僕の名はアラム
605円(税込)
発売日:2016/03/29
- 文庫
村上春樹と柴田元幸の偏愛セレクション第一弾。移民の子が出会った、素晴らしき新世界。
僕の名はアラム、九歳。世界は想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていた――。アルメニア移民の子として生まれたサローヤンが、故郷の町を舞台に描いた代表作を新訳。貧しくもあたたかな大家族に囲まれ、何もかもが冒険だったあの頃。いとこがどこかから連れてきた馬。町にやってきたサーカス……。素朴なユーモアで彩られた愛すべき世界。 《村上柴田翻訳堂》シリーズ開始。
目次
序
美しい白い馬の夏
ハンフォード行き
ザクロの木
私たちの未来の詩人の一人、と言ってもいい
五十ヤード走
愛の詩から何からすべて揃った素敵な昔ふうロマンス
僕のいとこ、雄弁家ディクラン
長老派教会聖歌隊の歌い手たち
サーカス
三人の泳ぎ手
オジブウェー族、機関車38号
アメリカを旅する者への旧世界流アドバイス
哀れな、燃えるアラブ人
あざ笑う者たちに一言
美しい白い馬の夏
ハンフォード行き
ザクロの木
私たちの未来の詩人の一人、と言ってもいい
五十ヤード走
愛の詩から何からすべて揃った素敵な昔ふうロマンス
僕のいとこ、雄弁家ディクラン
長老派教会聖歌隊の歌い手たち
サーカス
三人の泳ぎ手
オジブウェー族、機関車38号
アメリカを旅する者への旧世界流アドバイス
哀れな、燃えるアラブ人
あざ笑う者たちに一言
訳者あとがき
書誌情報
読み仮名 | ボクノナハアラム |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-203106-3 |
C-CODE | 0197 |
整理番号 | む-6-2 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 605円 |
書評
グレート・アメリカン・ノベルの中の旧世界
本書は、絶版になりつつある古典・準古典を再翻訳、復刊によって再発見する村上柴田翻訳堂の第一弾。オースター、エリクソン、ゴーリーといった米文学の最前線に通暁した柴田元幸が、サローヤンの代表作『我が名はアラム』を『僕の名はアラム』として新訳した。
アメリカの小説には優れた観察眼と描写力を兼ね備えるやけに老成した「僕」たちが犇(ひし)めくけれど、本作の主人公アラム・ガログラニアンもまた、誰のことも馬鹿にしないという美徳を備えたその一人に思える。ただし、彼の主な関心は大自然との闘争や畏敬とか、既成概念への反発とかではなく、自らの一族の男たちの行状へと向けられる。大金をつぎ込んで沙漠でザクロの木を育てる「史上ほぼ最低の農場主」メリクおじさん、一族きっての阿呆さと美声を併せ持つジョルギおじさん、父権的独善性を笑いどころ満載の軽妙な台詞回しに託して披露する爺さま、コーヒーハウスで知り合ったアラブ人と何時間も黙ったまま「言葉になってない」会話を続けるホスローヴおじさん――アラムにとって、彼らの不可思議で理不尽で、でも憎めない言行は大人の世界の神秘そのものだ。やがて、掉尾近くであれこれ尋ねるアラムを見つめるホスローヴおじさんの視線が「わしらはみんな哀れな、燃える孤児なんだ。この子以外は」と物語るに及んで、読者はガログラニアン一族が二〇世紀初頭にオスマン帝国を脱出してここカリフォルニアへの移住を余儀なくされたアルメニア人の一族であることを思い出す。新世界しか知らないアラムとは違って、おじたちは故郷を失った「旧世界を憶えている」、「旧世界を愛する」人々なのだ。だからこそ、どの珍奇なエピソードも腹を抱えるほど笑えて、でもその後でちょっと悲しくなる。
