新潮社

試し読み

羽田圭介『滅私』

 ある物が、視界の中で僕の気にさわっている。
 玄米に焼き鮭、味噌汁の朝食をとったあと、ワンルーム内のシングルベッドに座り歯を磨きながら、それを見てしまう。
 空気清浄機能を備えた、羽根のないサーキュレーターだ。数ヶ月前にじゅうぶんコンパクトな物を吟味し買ったつもりだが、空調の必要がない春という季節柄、日ごとにその存在の意義を、己の目が問うてしまう。物自体が不要に思えるし、なにより、それが目に入る度に要か不要か意識がいってしまうことそのものは、間違いなく不要だ。冷静に判断すると、夏に扇風機代わりに使うこともあるため、気にしないまま春を乗り切るべきだろう。
 海外展開もしているシンプルデザインの既製ブランド「禅品質」の名作リュックととてもよく似てしまっている、僕自身が監修した「MUJOU」ブランドの軽量ナイロンリュックに、同ブランドの小型革財布、一三インチMacBook Pro、iPhone、SONYの小型ミラーレス一眼カメラを入れ、玄関へ数歩歩いた。
 家に二足だけある靴のうち、ナイキの黒いローカットのエアフォース1を履くと、八階建てマンションの内廊下に出る。三階ということもありエレベーターは使わず、運動を兼ね非常階段から一階へ下りた。
 出勤ラッシュが終わった時刻だからか、道行く人々の姿は多くない。道路を走る車の量は多かった。僕は徒歩一〇分ほどのところにある最寄り駅へは向かわず、住宅地の奥へ歩いて行く。一軒家や小規模マンション、アパートが密集している渋谷区内のその道は、日が差さず暗い。やがてコインパーキングに着いた。
 ホンダのコンパクトカー、フィットの前に置かれたポールを端にどかし、運転席近くに寄る。スマートフォンからカーシェアアプリの操作を行い、オンラインで開錠させた。ETCカードを挿入口に入れカーナビに目的地の住所を入力し、出発する。
 東京都心だと、コインパーキング自体が狭く不人気な土地に設置されている場合が多く、その中でも、車の出し入れがしにくいレーンがカーシェア用途に割り当てられる。クリープ状態で何度もハンドルを切り返しようやく敷地の外に出てからも、一方通行の狭い道をしばらく徐行速度で進んだ。
 一八平米ワンルームの狭さと引き替えに、公共交通機関網が張り巡らされた都心に住んでいるのだから、普段の移動は電車やバスでじゅうぶんだ。会う相手が車でないと行きづらい場所にいる場合は別だ。ガソリン代や高速料金を除き、一二時間以内の利用料自体が七〇〇〇円以内で済むのであれば、カーシェアも高くはない。それに、普段は道の両端を歩く歩行者の視点でしか見ていない自宅近くの道を、道のほぼ真ん中の視点から見るのも、新鮮な風景に見えて好きだ。
 幡ヶ谷から首都高速に入り、湾岸方面へ向かう。地下から上へ向かいぐるぐる回るジャンクションを通りしばらくすると、真っ直ぐな東京湾アクアラインに入った。
 僕と年齢の近いこん夫妻は半年ほど前、千葉県内陸にわずか六坪のログハウスを建て、東京から移住した。タイニーハウスと呼ばれるもので、維持に金のかかる広い家よりも、狭いが維持費も安く居心地の良い家を選ぶという、リーマンショック以降のアメリカで流行りだした文化の影響を受けている。紺野夫妻とのつきあいは、僕が自身のサイト運営をしながらも編集プロダクションにいた頃に取材で出会って以来だから、二年ほどになる。
 海中の高速道路を走っていると前方に白い明かりが見えてきて、目を細めながら外界に出る時、産道から出るような心地にも陥った。海に開いた口のようになっている海ほたるから、海上をわたるまっすぐな道を千葉方面へ進む。離陸した飛行機の窓から見ると、東京湾をはさみ位置する東京と千葉の両岸の近さには、毎度のようにわずかながら距離感の狂いを感じたものだ。商社時代に見慣れた風景が、今も脳裏に焼きついている。

