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1Q84 BOOK1〈4月-6月〉前編

村上春樹/著

825円(税込)

発売日:2012/03/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

Qへの階段。見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです――。ここは1Q84年、謎に満ちた物語が降りてくる世界。

1Q84年──私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。……ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて、主人公・青豆と天吾の不思議な物語がはじまる。

  • 受賞
    第63回 毎日出版文化賞 文学・芸術部門

書誌情報

読み仮名 イチキュウハチヨンブックワンシガツロクガツゼンペン
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-100159-3
C-CODE 0193
整理番号 む-5-27
ジャンル 文芸作品
定価 825円
電子書籍 価格 649円
電子書籍 配信開始日 2020/12/18

書評

僕が新宿中村屋にカレーを食べに行ったわけ

又吉直樹

 書店で働く友人が、「詳しくはわからへんけど、村上春樹の新作が出るらしい」と教えてくれたのは2009年の春。売場の平台を大きく空けて用意しているというし、やっぱり出るというウワサは本当だったのかと思いました。その頃の僕は毎日、新宿・渋谷のすべての本屋を巡るみたいな生活でしたから、大好きな村上さんの新作が読めると思って、幸福感というか、ほんまに嬉しかったですね。もちろん出てすぐに『1Q84』BOOK1・2を買いました。必ず貸してくれというやつがいると思って2セット買っときました。もともと村上春樹さんの本は古本屋や新古書店になかなか出ないんです。僕もそうですけど、みんな大事に本棚に入れてるからやと思う。今度の文庫はBOOK3まで出るので、一気に読み直そうと思っています。
 大好きな作家の本って、一行目からわくわくしますよね。『1Q84』の場合は、もう本を開く瞬間から楽しいって感じでした。僕は村上さんの小説は『風の歌を聴け』から読み始めて、『海辺のカフカ』(2002年)、『アフター・ダーク』(2004年)まで、すべて読んでいました。だから、次に出る本が本当に待ち遠しかったんです。実はお笑いのネタにもしてまして……。2003年に作った「野球少年とサラリーマン」というネタは、野球少年役の僕が村上春樹さんの小説の話をひたすらしまくって、最後に「今から次回作が楽しみやねん」と言い、相方が「いったい何の話や」とつっこむ。今でもたまにやるんですけど、野球少年が語る最新作が次々と変わり、今は『1Q84』になってますね。
 小説の冒頭に首都高速で渋滞するシーンがありますが、これから何かが始まるんだという予兆に満ちていて、めっちゃ興奮しました。リズムが良くて、どんどん入り込んでいく感じがたまりません。
 僕はけっこう天吾に感情移入して読んでましたから、彼が新宿中村屋のレストランで可愛い少女ふかえりとはじめて会うシーンはすごく印象的です。『1Q84』を読んだ後、すぐに中村屋に行きました。カレーが有名な店だし、カレー好きとしても前から行きたい店やったんです。席に座ると、久しぶりに会うらしい親子と隣り合わせになりました。30代の息子と60代の母親です。カレーを食べながら、「美味しいね、このカレー」と息子が何度も言い、そのたびに母親が「こんなに辛かったかねえ」と繰り返し答える。それが何だか可笑しくて……。『1Q84』を読んだおかげで、この親子に会えたんかなと妙に感動しましたね。
 中村屋にすぐ行ってしまったように、僕は小説の中で天吾とふかえりが気になって仕方がないんです。17歳のこの女の子の話をもっと知りたい、この子がもっと小説の中に出て来てほしい……。たどたどしい話し方など、とにかく存在感がある。登場人物に思い入れをして読めるというのは、小説の醍醐味だと思います。
 天吾には、どこか自分のことが書かれているような気がしました。小説を書き換えるという怖しいことに直面させられる作家志望の男の葛藤、人間の根底にある魂を売り渡すかどうかのぎりぎりの決断――。自分ならどうするやろか、と思って読んでました。これで飯食っていけるかどうかで葛藤している、芸人のような世界に生きる人間の心理と似てるんですよ。なんで村上春樹さんに、その感覚がわかるんやろうと思って。
 それから、『1Q84』には人間の世界では説明できないリトル・ピープルというのが出てきます。すごく面白いですね。僕は父が沖縄で母は奄美大島出身なんですよ。沖縄ではすべてのものに神様がいるし、死者との距離も近い。僕が墓参りに行く時は、村のユタに連絡して、「明日、又吉家の長男が墓参りに来るのでお願いします」と山の神様に伝えてもらったりするんです。子どもの頃からそういう話を聞いて育ったので、『1Q84』のリトル・ピープルも驚かずに感受できました。この世のものではない何かは、境界線というか、街とか人の端っこに出てくるものだから。
 とにかく、まだ読んでいない人がいるなら、「今読んだほうがいい」と言いたいですね。『ノルウェイの森』の中で、時の洗礼を受けていないものは読んでも意味がないと語る人物が出てきましたが、僕はこの本は、今この時代に読むことに大きな意味があると思います。物語の中にでてきた音楽を聴こうとか、引用された小説を読もうとか、新宿中村屋に行ってみようとか、僕たちに別の世界への扉を開いてくれる小説だと思っています。

