白いしるし
1,430円(税込)
発売日:2010/12/22
- 書籍
失恋ばかりの、私の体。ああ、でも、私は彼のことが、本当に、好きだった。
書評
清潔な欲望
女のからだには空洞がある。それが埋まるのはセックスと妊娠しかない。そう言うひとがいた。
空洞を抱えている女は、それを満たさんがため、男を求める。男の性は外へ放たれるが、女の性はからだのなかに残る。女の色恋は男よりも切実だ。からだごと、つまりは命がけでぶつからなければならないのだから、と。
この小説に登場する女たちも、彼を好き、というただそれだけの思いにみちびかれ、いつのまにか全身全霊を捧げている。はからずも命がけになってしまう。
主人公は三十二歳の女、夏目という。独身で、恋人はいない。アルバイトをしながら絵を描いている。
ある日、彼女は友人の誘いで絵を見にいく。そこで出会った一枚の絵にこの世ならぬ衝撃を受ける。
「そこには、私を祝福するように、真っ白な光があった。」
彼女は絵の前から動くことができない。彼女が描くのは、さまざまな色彩を重ねる、個性の強い絵だ。それとは真逆といえる白一色の絵を、好きだ、と思う。と同時に、絵を描いた人物である「まじま」に、自分はきっと恋するだろう、と予感する。
これまで失恋するたびに深い痛手を負ってきた彼女は恋愛を恐れていたのだが、予感どおり恋に落ちる。相手には事情があり、好きになってはならないと自制を試みるも、あえなく落ちてしまう。
まじまという男を知るにつれて、彼を欲し、また彼を恐怖するようになる彼女。
「彼という存在は、私にとっては強烈すぎたのだ。」
彼に会うようになってから、彼女の絵を描くペースは増していった。彼に影響され、白い絵の具を頻繁に使うようにもなる。
白という色はその本質として、あらゆる色をのみこむ源のようなものだろう。色というより、やはり光と捉えるほうが自然なのかもしれない。白が発光するとき、白はみずからをすら超えてしまう存在になりえるのではないだろうか。
「私は彼に会って、自由になった。」
まじまという人間を介して、彼女はおおいなるものの一端に触れる。触れてしまう。彼に「まみれ」、変容を遂げた彼女の言葉は圧巻である。彼に出会うまえの彼女は、何かを伝えるためではなく、ただ描きたい、と絵筆をふるっていた。言葉以前の何ごとかだけを見ていた彼女はしかし、「まじま」とのかかわりにおいて、自身の言葉を得る。言葉によってみずからを獲得していく過程、ともいえるだろう。それは男女の熱情だけで成り立つ関係を超えている。十代、二十代では、おそらく到達しえなかった境地のように思う。彼らの出会いは運命にちがいなかった。
物語の後半、夏目のように、はからずも命がけで男を愛する女が登場する。その女は、自分が惹かれた相手との関係が、「地獄だ」という。そういいながらも、そこから離れたがっていない彼女を、夏目はうらやましいと思う。でもそこに留まることを、もう選びはしない。まじまの絵によって呼び覚まされた「清潔な、生きたいという欲望」は、きっと彼女の深いところで絶えることのない命の火種となるのだろう。女のからだにあるという空洞を温めつづけるのだろう。女の恋が命がけになるのは、やはり必然らしい。
はじめから終わりまで作中の空気は張りつめている。あまりの切迫に気おされ、息を吸いこむためしばしば読むのを中断しなくてはならなかった。それでいて作者の文章が刻むリズムはくつろいだ心音のように響き、いつまでも読んでいたくなる。おなじ女として夏目とともにまじまに向かっているうちに、いつのまにか彼女に恋していた。はらはらと静かに興奮しながら、うつくしく澄んだ時間を味わわせてもらった。
(くりた・ゆき 作家)
波 2011年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
西加奈子
ニシ・カナコ
1977(昭和52)年、イランのテヘラン生れ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004(平成16)年に『あおい』でデビュー。翌年、1匹の犬と5人の家族の暮らしを描いた『さくら』を発表、ベストセラーに。2007年『通天閣』で織田作之助賞、2013年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、2015年『サラバ!』で直木賞、2024(令和6)年『くもをさがす』で読売文学賞を受賞。その他の作品に『窓の魚』『きいろいゾウ』『きりこについて』『漁港の肉子ちゃん』『舞台』『i』『夜が明ける』『わたしに会いたい』など多数。