放課後の音符
605円(税込)
発売日:1995/03/01
- 文庫
好きな人がいない放課後なんてあり得ない! おとなを目指す女子のための恋活力向上小説。
大人でも子供でもない、どっちつかずのもどかしい時間。まだ、恋の匂いにも揺れる17歳の日々――。背伸びした恋。心の中で発酵してきた甘い感情。片思いのまま終ってしまった憧れ。好きな人のいない放課後なんてつまらない。授業が終った放課後、17歳の感性がさまざまな音符となり、私たちだけにパステル調の旋律を奏でてくれる……。女子高生の心象を繊細に綴る8編の恋愛小説。
Sweet Basil
Brush Up
Crystal Silence
Red Zone
Jay-Walk
Salt and Pepa
Keynote
解説 堀田あけみ
書誌情報
読み仮名 | ホウカゴノキイノート |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-103615-1 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | や-34-5 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 605円 |
書評
誰かを救う十分間
駅で階段につまずいた昼間の自分を、シャワーを浴びているとふと思い出して、あーっと声をあげることがある。穴があったら入りたいなんて言葉では足りず、別の世界に逃げこみたくなる。
そんなとき、私は本を読む。登場人物に降りかかる災難や心の深い部分に触れると、自分の恥ずかしい失態や悩み事がどれだけちっぽけか気づくことができる。美しい言葉に触れ続けたからか、読んだあと世界の見え方が鮮やかに変わることもある。
短編集を好きになったのは、中学生のときだ。
きっかけは江國香織さんの『つめたいよるに』。この本に収録されている「デューク」という短編が国語の教科書に載っていた。
「私」は飼っていた愛犬、デュークが死んでしまい泣いている。見知らぬ少年がそんな「私」を気遣ってくれたので、お礼をするために一緒にその日を過ごすことになる……。
当時、私自身が愛犬をなくしたばかりだったということもあり一気に引き込まれ、何度も読み返した。少年の優しさや、読めば読むほど感じる切なさに心が震えた。たまらなく大好きだった。
なぜ、この話はこんなにも私を魅了するのか。歌うような言葉やストーリーの素敵さはもちろんだが、それらが短編にすっきりとおさまっていることも大きな理由だったのだと思う。
一話を読み終えるまでたったの十分。その十分間で私は救われた。愛犬のいない寂しさを、つめたいものからあたたかいものに変えてもらったのだ。
「デューク」が『つめたいよるに』に収録されていると知り、私は本屋に走った。
他の話もこどもの夢のフルーツパフェのように、とびきりだった。逆三角形のガラスの器はどこか儚く、沢山のフルーツがここに収まっているなんて奇跡だ、と思う。さくらんぼもシロップの味のみかんの数も少ないかと思いきや、充分。そのくせ、食後の甘美な物寂しさったら。
その贅沢を知り、私はすっかり短編集の虜となったのだ。
山田詠美さんの『放課後の音符』を読んだときは高校生活の真っ最中だった。
恋愛のことがよく分からない私に、この本は衝撃を与えた。十人十色の恋が、余すところなくきちんと詰め込まれている。幼馴染みに自分の恋の香りを悟られないようにする少女や、年上の女性に彼氏を奪われた少女が真っ赤な口紅を塗ってした決別のキスは、自分の周りにある話のようでいてどこか遠く、ドキドキした。
ふらっと立ち寄ったお店で、店員さんに試しに大人な香水を吹きかけてもらう。今はここにあるのに、いつか消えてしまう繊細さ。自分がこんなものを知ってしまっていいのだろうかという背伸び感が、この本にも存分にあった。
たまらなかった。喜びも怒りも悲しみも全て「うっとり」に包みこまれた短編集。憧れの恋愛はこの短編集のなかにある。
憧れでなく日常の恋がしまいこまれているのは、川上弘美さんの『ざらざら』だと思う。
ここに収録されている話は、他の短編よりも更に短めで、読みやすい文で日常を切り取っている。それだけだとなんてことない話に思えるが、間違いであることにすぐに気がつく。どの話も、ハスキーさと重力を持っているのだ。どこにそんな風に思う要因の言葉があるんだろう、と改めて探しても見つけられない。でも、読み終えると切なさに近い感覚に陥る。地元にしかないと思っていたファミレスをふいに見つけた感覚にも近い。なんてことない日常を改めて想うと、心がきゅっとなる。
たった十分間できゅっとしながら、主人公の日々を追体験し世界の見え方が少し変わる。短編集にそっと救われ、私は歌なんて口ずさみながらシャワーを浴びるのだ。
それは「デューク」で少年が心からのお礼を告げたことで「私」がふと前を向けた状況に似ている。
この文章を読み始めて、そろそろ十分。この十分があなたの目の前の世界を少し軽やかに変える何かしらのきっかけとなりますように。
(おおとも・かれん=1999年、群馬県生まれ。女優、モデル)
波 2020年1月号より
著者プロフィール
山田詠美
ヤマダ・エイミ
1959(昭和34)年、東京生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞しデビュー。1987年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、2012年『ジェントルマン』で野間文芸賞、2016年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『ぼくは勉強ができない』『学問』『血も涙もある』『私のことだま漂流記』などがある。