秘花
1,760円(税込)
発売日:2007/05/15
- 書籍
「最後の作品」として、これだけは書きたかった――。
インタビュー/対談/エッセイ
「花」と「声」のある小説
佐渡での世阿弥の晩年/神仏も地獄の鬼も幽霊も/立ち止まりながら読む/小説にも色気が欲しい
川上 私はお能や世阿弥のことをほとんど知らないのですが、この作品をとてもわくわくしながら読ませていただきました。素晴らしい小説でしたね。
瀬戸内 そう? よかった! これはほとんど書下ろしだから特に自信がなかったの。しかも、四年もかかっているから。
川上 佐渡へは、何度もいらしたんですか?
瀬戸内 ええ、四度取材に行ったし、世阿弥について今まで書かれた研究書や資料を全部読まなくちゃいけなかったし。
川上 そうした中でお書きになりたいことが見えてきたわけですね。
瀬戸内 世阿弥が七十二歳で佐渡へ流されてから、その運命をどう受入れたのか、老いとどう向き合ったのか、そしてどう死を迎えたのか知りたかった。それは、すでに晩年の私自身の問題でもあるから。佐渡へ行ってからの世阿弥については本人が書いた『金島書』だけしか資料がないので、それならば書ける、と思ったのよ。でも遠島になるまでの世阿弥がどんな人かということも読者のためには書かなければわからないでしょ? そこが本当にしんどかった。
川上 でもその部分の第一、二章がまた面白くて、評伝的なところもありながら、瀬戸内さん御自身の境涯に重なっているところもあると思ったんです。世阿弥は能を極めつづけてきて、瀬戸内さんもまた五十年も小説を書き続けていらして。
瀬戸内 私自身も、書いていたら自然に「ああ、これは私だな」と思えるようになってきた。
川上 やっぱりそうなんですね。それで伺いたいのですが、瀬戸内さんは史実を小説につくりあげる時、いったいどんなふうになさるんですか。私は評伝などを書いたことがないので、とても興味があるんです。
瀬戸内 私はデビュー当時、『花芯』という小説でずいぶん誤解されてマスコミに叩かれたの。それで悔しくて悔しくて、今までに誤解された作家を探して書いたのが『田村俊子』だった。それでやっと褒められて、「瀬戸内晴美が硯を洗って出直した」と書かれて。私は一度も硯を汚した覚えはないんだけれど(笑)。次に岡本かの子を『かの子撩乱』で書いて、それも評判がよかったから、だんだん伝記風のものが面白くなってきたのよ。それから管野須賀子や伊藤野枝、金子文子など反体制の人物を書いていったわけ。ある時、武田泰淳さんが「瀬戸内さんが書くと田村俊子も岡本かの子も、瀬戸内さんの俊子でかの子だよな」と仰ったんですよ。その時になるほどそうか、と思いました。いくら取材して資料を読んでも、他人の全てはわかりませんから。やっぱり作者自身が思い入れて、書きながらその人物にのめり込んで夢中になる。だから私が書くと私のものになるし、あなたが書けば、川上さんの誰それということになると思いますよ。
佐渡での世阿弥の晩年
川上 そうすると、書いているうちに自然に瀬戸内さんの「声」の入った小説になっていくんですね?
