つめたいよるに
649円(税込)
発売日:1996/05/29
- 文庫
懐かしい風景。秘密めいた場所。ふわふわした感触。そういう世界を愛する人へ。
デュークが死んだ。わたしのデュークが死んでしまった──。たまご料理と梨と落語が好きで、キスのうまい犬のデュークが死んだ翌日、乗った電車でわたしはハンサムな男の子にめぐりあった……。出会いと別れの不思議な一日を綴った『デューク』。コンビニでバイトする大学生のクリスマスイブを描いた『とくべつな早朝』。デビュー作『桃子』を含む21編を収録した初々しい短編集。
書誌情報
読み仮名 | ツメタイヨルニ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-133913-9 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | え-10-3 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家、芸能・エンターテインメント |
定価 | 649円 |
書評
永遠に叶わない目標
ずっと「性格が悪い役」をやりたいと思って、公言もしてきました。それに、小説家の役にも憧れていて。だから『私にふさわしいホテル』の主人公・加代子役のオファーをいただいたときは「やった!」と。性格が悪い小説家の役、待ってました(笑)。でも、彼氏ができた途端に以前のような小説が書けなくなる、かわいいところも描かれています。映画には出てこないのですが、大好きな場面です。
小説の新人賞を受賞したのに、いっこうに単行本が出せず、文豪気分に浸るために自腹で山の上ホテルにカンヅメになる加代子は、大御所作家の東十条先生を策略で陥れたり、編集者の遠藤に食ってかかったりと大暴れしますが、ただひとつ純粋なところがあります。
それは「いい小説を書きたい」という目標に一直線なところ。いい小説を書いて、たくさんの人に認めてもらいたい。その思いだけはとびきり純度が高いんですよね。そこに共感しました。実は自分と似ているところが多々ある役柄だと思います。
私も、俳優として「誰も到達できないような演技をしたい」というのが最終目標で、それを達成したい一心で突き進んでいるようなところがあって……。世の中には素晴らしい役者さんがたくさんいて、一人ひとり個性も土俵も違うので、すごく抽象的で、永遠に叶わない目標だとわかってはいるのですが、どうしてもそこを目指したくなってしまうんです。
現場で演じているときは、そんな演技が出来たんじゃないか、と思う瞬間もあります。撮影してカットがかかった途端に「私、やってやった。誰よりも輝いてた」と(笑)。でも完成したものを見ると「あれ、こんなだった?」とがっかりしちゃって……。でもずっとへこんでいるのではなく、目標に向かって立ち上がるところも加代子に似ているかも。
へんてこな仕返しをするところも加代子と私の共通点です。加代子のド派手な仕返しには敵わないですが、私も嫌なことを言われたりすると「え~、ちょっとうるさいですね~」とか言い返しちゃいます。秘訣は発声をファルセットにすること! 高めのトーンでふわあっとした感じで言うと相手にはあまりピンとこないみたいで、険悪な雰囲気にならずに、でも言いたいことは言えます(笑)。
江國香織さんの「デューク」(『つめたいよるに』所収)は、2017年に「LINEモバイル」のCMに出演する際に、監督さんから「この作品を読んで撮影に臨んでほしい」と言われた作品です。
飼っていた犬の「デューク」を亡くした女性の前に、デュークらしき少年が現れるというお話ですが、女性の心情には戸惑いもあれば嬉しさも切なさもあって、すごく複雑な気持ちになっていくんですよね。一つではない、重層的な感情を表現するときのほうがやる気が漲ってくるので「頑張るぞ!」と気合いが入りました。
私も中学生の頃、飼っていたハムスターに逃げられてしまったことがあって、大切な存在との辛いお別れでした。「ひとりで生きていけるんだろうか」と心配したんですけど、むこうはよっぽど嫌だったんだろうな……。ハムスターを飼っているあいだに、ダックスフントの成犬を預かった時期があったんですが、その犬が檻から出て、ハムスターを口に入れてしまったことがあって。唾液だらけで仮死状態みたいになって。すごく悲しくて、泣きながらハムスターをお風呂で洗ったんです。そうしたら動き出したんです! でも結局その後、逃げられてしまいました。もし今、そのハムスターが人間の姿で現れたら、謝りたいです。
京極夏彦さんもずっと大好きな作家さんで、ラジオにゲストで来ていただいたこともあります。「薔薇十字探偵社」の榎木津礼二郎が活躍する「百器徒然袋」シリーズや、「京極堂」こと中禅寺秋彦の妹・中禅寺敦子が主人公の「今昔百鬼拾遺」シリーズを愛読しています。
現実の事件を解決するのだけど、霊的な能力を使うところと、現実的な方法とのバランスが魅力です。京極先生の作品の実写化にいつか出られたら……嬉しすぎます。
映画「私にふさわしいホテル」は2024年12月27日全国公開!
