僕の云いたいのは、一つのものごとを進めるためには、本筋以外の欲を出さんことと、甘っちょろい自己表現やセンチメンタルを持たんことだす
――八代銀四郎
『女の勲章』
つまり、虚栄が虚栄を生んで、自分のじかな生活や心を失っては、人間の幸福なんて、なくなるわ
――伊東歌子
『女の勲章』
一度、名声や事業欲に取り憑かれた女は、執念や業みたいなものに縛られて、そう簡単に自分の得たものから脱け出せるものやおまへん
――八代銀四郎
『女の勲章』
先生だって、ご自分のささやかな幸福より、銀四郎さんの手腕を借りて、より以上の名声を得ようとなすっていらっしゃるじゃありませんか
――津川倫子
『女の勲章』
情熱は激しく燃えて消えてしまうものですが、愛情というものは、燃えずに人間の心の奥深くに、静かに変らず育んで行くものです、それがほんとうに人を愛する心でしょう
――白石教授
『女の勲章』
母親たるあなたがそんな風だから、万俵家の閨閥は、美馬や高須のような、万俵家とは元来、何のかかわりもない他人に介入され、勝手にいじくり廻され、その挙句、一人一人が皆、不幸になって行くのよ
――石川千鶴
『華麗なる一族』
あの人には万俵家という化けもの屋敷じみた血が流れているわ
――万俵万樹子
『華麗なる一族』
羨ましいわ、やっぱり結婚は自分で選んだ人とするものね
――万俵三子
『華麗なる一族』
本は私自身だ、本の重さと本の内容が解らないような人間は、私の家族ではない
――倉田玲
『ムッシュ・クラタ』
小学校から星条旗に忠誠を誓い、『合衆国よ永遠なれ』と心の底から国歌を唱い続けて来たこの私は、アメリカの敵だったのでしょうか――
――井本梛子の手紙
『二つの祖国』
あなたが日本人だと解っていたら、愛など抱かなかった、許せないわ
――趙丹青
『大地の子』
どうか、皆さん、同じ日本人である私たちを、三度も、見捨てないで下さい! 三度も!
――戦争孤児
『大地の子』
ほう、品位? そんな一銭にもならんものまで、欲しがりますのんか
――財前又一
『白い巨塔』
君は、せっかく優れた実力を持ちながら、学問以外のことに興味を持ち過ぎるよ
――里見脩二
『白い巨塔』
僕は無理をしたり、妙な画策をしたり、自分の良心を失ってまで教授になりたいとは思わない
――里見脩二
『白い巨塔』
神を畏れ、神に祈るような敬虔な心で、患者の生命を尊重する心がなくては、医療に携わることは許されないはずだ
――里見脩二
『白い巨塔』
お仏壇も、お位牌も持たして戴けまへん私が、せめて、旦那さんのお写真だけを祀らせて戴くことも、お許し戴けまへんのでおますか
――浜田文乃
『女系家族』
本家から分けていただいた浪花屋の暖簾が抵当だす、大阪商人にこれほど堅い抵当はほかにおまへん、信じておくれやす、暖簾は商人の命だす――
――八田吾平
『暖簾』
ほかに何もお願いすることおまへんが、あの工場の中だけは大事に使うておくなはれ、あれはあんたみたいに軍需成金の波に乗って手に入れたもんやない、わいの一粒、一粒の苦しみから出来(でけ)たもんだす
――八田吾平
『暖簾』
人間は休む時の度胸が、一番大事や、気の小さい奴は、どかんとよう休まんやないか、ゆっくりおおきゅう休むもんやぜェ
――八田吾平
『暖簾』
わいはまた、暖簾のない商売はようせん、暖簾を抵当にして商売の金借りた人間や、日本中で何処にこんなこと出来るとこがあるねん、大阪の船場だけや
――八田吾平
『暖簾』
やるからには本気でやっておくれやす、やらん先から失敗すること考える阿呆おますかいな
――河島多加
『花のれん』
男がやって出来(でけ)へんことも、女が形振(なりふり)かまわんとやったら出来ることもあると思いますねん、男はんみたいに見栄やむつかしい顔がないさかい、かえって女(おなご)の方が強うおます、やってみまひょ
――河島多加
『花のれん』
