0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方―
1,430円(税込)
発売日:2017/12/18
- 書籍
- 電子書籍あり
お金に依存するのはもう止めた! すべて無料で暮らすための「カネ無し生活」マニュアル。
たとえ失業したって怖くない。対価なしに不要品を貰う、余っているものをシェアする、まだ使えるものを拾う、元手ゼロで稼ぐ、無料の公共サービスを利用する、自分で栽培した作物を食すなど、収入が激減しても豊かに暮らしていけるノウハウが満載。お金のかからない生活を実践する著者が、新しい「幸福の形」を教えます。
「不要品放出サイト」で貰う!
不要品放出市〈0円ショップ〉
不要品を回す「店」
世界に広がる不要品市
カンパを貰う方法
クラウドファンディングで集める
「寄付」もいつかは返ってくる
増える日本人の贈り物
なぜ寄付をするのか?
贈与はいいことばかりではない
自宅パーティー、道具、服、DVD
人の家に泊まる/泊める
スイスの青年を六週間泊めてみた!
無料で泊まれる〈カウチサーフィン〉
ベトナムでの〈カウチサーフィン〉体験
有料で部屋を借りる/貸し出す
車を相乗りしよう
「ヒッチハイク」も空席のシェア
ネットの無料共有物を使う
庭を開放する「オープンガーデン」
日本の共有財産「入会地」
共産主義は共有財産社会を目指した
新しい共有の時代
おから、野菜、新間、食器……
職場から売れ残りを貰う
ゴミを拾う時の注意
自治体との問題
都心のゴミ観察レポート
管理が厳しすぎる日本
ゴミを救出する人々
拾って貧しい人に回す
廃棄に立ち向かう欧米
すべてのゴミに目を向ける
フリマで売ってみる
フリマの主催は楽じゃない
やりやすい「イベント出店」
ケータリングも元手いらず
「移動屋台」は出店場所が決め手
公道から屋台が消えた
日替わり店長になる
自宅を店にする
市の始まり
お金は物々交換から生まれたのか?
資本主義誕生の前と後
市としての〈コミケ〉
相互マッサージ、料理持ち寄り、英会話サークル
「輪番制」を使う
手伝う代わりに寝場所と食事を
合宿型ボランティア「ワークキャンプ」
海外ボランティア体験談
一般のボランティア活動
悩みを分かち合う「自助グループ」
一方的な支援「テツダイ」
お金を積み立ててまとめる「頼母子」
ヨーロッパの助け合い
村八分=助け合いのマイナス面
「ムラ社会」を超えて
図書館は大切な「居場所」
公園・霊園でくつろぐ
国公立大学のキャンパスで憩う
ライヴも開ける公民館
生活保護は権利
職業訓練でお金を貰う
やりがいのある「地域おこし協力隊」
スポーツ施設で鬱屈の解消を
驚くほど多い「無料相談」
市民農園、博物館、見学会……
一パーセントが半分以上の富を持つ
採取する(野草/茶/その他)
鑑賞する(木や花を見る/野鳥を寄せる/魚を見る/環境全般を楽しむ)
人間は「無償の贈与」を尊重する
今も残る「神への贈与」
書誌情報
読み仮名 | ゼロエンデイキルチイサクテモユタカナケイザイノツクリカタ |
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装幀 | 浅妻健司/装画、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-332462-1 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 社会学 |
定価 | 1,430円 |
電子書籍 価格 | 1,144円 |
電子書籍 配信開始日 | 2018/06/08 |
インタビュー/対談/エッセイ
不適応者でも生きやすい領域を作る
ベトナム南部に旅行した時に、見ず知らずの女性が運営しているカフェに泊まったことがある。彼女はカウチサーフィンという無料で泊めたい人と、泊まりたい人をつなぐサイトで受け入れを表明していたのだ。カウチサーフィンは日本でこそあまり知られていないが、欧米を中心に、世界中で旅行者が利用しているサービスだ。ここにも毎日のように海外から誰かが泊まりに来るが、日本人は初めてだったそうだ。
