グ、ア、ム
1,430円(税込)
発売日:2008/06/27
- 書籍
母・姉・妹の女3人、いざ南の島へ! それぞれの世代の叫びがぶつかり合う、壮絶で痛快な本谷流ホームドラマ。
書評
波 2008年7月号より 女三人、曇天の道中記
さしたる目的もなく東京の大学に進学したものの、就職に失敗し、恋人と同棲しながらアルバイト生活を送る長女(二五歳)。親が稼いだ金を無駄遣いはできないと、高校を出ると同時に信用金庫に就職し、勤務地の大阪に赴いた次女(二一歳)。性格も身の処し方もファッションセンスもまるで異なる姉妹が、母と三人、二泊三日のグアム旅行に出かけることになった。「女三人でゆっくりしてくるこっちゃ」とばかり、父が「女三人旅」を計画したのである。
母は北陸から、次女は大阪から出てき、成田でおちあった長女とともに機上の人となるが、することなすこと三人はかみあわない。しかも、常夏の島であるはずのグアムには台風が接近中で、天候は雨。三人ともはじめての海外旅行であるというのに、もともとけっして仲がよくなかった姉妹は、一触即発の雰囲気のまま三日間をすごすのだが……。
ふつうにおかしく、どこか物悲しく、それ以上に「ああ、わかるわかる」という気分にさせられる小説である。
旅行とはもとより小さなトラブルや妥協の集積だったりするわけだが、三人の道中でおこるトラブルも、他人の目から見ればまことに些細なことばかりである。
機内でガイドブックを開いていた母は次女に〈「あんたは何がしたい?」と機嫌を窺うかのように希望を尋ね〉る。〈次女は「なんでも」と答え、そのあと、ちらっとその観光スポット特集を一瞥してから「この、アドベンチャー・リバー・クルーズっていうやつ」と興味なげに指さした。/「お姉ちゃん、チビ助がアドベンチャークルーズやって」/母親が長女のほうへ細かく体の向きを戻して、次女の指差した箇所にそのまま自分の研磨された爪を乗せた。すると、すかさず長女が、/「駄目や。見てみ。四時間かかるって書いてあるやん。こんなんずーっとただ船に乗っとるだけやぞ。飽きるわい絶対」と反対した。/「四時間やって。飽きるって。他は? 他に行きたいとこないん?」/「だから別になんでもいいって。……このディナーショー・オン・アイスってやつ」/「お姉ちゃん、チビがアイスオンショーやって」/「これ、スケートしとるところ観て、ご飯食べるんやろ? 思いっきり室内やん。グアムの意味ないやん」/「グアムの意味ないって」/母親は風見鶏のようにちょこまかと向きを変えて、うまい落ち着きどころをなんとか見つけようとしている〉
随所に登場する三人のこのようなやりとりは、すこぶるリアルでおかしく、このままグアム旅行のガイドブックの付録につけてもいいんじゃないかと思うほど。
がしかし、この作品はもちろん女三人の単なる珍道中モノではない。姉妹の静かな確執の背景には同じ家庭で育った二十数年の蓄積があるのだし、ジェネレーションの微妙に異なる長女には長女の、次女には次女の論理がある。娘たちの間を懸命に取り持とうとする母も(そして自ら旅行を計画し、自分は留守番役を買って出た父も)また同様だ。
故郷を嫌い東京に出ていった姉と、そんな姉に批判的な目をむけながら堅実な生き方を選んだ妹という設定は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』とも共通するところがあるけれど、『グ、ア、ム』の一家は基本的には善意の人々であるといえるだろう。
オーシャンブルーであるはずだったグアムの海が、姉妹が育った北陸の町の日本海と大同小異であったという皮肉。だがテキストは雨から曇へ、さらには降水確率八〇パーセントのなかで訪れた束の間の晴れ間へと、旅行中のグアムの天候を巧みに利用しながら、三人の心もようを描いていく。
〈北陸の天気は基本的に曇天〉という何気ない一言ではじまった小説は、長女の同じく何気ない肯定の言葉をもって閉じられる。〈曇天は自分も嫌いじゃない〉
これまで、どちらかといえば登場人物のキャラクターの力で読ませてきた本谷有希子による、ちょっと大人っぽい家族小説。長女、次女、母親、父親と記されるだけで、固有名詞をもたない一家が日本の家族の雛形みたいに思えてくる。
母は北陸から、次女は大阪から出てき、成田でおちあった長女とともに機上の人となるが、することなすこと三人はかみあわない。しかも、常夏の島であるはずのグアムには台風が接近中で、天候は雨。三人ともはじめての海外旅行であるというのに、もともとけっして仲がよくなかった姉妹は、一触即発の雰囲気のまま三日間をすごすのだが……。