(のん 俳優)
誰かを救う十分間
駅で階段につまずいた昼間の自分を、シャワーを浴びているとふと思い出して、あーっと声をあげることがある。穴があったら入りたいなんて言葉では足りず、別の世界に逃げこみたくなる。
そんなとき、私は本を読む。登場人物に降りかかる災難や心の深い部分に触れると、自分の恥ずかしい失態や悩み事がどれだけちっぽけか気づくことができる。美しい言葉に触れ続けたからか、読んだあと世界の見え方が鮮やかに変わることもある。
短編集を好きになったのは、中学生のときだ。
きっかけは江國香織さんの『つめたいよるに』。この本に収録されている「デューク」という短編が国語の教科書に載っていた。
「私」は飼っていた愛犬、デュークが死んでしまい泣いている。見知らぬ少年がそんな「私」を気遣ってくれたので、お礼をするために一緒にその日を過ごすことになる……。
当時、私自身が愛犬をなくしたばかりだったということもあり一気に引き込まれ、何度も読み返した。少年の優しさや、読めば読むほど感じる切なさに心が震えた。たまらなく大好きだった。
なぜ、この話はこんなにも私を魅了するのか。歌うような言葉やストーリーの素敵さはもちろんだが、それらが短編にすっきりとおさまっていることも大きな理由だったのだと思う。
一話を読み終えるまでたったの十分。その十分間で私は救われた。愛犬のいない寂しさを、つめたいものからあたたかいものに変えてもらったのだ。
「デューク」が『つめたいよるに』に収録されていると知り、私は本屋に走った。
他の話もこどもの夢のフルーツパフェのように、とびきりだった。逆三角形のガラスの器はどこか儚く、沢山のフルーツがここに収まっているなんて奇跡だ、と思う。さくらんぼもシロップの味のみかんの数も少ないかと思いきや、充分。そのくせ、食後の甘美な物寂しさったら。
その贅沢を知り、私はすっかり短編集の虜となったのだ。
山田詠美さんの『放課後の音符』を読んだときは高校生活の真っ最中だった。
恋愛のことがよく分からない私に、この本は衝撃を与えた。十人十色の恋が、余すところなくきちんと詰め込まれている。幼馴染みに自分の恋の香りを悟られないようにする少女や、年上の女性に彼氏を奪われた少女が真っ赤な口紅を塗ってした決別のキスは、自分の周りにある話のようでいてどこか遠く、ドキドキした。
ふらっと立ち寄ったお店で、店員さんに試しに大人な香水を吹きかけてもらう。今はここにあるのに、いつか消えてしまう繊細さ。自分がこんなものを知ってしまっていいのだろうかという背伸び感が、この本にも存分にあった。
たまらなかった。喜びも怒りも悲しみも全て「うっとり」に包みこまれた短編集。憧れの恋愛はこの短編集のなかにある。
憧れでなく日常の恋がしまいこまれているのは、川上弘美さんの『ざらざら』だと思う。
ここに収録されている話は、他の短編よりも更に短めで、読みやすい文で日常を切り取っている。それだけだとなんてことない話に思えるが、間違いであることにすぐに気がつく。どの話も、ハスキーさと重力を持っているのだ。どこにそんな風に思う要因の言葉があるんだろう、と改めて探しても見つけられない。でも、読み終えると切なさに近い感覚に陥る。地元にしかないと思っていたファミレスをふいに見つけた感覚にも近い。なんてことない日常を改めて想うと、心がきゅっとなる。
たった十分間できゅっとしながら、主人公の日々を追体験し世界の見え方が少し変わる。短編集にそっと救われ、私は歌なんて口ずさみながらシャワーを浴びるのだ。
それは「デューク」で少年が心からのお礼を告げたことで「私」がふと前を向けた状況に似ている。
この文章を読み始めて、そろそろ十分。この十分があなたの目の前の世界を少し軽やかに変える何かしらのきっかけとなりますように。
(おおとも・かれん=1999年、群馬県生まれ。女優、モデル)
波 2020年1月号より
著者プロフィール
江國香織
エクニ・カオリ
1964(昭和39)年東京生れ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、1989(平成元)年「409 ラドクリフ」でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞した。近刊に『去年の雪』『川のある街』など。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。