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美しい星

三島由紀夫/著

737円(税込)

発売日:1967/11/01

  • 文庫

ひょっとすると君の御父上は宇宙人じゃないのかね。

大杉家には秘密ができた。一家全員、宇宙人だと自覚したのだ。父は原水爆を憂い米ソ首脳にメッセージを送り、金星人の同胞と称する男を訪ねた娘は処女懐胎して帰ってきた……。対立する宇宙人〈羽黒一派〉との人類救済の是非を巡る論争は『カラマーゾフの兄弟』「大審問官」の章とも比肩する。三島文学の主題がSFエンターテインメントと出会った異色作。

  • 映画化
    美しい星(2017年5月公開)

書誌情報

読み仮名 ウツクシイホシ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 牧野伊三夫/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
頁数 384ページ
ISBN 978-4-10-105013-3
C-CODE 0193
整理番号 み-3-13
ジャンル 文芸作品
定価 737円

書評

今もこころに残る3冊

高野寛

 重松清『きよしこ』
 公務員だった親の仕事の都合で、幼稚園で一度、小学校で二度、中学校で一度転校した。生まれた街の記憶はない。同じ街に住めるのは大体3~4年間。成人式を迎えても、どの街の式に出席したらいいのかわからなかった。結局、大学の学生寮のコタツで一人でやり過ごした。
 転校経験のない同級生から何度も、「一度でいいから転校してみたいな」と言われたことがある。映画などに描かれる転校生は、しばしばミステリアスなヒーローで、羨ましがられる理由も分かる。でも実在する普通の転校生は、地道にハードな状況と戦わなければならないのだ。
 重松さんの自伝的小説とされている『きよしこ』には、想い出を切断されてしまうような、転校生にしかわからない孤独感が微細に描かれている。主人公・きよしは吃音が克服できずにいる。スポーツは得意だが、話すことが苦手で、転校する度に友達づくりに悩む。

重松清『きよしこ』書影

『きよしこ』の心理描写は、転校経験者にはとてもリアルで、忘れかけていたあの頃の痛みがチクチクと蘇る。でも読み終えると、根無し草のような自分のアイデンティティは今の自分になるために必要な過程だったんだと思わせてくれる。そして転校経験のない読者にも、きよしの苦しみと成長は切実に伝わるはず。そのリアリティこそが、この物語の一番の強さだ。

 小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
 24歳で単身ギターだけを持って、貨物船でヨーロッパに渡り、スクーターで旅をしながら、タイトルそのままに、道場破りのように次々と有名指揮者の門を叩き、文字通りステージを駆け上っていく若き指揮者の挑戦……と、あらすじを文字にしただけで映画の予告編のようだ。小澤征爾さんの若き日の武勇伝は、エッセイというよりは痛快なフィクションのように、心を躍らせてくれる。
 僕も音楽家の端くれではあるが、ポップスの世界には「指揮者」というポジションは存在しない。編曲、つまりさまざまな楽器や音を操ることはポップスにも不可欠だが、その音源も、現代ではPCの中に入っている仮想のプログラムを使うことが多く、PCと人間が共演するライブも稀ではない。
 数十人もの楽団員を束ね、すべてのパートの楽譜を頭に叩き込んで、己の身一つで音をまとめる指揮者の頭脳と人間力の強さは、軽音楽の世界に生きる我々には想像もつかない。

小澤征爾『ボクの音楽武者修行』書影

 戦争を生き延び、己の才能と行動力で世界の舞台を掴んだ若き日の小澤さんの姿は、現代人には遥か遠い歴史上の物語のように映る。2024年2月、小澤さんはこの世を去って、そのエッセイも偉人伝となった。

 三島由紀夫『美しい星』
 浪人中、予備校に通う電車の中でいつも文庫本を読んでいた。当時は理系を志していたのだが、やる気が起きず、逃避するように本ばかり読んでいた。時々読書に熱中しすぎて電車を乗り過ごしたりもした。その頃初めて三島由紀夫と出会った。三島の文の飛び抜けた美意識の高さは、文学に触れたばかりの19歳にもヒリヒリと伝わってきた。
 あれから40年が経ち、『美しい星』を久しぶりに読み返してみた。まずその流麗な比喩と、五感のすべてを文字で表すような細密な描写に、改めて驚嘆させられた。ネット上の充分に推敲されていない文字を浴び続けている弊害と一流の文学の深さを、改めて思い知るようだった。
『美しい星』は地球に住む宇宙人たちが主人公。三島としては異色の作品だが、そのSF的設定は、地球を俯瞰で捉えるためには不可欠の視点だったに違いないと感じた。まだ大戦の記憶も消えず、東西の冷戦や核戦争の脅威が叫ばれていた1960年代初頭。この物語の主題は戦争を止めることができない人類の愚かさを描くことにあるが、そこに正解は記されていない。

三島由紀夫『美しい星』書影

 翻って現代、2020年代半ば。あの時代に較べれば、核の存在が人々の意識に上ることは少なくなった。だが戦いはずっと各地で絶えない。『美しい星』を読み終えた後に、現代の世界の状況に想いを巡らせてみる。三島が投げた、答えの見つからない問い。個々がその問いかけに自分なりの答えを探そうと努めれば、いつか地球は「美しい星」になれるのだろうか。

(たかの・ひろし ミュージシャン)

