きよしこ
693円(税込)
発売日:2005/06/26
- 文庫
- 電子書籍あり
君はだめになんかなっていない。ひとりぼっちじゃない。それを忘れないで。
少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。伝わるよ、きっと──。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説。
書誌情報
読み仮名 | キヨシコ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-134917-6 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | し-43-7 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 693円 |
電子書籍 価格 | 594円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/01/03 |
書評
今もこころに残る3冊
重松清『きよしこ』
公務員だった親の仕事の都合で、幼稚園で一度、小学校で二度、中学校で一度転校した。生まれた街の記憶はない。同じ街に住めるのは大体3~4年間。成人式を迎えても、どの街の式に出席したらいいのかわからなかった。結局、大学の学生寮のコタツで一人でやり過ごした。
転校経験のない同級生から何度も、「一度でいいから転校してみたいな」と言われたことがある。映画などに描かれる転校生は、しばしばミステリアスなヒーローで、羨ましがられる理由も分かる。でも実在する普通の転校生は、地道にハードな状況と戦わなければならないのだ。
重松さんの自伝的小説とされている『きよしこ』には、想い出を切断されてしまうような、転校生にしかわからない孤独感が微細に描かれている。主人公・きよしは吃音が克服できずにいる。スポーツは得意だが、話すことが苦手で、転校する度に友達づくりに悩む。
『きよしこ』の心理描写は、転校経験者にはとてもリアルで、忘れかけていたあの頃の痛みがチクチクと蘇る。でも読み終えると、根無し草のような自分のアイデンティティは今の自分になるために必要な過程だったんだと思わせてくれる。そして転校経験のない読者にも、きよしの苦しみと成長は切実に伝わるはず。そのリアリティこそが、この物語の一番の強さだ。
小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
24歳で単身ギターだけを持って、貨物船でヨーロッパに渡り、スクーターで旅をしながら、タイトルそのままに、道場破りのように次々と有名指揮者の門を叩き、文字通りステージを駆け上っていく若き指揮者の挑戦……と、あらすじを文字にしただけで映画の予告編のようだ。小澤征爾さんの若き日の武勇伝は、エッセイというよりは痛快なフィクションのように、心を躍らせてくれる。
僕も音楽家の端くれではあるが、ポップスの世界には「指揮者」というポジションは存在しない。編曲、つまりさまざまな楽器や音を操ることはポップスにも不可欠だが、その音源も、現代ではPCの中に入っている仮想のプログラムを使うことが多く、PCと人間が共演するライブも稀ではない。
数十人もの楽団員を束ね、すべてのパートの楽譜を頭に叩き込んで、己の身一つで音をまとめる指揮者の頭脳と人間力の強さは、軽音楽の世界に生きる我々には想像もつかない。
戦争を生き延び、己の才能と行動力で世界の舞台を掴んだ若き日の小澤さんの姿は、現代人には遥か遠い歴史上の物語のように映る。2024年2月、小澤さんはこの世を去って、そのエッセイも偉人伝となった。
三島由紀夫『美しい星』
浪人中、予備校に通う電車の中でいつも文庫本を読んでいた。当時は理系を志していたのだが、やる気が起きず、逃避するように本ばかり読んでいた。時々読書に熱中しすぎて電車を乗り過ごしたりもした。その頃初めて三島由紀夫と出会った。三島の文の飛び抜けた美意識の高さは、文学に触れたばかりの19歳にもヒリヒリと伝わってきた。
あれから40年が経ち、『美しい星』を久しぶりに読み返してみた。まずその流麗な比喩と、五感のすべてを文字で表すような細密な描写に、改めて驚嘆させられた。ネット上の充分に推敲されていない文字を浴び続けている弊害と一流の文学の深さを、改めて思い知るようだった。
『美しい星』は地球に住む宇宙人たちが主人公。三島としては異色の作品だが、そのSF的設定は、地球を俯瞰で捉えるためには不可欠の視点だったに違いないと感じた。まだ大戦の記憶も消えず、東西の冷戦や核戦争の脅威が叫ばれていた1960年代初頭。この物語の主題は戦争を止めることができない人類の愚かさを描くことにあるが、そこに正解は記されていない。
翻って現代、2020年代半ば。あの時代に較べれば、核の存在が人々の意識に上ることは少なくなった。だが戦いはずっと各地で絶えない。『美しい星』を読み終えた後に、現代の世界の状況に想いを巡らせてみる。三島が投げた、答えの見つからない問い。個々がその問いかけに自分なりの答えを探そうと努めれば、いつか地球は「美しい星」になれるのだろうか。
