村上春樹の「物語」―夢テキストとして読み解く―
1,870円(税込)
発売日:2011/08/31
- 書籍
- 電子書籍あり
村上春樹論の新たなスタンダード、誕生!
村上春樹が『空気さなぎ』を書いていたらベストセラーになったか? 青豆の妊娠の背後にある「結婚の四位一体性」とは? 『1Q84』と村上春樹の主要作品を渉猟し、物語の背後に息づく近代以前の超自然に包まれた神話的世界を探り、そしてポストモダンの時代に生きる我々の姿を描き出す、ユング研究の第一人者による待望の小説論。
2 物語と夢
3 村上春樹と心理学
4 内在的読み――物語と夢の読み方
5 『1Q84』の特殊性
6 村上春樹の世界の変遷
7 物語の個別性と二義性
2 十歳
3 心理学と十歳
4 文学と十歳
5 近代意識
6 デタッチメントと近代意識
7 親と共同体の特殊性
2 孤立
3 遭遇
4 責任の回避
5 定点としての身体
6 個人の解離、世界の解離
7 ポストモダンの意識
2 三四郎とスプートニク1――近代意識
3 三四郎とスプートニク2――ポストモダンの意識
4 ポストモダンの意識の諸相
5 村上春樹と現代の意識
2 プレモダンの世界――リトル・ピープルと空気さなぎ
3 水平的関係と垂直的関係
4 物の魂の喪失
5 『ねじまき鳥クロニクル』におけるプレモダンの世界と喪失
6 神話的世界の喪失
7 犯罪化するプレモダン
8 プレモダンの悪魔化と近代意識
2 殺害と愛――プレモダンとポストモダン
3 ロマンチックラブと不在の定点
4 不在とコミット
5 聖なるカップル
6 超越との交差――結婚の四位一体性
7 『ねじまき鳥クロニクル』の四位一体性との違い
2 心理学的差異――神から人間の愛へ
3 人間の愛――現実のつながりと排他性
4 人間の愛の成就
5 心理学的差異を自覚している作家
6 現実への逃避?
2 第三項――子ども
3 神の子の転生
4 第三項――牛河
5 欲望の三角形
6 第三者と超越的なもの
7 超越性のなごり
2 前近代と現代の世界観
3 地上への着地
4 現実の発見
5 家族でない家族
6 過去の発見――『1Q84』
7 シミュレーションとしての現実
8 魂の動きとしての現実
2 儀式と物語
3 物語の中の物語
4 物語の反転
5 物語の二重性
あとがき
書誌情報
読み仮名 | ムラカミハルキノモノガタリユメテキストトシテヨミトク |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-330861-4 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | ノンフィクション |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,496円 |
電子書籍 配信開始日 | 2012/02/24 |
書評
『1Q84』の「色即是空」と「空即是色」
本書を、一言で性格づけるならば、『1Q84』を中心とする村上春樹の小説を夢テキストと見なして、ユング心理学の手法で解釈した著作ということになるだろう。しかし、本書の魅力は、こうした要約には還元できないところにある。
第一に、『1Q84』が解釈の中心に置かれてはいるが、本書には、短編を含む多くの村上作品へのかなり立ち入った考察が含まれている。『1Q84』は、登場人物たちの過去や背景が詳述される等、村上作品としては例外的なものに見える。しかし、本書は、主要な村上作品を縦横無尽に参照しつつ、それらが『1Q84』へと収束していく必然性を論証しており、その手さばきは作家論として見事というほかない。
第二に、本書には、歴史社会論としてのおもしろさがある。たとえば、本書の解釈によれば、夏目漱石がプレモダンから近代への移行を主題としたのに対して、村上春樹の作品はポストモダンな意識を反映している。ポストモダンへの脱皮は、しかし、プレモダンへの独特の短絡を、プレモダンへの否定的回帰を伴うことになる。プレモダンな世界を支配した、「超越的なもの」、感覚を超えた「あちらの世界」が、失われたものとして、あるいは邪悪なものとして言及されることになるのだ。『1Q84』の「リトル・ピープル」は、まさにそのような意味でのプレモダンの領域に属している。