波 2024年6月号より

世界の見え方が変容する体験

落合陽一

 美に対する執着のようなものを言葉を通じて体感できる歳になったのは二十代以後だったような気がする。三島文学に始めて触れたのは小学生だったか中学生だったかの学校の授業で、そのときは言葉によって世界の見え方が変容するような体験を知覚したことがなかった。その後、時は流れて大学の頃、学生の自由な時間で濫読を繰り返す中で再び三島に出会う。作家として創作したり、文脈を整理したり、自分なりに表現と向き合うようになって以後、三島の言葉は常に僕にインスピレーションを与えてきた。
 自分が三島の文章に評を書くなどと烏滸がましいが、段落を一つ抜き出しても三島と分かるような美しさがあること、そしてそこに美醜を合わせ呑むような憑りつかれたような解像度の高い筆致が常に含まれていることが自分の世界認識を常に改めさせるのだと思っている。多様な美の形に果敢に挑む姿が垣間見えるところに没入性があるのだろう。私の好きな著作を三つ挙げるとすれば、『金閣寺』『仮面の告白』『美しい星』あたりだろうか。『潮騒』も好きだが、今回はこの三つにしよう。

三島由紀夫『金閣寺』

『金閣寺』の、世界の認識を変えるほどの夢想と行為との関係性。夢想によって育まれたものが現実と交錯していく世界観に恋い焦がれながら読んだ。主人公の金閣寺に対する美的な倒錯がたまらない。社会的インパクトがあった事件がモチーフになっていると言われるものの、1987年生まれの自分にとっては『金閣寺』を読みながら得た体験が、僕の中では実際の事件と一体化しつつある。失われつつある幽玄の美、たくましさと艶かしさ、闇を地として聳え立ち輝く炎の交錯、高揚感の果てに生きるということを選んでいくということはどういう意味を持つのだろうか。ほの暗さの中で輝く柔らかな光に照らされた金糸や銀糸のような、舞と京刺繍のような美しさと人間の醜さを合わせて味わう瞬間が好きだ。じっとりとした夜に読み返すことが多い。

三島由紀夫『仮面の告白』

 三島が二十四歳で『仮面の告白』を書いたことに愕然とする。確かに表現とは自分を曝け出すことなのかもしれないが、内的な反芻の長時間の蓄積によって描かれる性的描写の端正さに惹かれる。フェティシズムの描画、葛藤、コンプレックス、真っ直ぐにはいかない美的なねじ曲がり方と、その周囲に存在するプラトニックな美や男性美へのストレートな倒錯の混在が味わい深さを生んでいると思う。直線的な感情と渦巻く感情の二つが入り混じって、表と裏を行き来し、反芻され、文体のあちらこちらに現れては消えていく。このねじれが至るところから感じ取れる。主人公が対象と向かい合う時に始まるループを客観的に眺めるたびに、自分の中でも語り出そうとする何かを発見することができる。自ら創作するときに、「言葉が出やすくなる小説」という観点では、十九歳ごろによく読んでいた。何かと向かい合って、それが自分の中で対話可能なループを作るまで集中する、そんなものの見方を教えてくれる気もする。

三島由紀夫『美しい星』

『美しい星』のSFかと思わせる荒唐無稽なストーリーから、人類を外側から眺めてみる壮大なテーマを感じとる。終末観と不安の中で描かれるテーマに関する議論の様子を追いかける感覚は他の三島作品とは異なっているが、後半の人間存在について外側から眺める議論が心地よい。自分は大学時代に『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)とか『夏への扉』(ロバート・A・ハインライン)みたいなSFと同時にこの作品を読んだ記憶があるが、1950年代から1960年代の時代性の中に確かにこのような作品を揺籃する空気が存在したのだということを感じさせてくれる。虚無と希望の中で振動する自分を発見し、黙想する対話相手なのかもしれない。人類にして人類を外側から眺めているような感覚は自分自身がコンピュータと向き合っているときの感覚に近い。人間性とは何か、メディア装置を用いた芸術とは何か、そういった気分を喚起してくれる。
 というわけで三冊ほど好きな三島作品について書かせていただいたが、駄文失礼。思えば何かを参照するわけでもなく、作品に想いを馳せるだけで、ついつい言葉が自然と湧き出てくる。偏屈で曲がりくねっていてそれでいて真っ直ぐな、年代物の癖の強いウイスキーのような、そういった特徴が三島作品にはあると思う。

(おちあい・よういち メディアアーティスト)
波 2020年9月号より

どういう本?

タイトロジー(タイトルを読む)

 ーー今こそ私は、あなた方に宣言しようと思う。
 救済が私の役目だから、何を言われようと、私は救済のために黙々と働くのだ。破滅が私の幻影のすべてだから、もう幻影だけで沢山なのだ。人類に説いてあらゆるか核実験をやめさせ、あらゆる核兵器を廃棄させ、空飛ぶ円盤が何のために地球を訪れたかを、呑み込ませてやらなくてはならぬ。あなた方と会ってよくわかったことだが、地球の今世紀の不吉な影は、あなた方の星の同志の活動に依るところが多いらしい。あなた方の星の影響が、地球が美しい星に生れ変るのを邪魔してきたことがよくわかった。(本書305〜306ページ)

著者プロフィール

三島由紀夫

ミシマ・ユキオ

(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

初めて出会う 新・三島由紀夫

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