天人五衰―豊饒の海・第四巻―
781円(税込)
発売日:1977/12/02
- 文庫
劇的かつ稀有なる物語。三島文学、究極の到達点。
妻を亡くした老残の本多繁邦は、十六歳の安永透と出会う。透の脇腹には三つの黒子が昴の星のように並んでいた。転生の印なのか。本多は、彼を養子に迎え緻密な教育を始めるが……。仮借なき破局、終末の翳りが本多を襲う。松枝清顕に縁深い月修寺を訪れる本多だが、そこで語られる言葉と目にした光景は全てを容赦なく打ち砕くものだった。『豊饒の海』完結編。
書誌情報
読み仮名 | テンニンゴスイホウジョウノウミ04 |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 352ページ |
ISBN | 978-4-10-105024-9 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | み-3-24 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 781円 |
どういう本?
タイトロジー(タイトルを読む)
「大の五衰」の相はどうかというのに、その一は、浄らかだった衣服が垢にまみれ、その二は、頭上の華がかつては盛りであったのが今は萎み、その三は、両腋窩から汗が流れ、その四は、身体がいまわしい臭気を放ち、その五は、本座に安住することを楽しまない。
これによれば、ほかの出典の五衰とは、みな大の五衰を説いたものであり、小の五衰の生じているあいだは死を転ずることも全く不可能ではないが、ひとたび大の五衰が生じた上は、もはや死を避けることができないのであった。(本書73〜74ページ)
著者プロフィール
三島由紀夫
ミシマ・ユキオ
(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。