女による女のためのR-18文学賞

新潮社

第10回受賞作品
受賞の言葉

王冠ロゴ 大賞受賞

田中兆子

「べしみ」

田中兆子(たなか・ちょうこ)

1964年富山県生まれ。東京在住。9年間のOL生活を経て専業主婦。

受賞の言葉

 数年前、『神話的時間』(鶴見俊輔著)を読んで「癋見」という言葉を初めて知り、その語感にひかれ、いつかこの言葉を使った“何か”を書きたいと思いました。能面の名前であることを知りながら、能や能面について調べることもなく、ただその「べしみ」という音の連なりが妙に心に引っかかったのでした。
 その後、「癋見」になぜひかれたのかも忘れてしまい、言葉だけが残りました。それからまた時間が経ってようやく「小癋見(こべしみ)」という能面を知り、しばらくしてこんな小説になりました。
 女性器が人面瘡になるという小説が過去にあったことを不勉強のため知らず、小学生のときに読んだ少女漫画の一篇、恐怖漫画の女王・高階良子先生の描かれた、女性の肩のあたりに出来た人面瘡のイメージが作用し、それと「癋見」がいつのまにか一体化していました。
 もし、「癋見」がこの小説を読んだならば、そのとんでもない使われ方に、その名のついた面の如く「憤怒の激情を渦巻かせながら」私を罵倒することでしょう。私は平伏して懇謝し、また、あなたのおかげでこれを書くことができたうえに、賞までいただけましたと感佩(かんぱい)します。しかし、やおら頭を少し上げ、「癋見」を見つめながら「でも、高尚な能の世界から下世話な性の世界に飛び出して、ちょっと楽しかった、って思ってもらえるとうれしいのですが」と余計な一言をつけくわえるのを忘れません。こんなことだから、言葉に恋焦がれているのにすげなくされ、いつも翻弄されているのでしょう。
 同郷の堀田善衞先生が初めて文学賞を受賞された際に、
「前途は茫洋としている」
 という言葉を残していらっしゃいます。
 堀田先生の前途が茫洋としていたなら、私の前途は真っ暗闇じゃあござんせんか、と思いつつ、私には見えているひとすじの淡い光を頼りに、一歩ずつ進んでいきたいです。