瀬戸内 そうね、だからこの作品で言えばやはり後半の佐渡へ着いてから。世阿弥が何の咎もないのに佐渡へ流されたのは七十二歳ですから、もうどんなに辛かっただろう、可哀相なことだというのが普通の考えですね。ところが私がいろいろ調べたり考えたら、あまり佐渡の世阿弥が暗いという印象が持てなかった。
川上 佐渡へ行く前の世阿弥は、自分の申楽の一座が斜陽になってしまっていて、頼りの長男には先立たれ、次男は出家してしまい、まさに栄枯盛衰そのものといった感じですよね。
瀬戸内 私が佐渡に行ってわかったのは、佐渡は水がいい、魚が捕れる、そしてお米もとれる。それだけでもう暮らせますから、島の人たちの人情がとても優しいんです。暮しに余裕があるから流人も、金山の坑夫も受入れられたんだと、私ははっと気づきました
川上 ああ、そうなんですね。たしかに佐渡で船を下りてからの世阿弥は落魄しているんだけれども、そのシーンからはうらうらとした明るさのようなものが伝わってきました。佐渡はそんな豊かな土地なんですね。そもそも世阿弥が流された真の理由というのは何だったのでしょう。
瀬戸内 十二歳で時の将軍義満に見出され、美童だったので寵を受け、都のアイドルになって、若くしてたちまち絶頂を迎えた。けれど人生のいい時はそれほど長く続くものではないと父観阿弥からも聞かされ、自分でも身に沁みてきたからこそ、演じるだけでなくたくさん能の台本や、『風姿花伝』のような芸論も書き続けたんですね。ところが二十二歳で父親が亡くなり、パトロンの将軍も代が変わってしまうと次第に落ち目になって、さらに世阿弥が六十六歳の時に将軍になった義教はヒステリーだったんですね。何かちょっと気に入らないと首を刎ねる、島流しにする。世阿弥のことも何となく気に入らないという程度で、明確な理由はなかったと思うんですよ。
川上 自分の子供がなかなか生まれなくて、最初に弟の子供を跡継ぎにしますね。小説中ではその甥の元重が将軍義教に可愛がられ、実の息子よりずっと出世していきますが、実際に甥との確執はあったのでしょうか。
瀬戸内 甥の元重は後に音阿弥を名乗るんですが、やはりこの人は芸能人として天才だったと思います。世阿弥の後継者の中でも一番役者らしいというか、舞台に立った時の花があったと思うんです。若い時の世阿弥ももちろん花があった。でも実の息子の元雅には残念ながらそれがなかった、だから元重に負けた。でもやっぱり世阿弥も一人の父親だから、自分の実の息子が可愛かったんですよ。
川上 世阿弥も普通の人間であったこと、その弱さは、小説でなければ書き得ないことなんですね、きっと。父と息子の関係を扱った話は瀬戸内さんの作品では珍しいもので、そこも新鮮でした。
瀬戸内 世阿弥は天才だけれども、やっぱり人情があって息子も可愛い、女も愛する。男にも恋するけれど(笑)。そして息子に先立たれたことを本当に悲しむんです。子供に死なれることを逆縁といって、これが人生の苦の中でも一番辛いことですから、やはり考えが変わったはずだと思います。能のことしか考えていない芸術の鬼、なんかじゃないんですよ。
川上 世阿弥の弱さや、息子たちとの関係などについては、書き始める前から「これを」と思ってらしたんですか?
瀬戸内 私は書く時は流れにまかせて、上手くいっていると鬼が取りついたように書きに書いている状態になるんです。それが小説を書くということの面白さですよね。あなたもそうじゃない?
川上 神も鬼もなかなか取りついてくれませんが(笑)、書いているうちに知らなかった自分が出てくるということはあるような気がします。
瀬戸内 ね、でもそうすると途中で構想が変わって書き変えるということもあるのよ。最初は小説の中に「秘花」という題のお能を作って入れようと思っていたの。ところがそれがもう難しくて(笑)。
川上 お能は今までにもいくつか書いていらっしゃいますよね。
瀬戸内 ええ二つ書きました。私が詞章を書くと、役者が演じてくれて素晴らしい舞台になりますからね、もう自分が書いたことなんか忘れてうっとりしてしまうのよ。それから歌舞伎、狂言、オペラも書いて、舞台芸術に携わった時の面白さ、共同作業の喜びというものをしばらく堪能していたんです(笑)。
川上 小説は一人ですものね。
瀬戸内 そうなの、でもある時ふっと気づいた。舞台芸術は素晴らしいけれど、私の力はこの中のほんの一部じゃないか、つまらないわって(笑)。
川上 あはは。
瀬戸内 まだ時々浮気な気分でいろいろ書きたいと思うこともあります。でもやっぱり小説が本命だとわかった。
神仏も地獄の鬼も幽霊も
瀬戸内 あなたの小説『真鶴』(文藝春秋刊)は芸術選奨をお受けになられて、本当に素晴らしい作品だと思ったのだけれど、これはお能仕立てなのね?
川上 ありがとうございます。でも、なにしろお能をよく知らないので、残念ながらそういう意図はないんです。お能っていったい何なんでしょうか?