おじたちのもたらす極上の笑いが、かつて少年少女だったあらゆる人に語りかけようとするトウェイン以来の新世界的な屈託のない語りを介して、故郷喪失という旧世界の悲しい熾火にくべられていく様は、グレート・アメリカン・ノベルとしてであれ、ディアスポラ文学としてであれ、幾通りもの読み方に耐える。でもそういうオトナな(従ってもしかしたらちょっと厭らしい)読み方は脇において、まずは無心な「僕」に戻りながら、少年の目に映った輝かしく壮麗な世界を思い出す縁とするのも悪くないと思う。なぜって? ガログラニアン家の爺さまがそう仰っているからです。「壮大な、美しい発言は、十一歳の子供の口からのみ出てくるに値する。自分が言っていることを本気で信じている者の口からのみ出てくるに値するのだ。大人が言ったら、その言葉の恐ろしさがさすがに耐えがたくなってしまう」。
アメリカの小説には優れた観察眼と描写力を兼ね備えるやけに老成した「僕」たちが犇(ひし)めくけれど、本作の主人公アラム・ガログラニアンもまた、誰のことも馬鹿にしないという美徳を備えたその一人に思える。ただし、彼の主な関心は大自然との闘争や畏敬とか、既成概念への反発とかではなく、自らの一族の男たちの行状へと向けられる。大金をつぎ込んで沙漠でザクロの木を育てる「史上ほぼ最低の農場主」メリクおじさん、一族きっての阿呆さと美声を併せ持つジョルギおじさん、父権的独善性を笑いどころ満載の軽妙な台詞回しに託して披露する爺さま、コーヒーハウスで知り合ったアラブ人と何時間も黙ったまま「言葉になってない」会話を続けるホスローヴおじさん――アラムにとって、彼らの不可思議で理不尽で、でも憎めない言行は大人の世界の神秘そのものだ。やがて、掉尾近くであれこれ尋ねるアラムを見つめるホスローヴおじさんの視線が「わしらはみんな哀れな、燃える孤児なんだ。この子以外は」と物語るに及んで、読者はガログラニアン一族が二〇世紀初頭にオスマン帝国を脱出してここカリフォルニアへの移住を余儀なくされたアルメニア人の一族であることを思い出す。新世界しか知らないアラムとは違って、おじたちは故郷を失った「旧世界を憶えている」、「旧世界を愛する」人々なのだ。だからこそ、どの珍奇なエピソードも腹を抱えるほど笑えて、でもその後でちょっと悲しくなる。
おじたちのもたらす極上の笑いが、かつて少年少女だったあらゆる人に語りかけようとするトウェイン以来の新世界的な屈託のない語りを介して、故郷喪失という旧世界の悲しい熾火にくべられていく様は、グレート・アメリカン・ノベルとしてであれ、ディアスポラ文学としてであれ、幾通りもの読み方に耐える。でもそういうオトナな(従ってもしかしたらちょっと厭らしい)読み方は脇において、まずは無心な「僕」に戻りながら、少年の目に映った輝かしく壮麗な世界を思い出す縁とするのも悪くないと思う。なぜって? ガログラニアン家の爺さまがそう仰っているからです。「壮大な、美しい発言は、十一歳の子供の口からのみ出てくるに値する。自分が言っていることを本気で信じている者の口からのみ出てくるに値するのだ。大人が言ったら、その言葉の恐ろしさがさすがに耐えがたくなってしまう」。
(みやした・りょう トルコ文学者)
波 2016年6月号より
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著者プロフィール
ウィリアム・サローヤン
Saroyan,William
(1908-1981)アメリカの小説家、劇作家。アルメニア系移民の子として米カリフォルニア州フレズノに生れる。高校卒業後は電報配達などをして生計を立てていたが、やがて小説を書き始め、人の善性を清澄に描く作品を数多く残した。日本では「第三の新人」の作家らに愛読されたことでも知られる。代表作に『僕の名はアラム』『人間喜劇』『パパ・ユーアクレイジー』『ママ・アイラブユー』などがある。
柴田元幸
シバタ・モトユキ
1954年、東京生まれ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。文芸誌「MONKEY」編集長。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。翻訳の業績により、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。現代アメリカ文学を中心に訳書多数。
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