたのですが、小説のなかで描いた犬がここにいるようでした。鼻のうえにのっている小さなものを、ぜひ見ていただきたいです。
(まついえ・まさし 小説家)
波 2013年10月号より
単行本刊行時掲載
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著者プロフィール
松家仁之
マツイエ・マサシ
1958年、東京生まれ。編集者を経て、2012年、長篇小説『火山のふもとで』を発表(第64回読売文学賞受賞)。『沈むフランシス』(2013)、『優雅なのかどうか、わからない』(2014)につづき、『光の犬』は四作目。編著・共著に『新しい須賀敦子』『須賀敦子の手紙』、新潮クレスト・ブックス・アンソロジー『美しい子ども』ほか。