瀬戸内 世阿弥が発案した夢幻能は、シテ(主人公)が死者の霊や神、精霊など実在しない役柄なんです。それで旅の僧と出会って、自分の霊魂がいかに休まっていないか、この世に恨みや執着が残っているかとか、嘆いて語るんです。そうすると坊さんが最後にお経をあげて、霊魂が成仏して消える、というパターンです。だから「ついてくるもの」が出てくる『真鶴』はお能だと確信していたのに。
川上 お坊さんとお経のない夢幻能だったのか……(笑)。『真鶴』については、中の「ついてくるもの」とはいったい何ですかとか、死後の世界を信じますかとか聞かれるのですが、『秘花』にも書いてありますね。「神仏も地獄の鬼も幽霊も、すべて人の心が生みだすものだ。あると信じる心にはあるし、無いと思う心には見えない」。仏門にお入りになった瀬戸内さんの小説の中の言葉だけに、重みがありました。
瀬戸内 長く生きるとそういう思いをいっぱいするのよ。
川上 そうなんですね。世阿弥の晩年の気持ちというのは、今の私には絶対書けない。瀬戸内さんがずっと書いていらした末の今だからこそお書きになれたものを、リアルタイムで読むことが出来るのは、読者として本当に幸せです。
瀬戸内 私自身がもう八十五歳でしょう。まず目が白内障になったし、耳が遠くなる。今は目は手術したらすぐ治るし、耳は補聴器をつけたらいいんですよ。ところが世阿弥の時代には何もないでしょう。悪くなったら悪くなったまんま。世阿弥は八十歳位まで生きたらしいんですね、当然目も耳も悪くなっているでしょう。でも、私は世阿弥はそこで悲観的になってないと思うの。実際に筆を執れなくても、頭の中ではいくらでも書ける。今まで観てきた過去の舞台もなぞれる。私だったらそうします。重ねてきた歳月の記憶をたどるのは愉しいこと、豊かに生きた証です。そう考えれば老いも死も怖くなくて、意外に幸せなんじゃないかしら。それで小説の最後に一人の女を登場させたくなった。
川上 それでその女の人が世阿弥と……。
瀬戸内 それこそ何歳まで男性は可能か、ということもずいぶん取材したんですよ(笑)。性表現といえば、あなたは「まぐわう」を「目合う」と書くのね、あれはいいわねぇ。とても官能的で、品がいいわ。私は「媾う」と書いているの。どちらにしても今の人たちは読めないでしょ、「セックスした」と書かないと。私は「した」という言葉では小説に書いたことがないんですよ。
川上 わざと書いたりします(笑)。難しいんですけれど、いろいろな言葉で書いてみたく思いますね。ところで世阿弥の最期はわかっているんですか?
瀬戸内 これもまったくわからないの。赦されて都に戻れたか、佐渡で最期を迎えたのか、でもわからないからこそ、私の考える世阿弥の末期を書けたのね。
立ち止まりながら読む
川上 この機会に世阿弥の『風姿花伝』はじめ、いくつかの芸論を読んでみたら、とても面白かったんです。お能についての精神論的なものだけが書いてあるという先入観を持っていたのですが、かなり実務的なものなんですね。ことに意外だったのが、お能での勝ち負けにものすごく拘っていること。
瀬戸内 そうなの、私はその文章を見つけた時、もうこれだ、と。私たちの仕事でも結局は勝つか、負けるか、最後に誰が勝つか誰にもわからないじゃない。それを最近特に感じるものですから、小説にも書きたかったんですよ。
川上 将軍の前でお能を演じてどこの座が気に入られるか、そのプロデュースをどう行うか。最初は文学と引きつけて読んでいたのですが、それよりもっと普遍的な、仕事をしている人すべてに当てはまる内容なのではないかと。
瀬戸内 そうなんですよ、だから世阿弥の考えや芸論なども、小説にどうやって自然に取り入れていくか、苦心しました。『花鏡』という芸論も面白いですよ、私の好きな「命には終りあり。能には果てあるべからず」という言葉があります。具体的でいい言葉がいっぱいあるのよ。
川上 そうなんです。それで、たとえば二十代でそれを読んでいたら、過剰に思い入れたりしてしまったかもしれないけれど、今の年になって今の仕事をしていて初めて読んだためか、不思議にすうっと体に入って来るような感じがしたんです。それから、中の『風姿花伝』だけは逐語訳を見ずにそのまま原文で読んでみたんですが、注解だけを頼りに、つっかえつっかえ立ち止まりながら読むというのが、とても面白かった。意味でなく文章の息づかいをとらえられるような気がして。