多加は今になって、女というものは誰かに愛されているか、愛しているかでなければ、ひたむきになって働けないことを悟った。そして、女のずるさを思い知った。
『花のれん』
喜久ぼん、気根性(きこんじよう)のあるぼんちになってや、ぼんぼんはあかん……男に騙されても、女に騙されたらあかんでぇ……
――河内喜兵衛
『ぼんち』
商いして、儲けては費(つか)い、費うては、また商いして儲ける。女房なしの独り身で、爺(じじい)ではのうて、金があって、これで遊ばんのは嘘や
――河内喜久治
『ぼんち』
道楽いうもんは、幇間になり下がるまでやるもんやおまへん、女の道で散々苦労して、なんぞ人にものを考えさせるような人間にならんとあきまへん
――つる八
『ぼんち』
わては、女でも、あの川を渡って船場の御寮人さんと云われるようになりたい思うてまんねん――
――久女
『船場狂い』
一銭でも儲かることやったら何でもしいや、そないせんと銭は溜まれへん
――山田万治郎
『しぶちん』
一人の人間の評価は、たまたま起った一つの事柄や事件によって、そうたやすく塗り変えられるものではないという、厳しい人生への提示であった
『遺留品』
以前にお答えした通り、補償で息子たちは生き還らない、もはや私を支える何もかも失くなり、私の人生は終ったのです
――坂口清一郎
『沈まぬ太陽』
機長が、アンコントロールと叫んだ後、『これは、だめかもわからんね』と云うところがあったでしょう、あんな淋しい、人間の絶望の声を聞くのは、はじめてです
――恩地元
『沈まぬ太陽』
別に――ただ、次の第二の人生だけは誤りたくない、いや絶対、誤ってはならぬとそう考えているものですから、つい……
――壹岐正
『不毛地帯』
どんなことがあっても生きよ、生きて歴史の証人になることが、使命なのだ
――谷川元大佐
『不毛地帯』
マッカーサーの手紙一本で作られた自衛隊を、日本の国民に支持される自衛隊にしたいという理想を持って入ったのだ
――川又伊左雄
『不毛地帯』
壹岐君、君が大本営参謀だった時、君がたてた作戦で、何千、何万の兵が死んだことがあるだろう、その時、君は退職願を書いたか
――大門一三
『不毛地帯』
無限の恨みを残し、それぞれ多くの可能性を持ちながら未完成のまま死んで行った部下たちに代って、生き残った私が一つ完成の道を極めなければという思いで、天台宗の教えに入ったのです
――賢澄
『不毛地帯』
あんな心身ともに極限状態の生活をしていた時のことが懐かしく、今のように物資は豊かでも、精神的な不毛の中に生きる方が、生き辛いと話し合っていたんだ
――谷川元大佐
『不毛地帯』
第二次大戦は、石油で始まり、石油で敗れました、それだけに私は、曾て武力で得ようとした石油を、日本の将来のために、平和な形で得ようとしているのです
――壹岐正
『不毛地帯』
あんたのように世界中をまたにかけ、一流企業の人間、一流のビジネス、一流の品物を見て来た人が、いたずらに老醜を曝して、職場から墓場へ直行するようなたわけたことをしたらいかん
――鬼頭勘助
『女の勲章』
生前完結した最後の長編小説『運命の人』は、単行本・文庫ともに4巻組で発売されたうち、最後の4巻目が〈沖縄編〉にあたる。そこでは、沖縄返還に際しての日米密約をめぐる外務省機密漏洩事件で最高裁まで争った末に上告が棄却され、有罪が確定した弓成が、失意のうちに沖縄の離島・伊良部島へたどり着くところから物語が始まる。弓成は身元を隠したまま3年間をひとり暮らし、周りの島民たちと接する日々のなかでしだいに傷を癒していく。
本ガイドブックでは、その後弓成が移り住み、以後の物語のメインの舞台となる沖縄本島・読谷村の地図を掲載している。これは山崎が沖縄編執筆のための取材に用いたもので、書き込まれた施設や地名は、作中で弓成が沖縄の現実を知るカギとなる重要なエピソードの舞台となっている。