ふつうにおかしく、どこか物悲しく、それ以上に「ああ、わかるわかる」という気分にさせられる小説である。
旅行とはもとより小さなトラブルや妥協の集積だったりするわけだが、三人の道中でおこるトラブルも、他人の目から見ればまことに些細なことばかりである。
機内でガイドブックを開いていた母は次女に〈「あんたは何がしたい?」と機嫌を窺うかのように希望を尋ね〉る。〈次女は「なんでも」と答え、そのあと、ちらっとその観光スポット特集を一瞥してから「この、アドベンチャー・リバー・クルーズっていうやつ」と興味なげに指さした。/「お姉ちゃん、チビ助がアドベンチャークルーズやって」/母親が長女のほうへ細かく体の向きを戻して、次女の指差した箇所にそのまま自分の研磨された爪を乗せた。すると、すかさず長女が、/「駄目や。見てみ。四時間かかるって書いてあるやん。こんなんずーっとただ船に乗っとるだけやぞ。飽きるわい絶対」と反対した。/「四時間やって。飽きるって。他は? 他に行きたいとこないん?」/「だから別になんでもいいって。……このディナーショー・オン・アイスってやつ」/「お姉ちゃん、チビがアイスオンショーやって」/「これ、スケートしとるところ観て、ご飯食べるんやろ? 思いっきり室内やん。グアムの意味ないやん」/「グアムの意味ないって」/母親は風見鶏のようにちょこまかと向きを変えて、うまい落ち着きどころをなんとか見つけようとしている〉
随所に登場する三人のこのようなやりとりは、すこぶるリアルでおかしく、このままグアム旅行のガイドブックの付録につけてもいいんじゃないかと思うほど。
がしかし、この作品はもちろん女三人の単なる珍道中モノではない。姉妹の静かな確執の背景には同じ家庭で育った二十数年の蓄積があるのだし、ジェネレーションの微妙に異なる長女には長女の、次女には次女の論理がある。娘たちの間を懸命に取り持とうとする母も(そして自ら旅行を計画し、自分は留守番役を買って出た父も)また同様だ。
故郷を嫌い東京に出ていった姉と、そんな姉に批判的な目をむけながら堅実な生き方を選んだ妹という設定は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』とも共通するところがあるけれど、『グ、ア、ム』の一家は基本的には善意の人々であるといえるだろう。
オーシャンブルーであるはずだったグアムの海が、姉妹が育った北陸の町の日本海と大同小異であったという皮肉。だがテキストは雨から曇へ、さらには降水確率八〇パーセントのなかで訪れた束の間の晴れ間へと、旅行中のグアムの天候を巧みに利用しながら、三人の心もようを描いていく。
〈北陸の天気は基本的に曇天〉という何気ない一言ではじまった小説は、長女の同じく何気ない肯定の言葉をもって閉じられる。〈曇天は自分も嫌いじゃない〉
これまで、どちらかといえば登場人物のキャラクターの力で読ませてきた本谷有希子による、ちょっと大人っぽい家族小説。長女、次女、母親、父親と記されるだけで、固有名詞をもたない一家が日本の家族の雛形みたいに思えてくる。
(さいとう・みなこ 文芸評論家)
著者プロフィール
本谷有希子
モトヤ・ユキコ
1979(昭和54)年、石川県生れ。2000(平成12)年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2007年に『遭難、』で鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。2009年には『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田國士戯曲賞を受賞した。2002年より小説家としても活動を開始。2011年『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、2013年『嵐のピクニック』で大江健三郎賞受賞。他の作品に、『江利子と絶対』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『生きてるだけで、愛。』『あの子の考えることは変』『自分を好きになる方法』などがある。
判型違い(文庫)
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