瀬戸内 原文のよさを味わう、というのがまたいいですね。だから私は今回、現存している世阿弥の手紙は、原文そのままと書き下し文と両方工夫して入れました。すっと読めるところもあれば、難解なところもある。けれどあなたの言うように「立ち止まりながら読む」ことの良さを読者に伝えたかったんです。
小説にも色気が欲しい
川上 「花」という世阿弥の有名な言葉についても、この小説を読みながら、いろいろ考えました。作中でも瀬戸内さん、「花」とは何かということをはっきり書いてらっしゃいますよね。
瀬戸内 色気、でしょう。舞台で登場するだけで人目を集めてうっとりさせてしまう「花」。小説で言ったら、力作とか大作とか、人が褒めるご立派なものでなくて、「おいしい」小説というか、やっぱり小説にも色気が欲しいのよね。あなたの『真鶴』はとても色っぽいですね。
川上 うれしい、ありがとうございます。世阿弥自身もこの小説では最後まで恋をしていて、でも恋をするから色気があるんじゃなくて、小説中の世阿弥自身の存在に花があるから、自然に恋が寄りそってくる、というふうに感じました。素敵です。瀬戸内さんの小説に出てくる男の人と恋愛したらいいだろうなあって時々私は思うんですが、そうじゃなくて、瀬戸内さんがつくりあげた作中の恋と男たちだから、いいんですね(笑)。
瀬戸内 私はいつも円地文子さんに「あなたの書く男は駄目ねえ」って言われていたのよ。「どうしてこんなつまらない男ばっかりに惚れるの」って。でも私が好きなんだから仕方ないじゃないの。
川上 ふふ。
瀬戸内 それから円地文子さんが生前、「瀬戸内さん、生きているうちが花ですよ。我々は死んだらもう二年も読まれませんよ」って繰り返し言っておられたんだけど、そういうことなのよね。
川上 うーん、クールだなあ。でも、世阿弥の舞台がどんなに素晴らしくても今は見ることが出来ない。けれど世阿弥が書いた文章は残っている。芸論書もそうですけれど、能作品もたくさん。
瀬戸内 そうですよ、今ならビデオで舞台も残せるけれど、世阿弥の時代のものはどうやっても残っていない。だけど五百年前のものでも台本が残っていて演じられれば、現代でも見ることができるんですよ。だから小説でもお芝居になる、というのはまた違いますね。
川上 そうかもしれませんね。お芝居、というので思い出したのですが、この小説はたくさんの「声」が入っている小説だ、ということを最後にぜひ言っておきたいと思います。各章ごとに語る声がどんどん変わっていって、そこにまた囃子の鼓や太鼓、謡いが聞こえてきたり、語り部のお婆さんがいたり。そしてそれらの声や音が、「小説のための小道具」ではなく、前の音が途切れようとすると知らぬ間に次の音が聞こえていて、かと思うと突然たくさんの音が重なり鳴って、次の瞬間にはふっと無音の空があらわれる、そんな重層性のある文章の響きが、小説全体をたいそう豊かなものにしている。ほんとうに自在だなあと思います。
瀬戸内 ああ嬉しい。丁寧に読んで下さって本当にどうもありがとう。
(かわかみ・ひろみ 作家)
(せとうち・じゃくちょう 作家)
波 2007年5月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
瀬戸内寂聴
セトウチ・ジャクチョウ
(1922-2021)1922年、徳島県生れ。東京女子大学卒。1957(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。1973年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。1992(平成4)年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、2011年に『風景』で泉鏡花文学賞、2018年『句集 ひとり』で星野立子賞を受賞。2006年、文化勲章を受章。著書に『比叡』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『現代語訳 源氏物語』『秘花』『爛』『わかれ』『いのち』『私解説 ペン一本で生きてきた』など多数。2001年より『瀬戸内寂聴全集』(第一期全20巻)が刊行され、2022(令和4)年に同全集第二期(全5巻)が完結。2021年11月9日99歳で逝去。