作家はなぜ、この村を主人公の再起の地に選んだのか? 地図と『運命の人』本文、そして取材記を見比べつつ、検証したい。
まず、読谷村に移住して最初のエピソードとなる十四章・チビチリガマ。ここで弓成は、沖縄戦で起こった住民の集団自決という痛ましい歴史を知る。証言を残すことの難しさの問題を描く、必読の章だ。
チビチリガマが集団自決の現場としてよく知られるようになったのは、終戦から三十八年後のことだった。
「えっ、それまでの三十八年間、解らなかったのですか」
これだけの大惨事が、という思いで聞いた。
「生きのびた者もいるのですから、おおよそのことは知っていましたよ、しかしこのあたりは部落内での結婚が多く、住人は濃い血縁関係で結ばれているため、誰かが何か云えば親族同士で傷つけ合うことになりかねません、二度と思い出したくないという一念で、残された者は口を閉ざし、ひそかに三十三回忌も済ませたのです、チビチリガマの集団自決はそのまま永久に埋もれて行くのだと誰しも思っていたはずです。(以下略)」
ガマ(洞窟)の中の暗闇を歩く弓成の脳裡に、読谷村役場で閲覧した遺族の証言集の言葉がよみがえる――。
山崎は沖縄取材で、沖縄戦の証言の聞き取り調査を長年にわたり続けている沖縄史家の大城将保さんに話を聞き、南城市玉城にあるアブチラガマへも訪れていた。
実のところ、大多数の県民は、長く戦中の経験を詳しく語らず、日本軍に対する憤りも胸にしまい込んでいた。(中略)
「だから復帰後、私たちが聞き取り調査をすると、黙っていた思いが噴き出し、生の歴史が今なお各市町村の戦史編纂室によって綴られ続けているのです」
(『山崎豊子 自作を語る 作品論 作家の使命 私の戦後』「『運命の人』沖縄取材記」より)
大城将保さんとアブチラガマで。
読谷村役場にて。
十五章では糸満市にあるひめゆりの塔へ、十六章冒頭では宜野湾市の普天間基地や嘉手納町の“安保の見える丘”へと赴いた弓成は、読谷へ戻り、ガラス工房にいる謝花ミチを訪ねる。琉球ガラスは、戦後のアメリカ占領下で、コーラ、ビール、ウィスキーなどの廃瓶を原料として作られるようになったものだ。
「アメリカ文化が戦後の沖縄で溶かされ、沖縄文化を創るとはねぇ」
地上戦ですべてを失い、戦後も米軍の統治下で辛酸を舐めて来たウチナーンチュ(沖縄人)のバイタリティに圧倒される思いだった。
母親が米兵におそわれて生まれたという暗い出生の過去を持つ混血のミチもまた、戦後沖縄の複雑な状況によって生まれた、美しい女性だ。
地図を見ると、ミチの働くガラス工房は、観光名所として名高い「やちむんの里」のすぐ近くに設定されている。
台地の東には嘉手納弾薬庫の基地が広がっているが、近年、一部、返還になった土地を読谷村が丸ごと買い上げ、沖縄の伝統工芸の文化村とする構想を打ち出した。占領者に対等に伍して行くのは、沖縄文化であると着想し、まず招致したのが伝統のある陶芸であった。首里や那覇の住宅密集地で、窯から大量に出る煙に気兼ねをしなければならなくなった窯元は、新天地を求めるように移って来、人間国宝となった名人の窯も新たに作られている。
次いで読谷伝統の花織りの機屋が集って来、稲嶺のガラス工房もその一連の動きの中で宜野湾から移って来たのだった。
この後、弓成とミチは座喜味城跡へ向かう。ここは琉球王国統一以前に建てられたグスクで、第二次大戦中には日本軍の高射砲陣地が、のちに米軍に占拠されてからはレーダー基地が作られた歴史を持つ。城壁の上からは、通称、象のオリと呼ばれている米海軍の楚辺通信所が見え、その右手方向に位置する嘉手納基地をミチは“合衆国カデナ町”と紹介する。
沖縄を歩けば基地にぶつかり、基地を歩けば戦跡にぶつかる。読谷はまさに沖縄の縮図であり、座喜味城址は基地と戦跡の接点でもあった。