(たかの・ひろし ミュージシャン)
切実で普遍的な「少年」の物語
子供のいじめ、親子の断絶、夫婦の齟齬といったシリアスな問題に重ねて、重松清は現代における家族の風景を反復的に描き続けてきた。
児童小説、ファンタジー、エンターテインメントの枠を往還する、ジャンル的な束縛のない自由なポジションから紡ぎ出される家族小説のヴァリアントは、時に悲哀に満ちた、時に勇気を奮い立たされる、時に黙想へと誘う物語として読者に届けられる。多くの作品において主人公は切実な状況に置かれ、現実と格闘することを余儀なくされるが、物語の結末にはありきたりのハッピーエンドは置かれない。
重松作品において、癒しの風景が無根拠にもたらされることはない。描かれた状況は肯定も否定もされない。文学は答えを提示するためにあるのではなく、永遠に問い続けるために存在しているということを、重松は知悉している。物語をどのように受け止めるかは、読者に委ねられている。重松ほど同時代の読者を信じている作家はいないのではないか。私が作家重松清に全面的な信頼を寄せるのは、彼が小説という表現に対して、さらには読者に対してフェアなスタンスで臨んでいるというまさにその一点に尽きる。
『きよしこ』は、吃音症に悩み苦しむきよし少年の、小学一年生から高校三年生までの十二年間を少年の成長に沿った七つの短編によって描いた作品である。少年は、「カ行」「タ行」と濁音をうまく発音することができない。そのため、クラスの友だちにからかわれ引っ込み思案になってしまう。さらに父親の仕事の関係で頻繁に転校しなければならず、そのことが少年をさらに孤立させていく。
少年は「きよしこの夜」の歌詞を勝手に解釈し、「きよしこ」という自分の名前とよく似た「他のひとには姿を見ることのできない、ぼくだけの友だち」を想像する。きよしこの前でなら、少年はスムースに喋ることができるのだ。物語は、天地真理、フィンガー5、ゲルマニウム・ラジオ、インベーダーゲームといったアイテムが示唆する1970年代をバックグラウンドにして、息子の吃音症の原因を幼少時の体験に結びつけ責任を感じている両親と三歳違いの妹なつみに見守られながら、吃音であることでさまざまな制約を受けながらも言葉と格闘する少年の学校生活を中心にした日常にスポットを当てる。
クリスマスプレゼントで自分がいちばんほしかった「魚雷戦ゲーム」の「ギョ」が発音できないために不本意なプレゼントを甘んじて受け入れ、両親に感謝の気持ちを伝えようとしつつも、「ありがとう」の「ア」を発話することができず、そのことで癇癪を起こしクリスマスをめちゃくちゃにしてしまうが、「ごめんなさい」の「ゴ」を言い淀んでしまう少年。「きよし」の「キ」が発音できないため転校初日の自己紹介を失敗し、クラスの中で浮いてしまう少年。少年の日常は言葉との闘いの連続だ。笑いものにする級友たち。理解のない先生。少年はひそかに願う。「町でも会社でも、うまくしゃべれないひとばかり集まって、みんな優しくて、しゃべらなくても誰もが幸せに暮らせる、そんな場所がどこかにあればいい」と――。
話し言葉によるコミュニケーションの回路を封じられてしまった少年がさまざまな局面でピンチに陥る姿は読む者の心に深く突き刺さってくるが、多くを喋れない彼の内面を代弁するかのように少年に寄り添う物語の語り手の存在が救いをもたらしている。語り手=作者の言葉は、少年に近いポジションから発せられている。もちろん本書が、東京の大学に通うために上京しひとり暮らしを始めるまで、父親の転勤で家族ぐるみ九回の引っ越しをした著者の少年時の体験をふまえた、自伝的要素がちりばめられた作者にとっていずれ書かれねばならなかった切実な物語であったことは確かであろう。しかし、ここで語り手=作者の少年へのまなざしが、私小説的な語り手と作中人物の密着から一線を画したものであることは強調しておくべきだろう。作中において、物語の主人公は名前ではなく「少年」という三人称代名詞で表記される。彼は「きよし」という固有名を背負った吃音の少年であるとともに、思春期を悩みを抱えながら成長する普遍的な少年でもある。
主人公の少年は、かつて子供時代を生きたあなた自身の中にある「少年」の体現者なのである。
(えのもと・まさき 文芸評論家)
波 2002年12月号より
著者プロフィール
重松清
シゲマツ・キヨシ
1963(昭和38)年、岡山県生れ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。1991(平成3)年『ビフォア・ラン』でデビュー。1999年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。2001年『ビタミンF』で直木賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表している。著書は他に、『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』『ひこばえ』『ハレルヤ!』『おくることば』など多数。