(またよし・なおき 芸人)
波 2012年4月号より
(談話をもとに編集部で構成しました)

青豆とその時代

 村上春樹さんの長編小説は、私をいつもわくわくさせてくれます。『ねじまき鳥クロニクル』全3巻を読んだのは仕事で訪れたロンドン。読み始めたら止まらなくて、撮影の合間はもちろん、ホテルのお風呂でも読み続け、2日で一気に読んでしまった記憶があります。夏目漱石の小説もそうですが、村上さんの小説は海外で読むと、とてもしっくり来る感じがするんです。『ノルウェイの森』はヨーロッパに向かう飛行機の中で夢中で読みました。読んでいる最中に、機内のモニターにNorwayの地図が現われた時は、小説の世界とシンクロしているような気持ちになりました。
 2009年5月に『1Q84』が出た時は東京にいて、とにかく出版が待ちきれなくて、発売後すぐに読み始めました。私はJ-WAVEでBOOK BARという本の紹介番組をやっているのですが、リスナーからの反応がすごくビビッドで驚いたのを覚えています。ランキングではずっと1位で、文学が起こすムーヴメントを初めてリアルタイムで感じました。カフェで『1Q84』を読んでいると隣りの人も読んでいたり、電車でも読んでいる人をたくさん見かけたり、社会的な広がりを感じたというか、一冊の本についてみんなで語り合って楽しめることが、私のような本好きにとってすごく嬉しいなと思いました。たとえば1Q84がIQ(アイキュー)84に読めたり、他の言語ではどう発音するのかとか……。いま気がつきましたけどQを小文字のqにすると、「1q84」で、9とqは似ていますから英語圏でも通じますね。こんな風にタイトルでも、語り合う楽しみがある小説ってすごいと思う。
 私は15歳まで世田谷区の三軒茶屋に住んでいて、青山までバス通学していましたから、小説の冒頭に出てくる三軒茶屋付近の風景を想像しながら、一気に『1Q84』の世界に入り込んでしまいました。いまでも、実際にその場所に行ったら、「Qの世界」に行っちゃいそうで怖いです(笑)。
 気になる登場人物は、やはり青豆です。村上ファンの方にはおこられてしまうかもしれないけど、友だちからは「杏ちゃん、青豆っぽいよね」とか「似てるね」とか何度か言われました。主人公としてとても魅力的だと思います。ベージュのスプリング・コートとかグリーンのウールのスーツとか、服装がていねいに描写されていて、見た目がすぐ浮かびます。映像化したら、いったいどうなるのだろうと想像しながら読んでいました。もう一つの小説の軸である天吾の章には謎の少女ふかえりが出てきますが、どうしても青豆が強烈で、圧倒的な迫力がありますね。『1Q84』が映画になるなら、ぜったい「青豆」をやってみたい。そのためには、ヤナーチェックを聴きながら筋トレやったり、拳銃を練習したり、いろいろ頑張らなきゃいけませんね。ハードボイルドだけど、きれいな映像になるだろうし、めちゃくちゃかっこいい映画になると思っています。二つの月も見てみたいし……。
 青豆以外では、麻布の老婦人のボディガード・タマルがいいですね。硬派だけれど物静かでチェーホフを愛読するタフな男。BOOK3に、「腎臓を潰されると一生痛みを引きずることになる」とタマルが相手を脅かす冷酷なシーンがあります。この描写は、私自身が腎臓を痛めたことがあるので妙にリアルで印象的でした。小説的には牛河を忘れてはいけませんが、なぜかタマルは気になるんです。
 青豆がすべり台のある夜の公園を見つめ、月を見上げるシーン。その場面まで読み進んで行くと、青豆と天吾は、1Q84年の世界でもう一度めぐり逢って幸せになってほしいと願わずにはいられません。物語にピリオドを打たない終わり方も素敵だと思いますが、明かされない謎もあるし、BOOK4があると嬉しいなと個人的には思っています。
 この小説に出会って、自分の生きている世界って確証があって成立している訳じゃないんだなという感覚を持つことができました。あるかもしれないし、ないかもしれない世界……。『1Q84』を読んでいる時には、私はよく夢を見ました。「想像しうることはすべて現実に起きうることだ」という科学者の言葉がありますが、どこかにパラレルワールドとか枝分かれした宇宙ってあるのかもしれないと思える、そんな世界を文章で構築した村上春樹さんはすごいと思います。
 なんで自分は存在しているのかと疑問を持ったり、現実の社会を見つめ直すには、少しだけ過去の「1984年の物語」のほうがいいのかもしれませんね。身近でとてもリアリティがあります。1986年生まれの私が知らない東京、青豆が生きる1984年の魔都・東京は、何が起こっても不思議ではない時代だったのでしょうか。