了承を得てカフェに閉店後に行ってみると、常連客の若者が10人ほど待っていてくれた。彼らとカフェスペースで輪になって、現地と日本の生活事情の違いを語り合う。ここでの英会話の集まりに参加している人が多く、英語が驚くほどうまいが、自分はしどろもどろだ。現地の歌をいくつも紹介してもらったお返しに、喜納昌吉の「花」を歌い終わる頃には汗だくだった。こんなふうに泊めてもらう人が、彼らの英会話と異文化の学びに貢献することも、お返しになっている。
話し終えた後は、カフェの一角に客用のクッションを敷いて寝る。蚊帳も貸してくれて、吊り方も教えてくれた。朝は始業時間前に起きて、少し店の開店を手伝って外出する。
大変かと聞かれれば、まったく大変である。疲れを取ることを優先するなら、お金を払って宿に泊まったほうがいい。しかし、やらないほうがよかったかというと、そんなことはない。こんなふうに現地の人の生活実感に触れられる機会は、通常の旅行では滅多になく、この旅行のなかでも際立った思い出になった。そもそもそういう体験がしたくて、わざわざ現地の人しかいない屋台やバスばかり利用していたのだから。
『0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方―』という書下ろしの本を5年ぶりに出した。カウチサーフィンに限らず、貰ったり、借りたり、手を貸しあったりと、日常的なことをお金を使わずにやる方法を多数紹介している本だ。出版意図は実に単純だ。今はお金の力が強すぎる社会になってしまっているので、贈与や共有に根差したオルタナティブな領域を広げていこうというものだ。
お金を使って何が悪いんだ、当然じゃないかと思うかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。確かにカフェの空きスペースなど借りずに、お金を払って宿に泊まるほうが楽だし、今の社会はすべてにおいてそうなっている。かつては衣食住に関することなど、日常生活のほとんどを他人と持ちつ持たれつで、あるいは自分の力でやっていたが、今ではお金を払って専門の業者に、あるいは税金を払って国や自治体に任せるようになったのだ。
もちろんそうしたほうが便利だったのだから、それは十分に理由のあることだ。けれども別の結果もある。我々の人生はそのために、お金を稼ぐことと使うこと、つまり労働と消費ばかりになってしまった。お金ですべてをまかなう社会では当然、お金を稼ぐのが苦手な人は隅に追いやられて肩身の狭い思いをし、お金を持っている大きな企業は中心で強い力を持つ。お金を使うことが悪いわけではなくても、ここまでお金一辺倒になることを皆が望んだのだろうか? こんな社会はきつくないか?
またお金を使わずに色々なことを済ませるようになって特に感じるのは、人づきあいが増えるということだ。もちろんゴミを拾う、野菜を育てるなど、1人でやれることも色々あるが、やはり貸し借りやおすそ分けなど、人づきあいが絡んでくるものが多い。そもそもお金とはひとつには、人間関係の煩わしさから逃れるためにあったのだ。
人間関係は確かに煩わしい。けれども今のように、学校や会社のきつい人間関係から降りてしまったら、完全に孤立してしまうのもこの日本社会なのだ。日本では戦後、学校、会社、家庭の3つだけが人々の生活の場だった期間が長かったため、そうした王道の人生コースから外れる人が増えた今も、それに代わるつながりは作りづらい。
お金を使わずに生きることは、そんな時のつながり作りに役立つ。これは、単なるお金の節約だけの問題ではないのだ。この社会に適応したくない人間のための、もうひとつの世界を作るための試みだと思っている。
(つるみ・わたる フリーライター)
波 2018年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
鶴見済
ツルミ・ワタル
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。フリーライター。近著は『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』。他の著書に『完全自殺マニュアル』『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』(編著)『無気力製造工場』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『レイヴ力』(共著)などがある。