そして第三に――これが最も重要な論点だが――、本書が行っているのは、『1Q84』等の村上の小説の筋や登場人物を、ユング派の図式に対応させるスタティックな作業とは違う。本書の読解によれば、確かに、村上作品はユング派の図式と対応してはいるのだが、そこに孕まれているダイナミズム、それが目指している運動の方向が、ユングの図式とは反対になっている。村上作品は、ユング派の図式と、ねじれて対応しているのである。その意義は大きい。ユング派の図式に写像するだけならば、村上の小説を読まなくても、ユングの理論を知ればよいということになるが、両者の孕む運動の方向に互いに反転しあう関係があることが示されることで、今度は、村上作品がユング派の理論に対して、批評的な価値を帯びるようになるのだ。『1Q84』を媒介にして、ユング派の理論の見えていなかった可能性が発掘されている。
この点を最もよく示しているのが、『1Q84』の主要登場人物の布置を、ユングの「結婚の四位一体性」の概念と対応づける論脈である。結婚の四位一体性とは、意識的な男女の関係の上に、互いにとって理想的な男女の無意識像(アニマ像・アニムス像)が投影されており、二人の男女の関係があたかも四人の関係のように構成されている、という考えである。たとえば、錬金術師はソロル(妹)と呼ばれる助手との関係を通じて、聖なる王と王妃の関係を実現する。
本書の読解によれば、「さきがけ」なる教団のリーダーとその娘ふかえりの関係が聖なるカップルに、主人公の天吾と青豆が生身の人間のカップルであり、天吾がふかえりに、青豆がリーダーに同時に関わることで、四位一体が形成されている。この辺りの論証の緊張感と説得力は、直接本書を読んで味わってもらうしかないが、結論的にはこのような対応が明らかにされる。重要なのはその先である。ユングにおいては、現実の男女の関係を通じて、超越的な無意識の関係を構成することが目指されている。『1Q84』では逆に、四位一体を経由する中で、聖なる関係の方が棄却され、現実的で人間的な男女の関係――青豆と天吾の恋愛――が切り結ばれる。
それならば、『1Q84』は、あちらの超越的な世界に行って、現実に帰ってくる、というだけの物語なのか。そうではない! 本書が示すところによると、聖なる関係を通過することで、現実と超越の両方が特殊なやり方で肯定されるのだ。現実に対しては、こうした媒介がなければ両立できない矛盾した態度が共存する。一方では、現実それ自体が一種の仮構だとする相対化がなされ、他方では、その現実を「信じる」というコミットメントが引き出されるのである。
だから、本書で『1Q84』は壮大なメディテーションに喩えられる。『1Q84』の三巻が描き出す過程は、仏教でいう「色即是空」(現実→超越という往相)と「空即是色」(超越→現実という還相)に対応している。本書は、現代における物語に、このようなメディテーションを引き起こす触媒としての機能を――プレモダンな社会では儀式が果たしていた機能を――見出しているのである。村上春樹論として、そしてユング派の心理学の書として、そして何よりも現代を生きる者の哲学の書として、本書は傑出している。
(おおさわ・まさち 理論社会学者)
波 2011年9月号より
著者プロフィール
河合俊雄
カワイ・トシオ
1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。Ph.D.(チューリッヒ大学、1987年)、ユング派分析家資格取得(1990年)。甲南大学助教授、京都大学大学院教育学研究科臨床教育学専攻助教授(心理臨床学講座)を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。主な著書に、『心理臨床の理論』(岩波書店)、『京都「癒しの道」案内』(朝日新書、共著)、『発達障害への心理療法的アプローチ』(創元社、編著)などがある。