私の百人一首
649円(税込)
発売日:2004/12/22
- 文庫
かるたの絵札を愛でつつ歌の魅力とその心を味わう──ほんものの楽しみ方を教えてくれます。
ひさかたの 光のどけき春の日に しずこころなく 花の散るらむ――どこかで習い覚えた百人一首の歌。雅びな言葉の響きを味わい、古えの詠み人の心を辿ると、その想いが胸に届きます。一首一首の読みどころ、歌の背景、日本の和歌の歴史――白洲さんの案内で、愛蔵の元禄かるたの美しさを愛でつつ歌の心を知り、ものがたりを読み解くような面白さとほんものの風雅を楽しみましょう。
書誌情報
読み仮名 | ワタクシノヒャクニンイッシュ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 306ページ |
ISBN | 978-4-10-137909-8 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | し-20-9 |
ジャンル | 古典 |
定価 | 649円 |
書評
「それでも変わらないもの」を伝える三冊
先日調べものをしていて、iPhoneの日本発売が2008年7月だと知って愕然としました。スマホはわずかこの十二年間で、日々の生活やコミュニケーションを大きく変えてしまいました。
そしておそらく、十二年後の生活やコミュニケーションだって今とはまったく変わっているだろうとも予測できます。
だとしたら、何を積み上げていけばよくて、何を信じればいいのでしょう。そんなとき、たとえば千年前の古典文学を読んでいると、人間の何が変わって、何が変わらないかを再発見して安心することがあるのです。
もちろん千年前を生きた作者とわたしたちでは、使う言葉も生活様式も、人間に対する考え方もまったく違います。
それでも、春の朝日に感激したり夏の夜の雨に趣を感じたり、好きな相手から手紙が届かなくてクヨクヨしたり振られて泣いたり、人間はいつでも人間で、変わらないものもあるんだと安心できる。今回はそんな「古典の醍醐味」を味わえる三作品をご紹介します。
「古典文学作品を読んでみたいのですが、何から手をつければよいですか」と、SNSで質問を受けることがあります。よくそんな雑な質問を……と頭を抱えつつ、とはいえ鉄板の作品としてわたしがよく薦めるのが、小倉百人一首です。
小倉百人一首って、柿本人麻呂、大伴家持、小野小町、在原業平、紀貫之、藤原道綱母、紫式部、清少納言、そして『新古今和歌集』の選者でもある藤原定家や後鳥羽院……と、飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉初期の古典作家「全部盛り」なコンピレーションアルバムなんですよね。
そんな百人一首の「味わい方」を独特な視点で紹介するのが、白洲正子氏の『私の百人一首』です。日本文化と美意識にこだわり続けた白洲氏が、「自分の感触だけは見失いたくない」として書いた百人一首の手引き書は、読んでいると不思議と「自分自身の百人一首」が見えてくるのでした。
また前述の「雑な質問」にはもう一パターンあります。それは「『源氏物語』を読んでみたいのですが」というもの。
与謝野晶子や谷崎潤一郎、橋本治や瀬戸内寂聴などなど、錚々たる作家がそれぞれの解釈と文体で『源氏物語』の現代語訳を刊行しています。そして多くの人が「よし読んでみよう」と手に取り、途中で挫折してきたはず。それがなぜわかるのか。『源氏物語』にはわたしも何度も跳ね返されたからです。いやお恥ずかしい。何度も何度も挫折したわたしが『源氏物語』を通読できたのは、いきなり本文に挑まず、まずは筋書きを記した「ガイド」を頭に入れていたからです。
阿刀田高氏の『源氏物語を知っていますか』は、『源氏物語』という日本文学の最高峰に登頂するうえで最良のガイドのひとつです。阿刀田氏の流れるような講談調の解説を読むと、光源氏や紫の上、六条御息所や朧月夜が「キャラクター」として動き出すのがわかって、なにより作家としての紫式部の息遣いが聴こえてきます。この息遣いを覚えておくことこそが、あの大著を完走するほとんど唯一の方法なのだと思うのです。
そして日本文学における古典の代表的な伝道師といったらやっぱり田辺聖子氏であり、田辺氏の一冊をといえばこれ、『文車日記』がお薦めです。
この本は『萬葉集』から新・旧約聖書(の日本語訳)、額田王から松尾芭蕉まで、田辺氏が好きな作品を好きなように語っていて、しかもその視線、語り口がまったく「やさしくない」ところがいいんですね。恋を語るときはとびきりロマンチックな筆遣いなのに、たとえば清少納言は「石女ではなかったか」と書き、井原西鶴は「屈折の多い、いやな中年男」と書く。少女のようなあどけなさと残酷性が共存していて、このギャップこそが「田辺文学」の真骨頂だといえるでしょう。
やや駆け足で紹介してきましたが、コロナ禍でわたしたちの世界と日々の生活は、大きく変わってしまいました。しかし、それでも、変わらないものはあるはずです。そうしたものを見つけるのに、不安に追いつかれないために、「古典」は最良の宝箱のひとつだと思うのです。
(たられば 編集者)
波 2021年3月号より
著者プロフィール
白洲正子
シラス・マサコ
(1910-1998)1910年東京生まれ。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立ち、米国留学へ。1928年帰国、翌年白洲次郎(1902〜1985)と結婚。古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。1998年没。