物語はそれから十七章で宜野湾市伊佐浜の土地闘争、十八章・十九章で1995年に起きた米兵による少女暴行事件と県民集会、二十一章では2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件と、戦後沖縄の主要な事件を次々に描いていくが、それらの事件の背後にある、沖縄の「日常」に今なお埋まっている一見するだけでは分からない複雑な歴史・文化を弓成が知るには、ガマ、証言集を保管する役場、返還地を活用した芸術村、戦跡、そして軍用施設を擁する読谷村という舞台が欠かせなかった。
山崎は、本作を書き上げた後に記したエッセイで、このように振り返っている。
元記者である主人公は、沖縄の市井の人々と交わり、その話を聞いて、ノートに書き溜めていきます。取材して書くことを通じて、彼はどん底から這い上がっていく。沖縄の戦後史を辿るような証言を積み重ねていくスタイルをとったのは、最高裁判決が下りた後という動かしがたい時代設定があったせいですが、根っからの記者である主人公が、生きる気力を取り戻すのは、やはり取材して書くことを通じてしかないだろうと考えたからです。
(『山崎豊子 自作を語る 作品論 作家の使命 私の戦後』「沖縄への旅が私を変えた――『運命の人』と私」より)
*
そもそも山崎は、この村に主人公を住まわせることを早くから決めていたそうだ。
沖縄地上戦で米軍が十八万三千名の圧倒的兵力を以って上陸したのが読谷、北谷の海岸線だと知った時、小説の主人公が離島から本島に移り住む土地はここだと、心に響くものがあった。
(『山崎豊子 自作を語る 作品論 作家の使命 私の戦後』「『運命の人』沖縄取材記」より)
それに加え、読谷村に住む渡久山朝章さんに出会い、取材したことが大きかった。渡久山さんは沖縄戦当時、師範学校予科の生徒で鉄血勤皇隊に、奥さんのハルさんは女子師範本科生でひめゆり学徒隊に編入され、日本軍と行動を共にするも戦場に置き去りにされ、米軍捕虜として生きのびた過去をもつ体験者だった。
作中で、あてもなく沖縄へたどり着いた弓成を看病し、本島に移住してからの住居に自宅の離れをあたえて彼を支えていく、沖縄編つうじての恩人・渡久山朝友のモデルは、この渡久山さんだ。
山崎は渡久山さんから悲惨な戦争体験はじめ、捕虜としてハワイへ連行された話、戦前の沖縄での皇民化教育について、戦後は教職につき机も椅子もない米軍テントの中で授業をはじめた話など、さまざまな話を聞いた。
帰り際、門まで見送って下さった渡久山さんに、小説の主人公をこちらの一隅に住まわせて下さいませんか、とお願いした。え? と渡久山さんは戸惑われた。
小説上、離れに住むことによって、渡久山さんと即かず離れずの形で、“沖縄の心”を聞かせたいのです、と云うと、
「いいでしょう、小ぢんまりとした部屋を用意しておきますよ」
茶目っ気半分に、渡久山さんは温顔を綻ばせて、承知して下さった。
(『山崎豊子 自作を語る 作品論 作家の使命 私の戦後』「『運命の人』沖縄取材記」より)
山崎の読谷村地図に、最後のピースが嵌まった瞬間だった。
(1924-2013)1924(大正13)年、大阪市生れ。京都女子大学国文科卒業。毎日新聞大阪本社学芸部に勤務。その傍ら小説を書き始め、1957(昭和32)年に『暖簾』を刊行。翌年、『花のれん』により直木賞を受賞。新聞社を退社して作家生活に入る。『白い巨塔』『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』『沈まぬ太陽』など著作はすべてベストセラーとなる。1991(平成3)年、菊池寛賞受賞。2009年『運命の人』を刊行。同書は毎日出版文化賞特別賞受賞。
〈全作品案内〉や〈映像化作品徹底紹介〉〈担当編集者座談会〉に加え、山崎ドラマでおなじみの豪華俳優陣たちも特別寄稿。
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