(あん モデル・女優)
波 2012年4月号より
(談話をもとに編集部で構成しました)

1Q84 10歳の子どもたちの物語

岩宮恵子

 この本を読み終わったとき、自分が少し違った人間になったような気がした。「さきがけ」が存在し、17歳の少女ふかえりの『空気さなぎ』がベストセラーになった1Q84年から25年たった200Q年に自分が紛れ込んでいるような感覚が今も続いている。
 この物語は、善と悪、光と影、被害者と加害者など、対立する概念が絡み合い、複雑な入れ子のような構造になっている。とても簡単にあらすじを語れない物語であるが、ここではその対立概念の接点のあちこちに「10歳」の子どものエピソードが置かれていることから考えてみよう。
 天吾にとって、自分の核になる体験は1歳半のときの母の記憶だった。彼にはその記憶の意味するものはわからなかったが、それは、時としてめまいの発作のように身体的な影響を与えて襲ってくるほどに強烈なものだった。しかし、ふかえりの『空気さなぎ』という稚拙ではあるが人の心に訴えかける幻想的な物語に真剣に深くコミットし、リライトしたことがきっかけとなって、天吾には別の記憶が立ち上がってくる。それは、10歳の時の記憶だった。
 天吾の10歳の時の記憶というのは、もう一人の主人公である青豆にかかわるものだ。10歳の時、誰もいない教室で青豆は天吾の手を強くにぎり、じっと目を見つめたのである。青豆にとっても、この天吾との体験の記憶は非常に大切なものだった。いや、それは単に大切だというような言葉で言い表せるものではなく、青豆と天吾にとってその後の自分の人生の起点になるような体験だったのである。青豆はその体験を支えに自分を特異な世界に縛り付けていた両親から離れることを決意した。天吾も初めて父親に自己主張をし、自分自身を生きる方向へと人生の舵をとったのである。つまり自分を傷つけるものであり、他の人との関係を切断してしまうものでもあった父的なものの呪縛(現実の父という意味だけでなく、子どもを圧倒的に支配する力の象徴としての父)に、青豆も天吾も10歳の時に立ち向かっている。
 一方、ふかえりにとっての10歳は、幸せな子ども時代の終焉だった。また、青豆と擬似的な友人関係になるあゆみにとっても、10歳という年齢は兄や叔父から性的ないたずらを受けた年であった。そしてつばさちゃんという「さきがけ」の教祖から性的な被害を受けた子も、10歳である。この人たちの10歳は、圧倒的な力によって損なわれてしまっている。
 10歳は、子どもとしての完成に近づいている年齢であり、第二次性徴を始めとする思春期のさまざまな混乱を迎える直前の臨界点にある年齢であると言っていいだろう。また、ふかえりは17歳であるが、胸だけは美しく大きくなっているものの、他の第二次性徴はまったく訪れず、10歳のままで封印されている。10歳の臨界性をそのまま内包しているような存在なのである。
 青豆と天吾は、どんなに惹かれあっていたとしても、1984では出会うことはできない。いや、自分が相手に惹かれているということすら、1984の世界では思い出すことが難しいかもしれない。青豆と天吾が接点を見出すため、つまり10歳の真実の記憶を現実のものとするためには、暴力に圧倒される10歳の子どもたちの物語が存在する1Q84の世界が必要になってくるのである。
 今を生きている多くの大人たちは、システムに縛られ、個人として考える力を失い、無力感に苛まれ、漠然とした不幸を感じて生きている。天吾は、ここにある世界の過去を書き換えるために、ここではない世界の物語が必要になると考えている。過去の自分の記憶の意味づけが変わるというのは、自分が今生きている世界の意味が変わるということである。
 集合的には1984年という過去の、そして個人的には10歳という子どもとしての臨界点を示す時期の記憶の意味づけの変化が、今の時代を生きていくために切実に必要になっている。ここではない世界の物語を、真実の記憶としてここまで緻密にリアルに照射してくる作品は他にない。だからこそ、自分の生きている世界の意味を少しでも書き換える体験を求めて、人はこれほどまでに村上春樹の物語を求めるのだろう。

(いわみや・けいこ 臨床心理士・島根大学教授)
波 2009年7月号より
単行本刊行時掲載

どういう本?

一行に出会う

ひょっとしたら、と彼女は思う、世界は本当に終わりかけているのかもしれない。(『1Q84 BOOK1〈4月-6月〉後編』105ぺージ)

著者プロフィール

村上春樹

ムラカミ・ハルキ

1949年京都生れ。『風の歌を聴け』でデビュー。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』などの長編小説、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』などの短編小説集がある。『レイモンド・カーヴァー全集』、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』、ジェフ・ダイヤー『バット・ビューティフル』など訳書多数。

村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイト

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