 先々週に訪れたときよりも、“村”の開発は進んでいた。紺野夫妻のタイニーハウスのすぐ近くに建てられた、木造の期間限定カレー店の工事が完了した影響が大きい。家こそ狭いが四〇〇坪も購入したタイニーハウスの敷地と異なり、カレー店の土地は借地だ。元は住宅設備メーカーの社員だった紺野しげるは、ここ千葉県内の建設会社と東京のPR会社とうまくコラボレートし、期間限定カレー店の出店までこぎつけた。
さえさん、もうカレー食べました?」
 あい夫人から僕は訊かれるも、そばにいた三〇代半ばのPR会社の男から、試食はインタビューのときまでとっておきましょう、と言われた。PR会社が連れてきたカメラマンが木造の店内で撮影の準備をしているのが、開かれた出入口越しに見える。外の自立式ハンモックには茂が腰掛け、電話していた。
 人の良さそうな顔をしてビジネスではかなりの豪腕を発揮する紺野茂のように、僕はカレー店にこそ関わっていないものの、グッズ製作で一枚噛んでいた。茂が座っている、木のフレームの自立式ハンモックがそれだ。“ソファーより自由でクリエイティブなハンモック”をコンセプトに、家具のOEMメーカーにもちかけ、「MUJOU」ブランドの商品として作りあげた。細く硬い木の質感にこだわった。たいてい、スチール製等安っぽい素材のものが多いが、日本の狭い住宅にも置ける、それでいて日常的な鑑賞にも堪えうる外観に仕上げた。アウトドア利用もできるし、アウトドアに幻想があっても実際は狭いタコ部屋で過ごすしかない都心生活者のニーズにもこたえられる。引っ越すのに楽な家具は、良い家具だ。
 今回のていだん記事は僕の運営するサイト「身軽生活」に載せるものがメインで、「MUJOU」商品の宣伝でもある。魅力的な記事がネット上で拡散しページビュー数が増えれば、商品の宣伝になるだけでなく、ページビュー数に連動した広告費も入る。
 やがてカレー店のステンレステーブルを囲み、鼎談が始まった。
「そうです。自分で言うのもなんですが、会社員時代はそれなりに優秀な社員だったので、金銭的な不自由はなかったんですよ。そのかわり、遅く帰ってきては妻に自分勝手な態度で接したりもしてしまって……。それを埋め合わせるように、休日には旅行や外食、買い物なんかによく行ってましたね」
「だから、マンションの中がショップの紙袋や物であふれかえっちゃって。同じ物をまた買ったりもしてたよね」
「あったね。物が沢山あるから、その時必要な物を探すのに毎日一時間くらいかかっていました」
「せっかく高い家賃を払ってそのマンションに住んでたのに、家の中ではだんだんリラックスできなくなってきて。そのせいか、私も夫に強く当たっちゃう日も出てきたりして」
 鼎談中に発された茂の発言に対し、愛が言葉を続ける。三四歳と三二歳の紺野夫妻は、こういう言葉を発することに慣れていた。
「家賃とかカードの支払い、あとは将来の貯蓄のことを考えると、仕事に精を出すしかなくて、そうするとまたそのストレスを発散するように買い物、っていう悪循環で……。でも、あるときふと、気づいちゃったんですよね。家や車といった、物のためにあくせく働いているなぁ、って」
「そうなんです。物に支配されていることに、気づいちゃったんですよ、私たち」
 司会の僕だけでなく、鼎談相手である若めの建設会社社長、近くにいるPR会社社員もうなずく。
「それと、東北の震災のときにテレビで中継されていた映像が、強烈に僕の頭に残っているんですよね。津波で家や車が流されていくのを見て、ああ、物は簡単に流されちゃうんだ、って。だから、徐々に不要な物を処分してゆくのに、意外と抵抗はなかったですね」
「悟っちゃったんで、タイニーハウスにはテレビも置いていません」
 話題は、千葉の木造タイニーハウスを作って以降へ移った。
「家自体は以前住んでた東京のマンションより狭いんですが、余計な物がないので、効率的に暮らせて便利ですよ」
「ドアを開けたら外には自然が広がっていて、洗濯物を干すのも気持ちいいし」
「会社員時代より収入は減っていますが、今のほうが人生が百倍充実しています。ここへ越してきてわかったのは、物ではなくて、やっぱり経験が大事っていうことです。心が満たされる生活ができるのなら、極端な話、年収一〇〇万円台でもやっていけますよ。物を減らして身軽になり、好きな場所で好きなように生きられるよう、経験重視の人生にシフトすれば、人生が拡大します」
 やがて、タイニーハウス建築を請け負って以来紺野夫妻とのつきあいが生まれ、今回のカレー店出店で資金の大半を負担した建設会社の社長の発言も増えていった。
「……本当に、紺野さんご夫妻との弊社でのお打合わせは、カフェで談笑しているかのような雰囲気で進んでいきましたものね」
「金属やビニールの建材と違って、手入れは必要でも肌触りからして愛せる木の家は、やはり魅力的で。自然に還る家っていうゴーハウスさんのコンセプトが、エコの観点からもとてもいいなと思ったんですよね」
 紺野茂が自らすすんで、求められている言葉を発した。エコロジーの観点から見れば木はそれほど良い建材でもないことを、僕は編集プロダクション時代に得た知識で知っている。解体した木造家屋の廃材は、燃やすしかない。再利用しやすい鉄を多用した家のほうが、よほどエコロジーだ。

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 カレーを食べ、各々から感想をもらうと、鼎談は終了となった。
「冴津さん、よろしければこれを」
 PR会社の男が、Tシャツ二枚と紙袋をさしだしてきた。緑色のTシャツを開くと、太く黄色い直線で一軒家の絵と「GO HOUSE」の文字がプリントされていた。
「これ、ゴーハウスさんと共同で作りまして。宣伝で使ってくださると幸いです。それとこちらは、弊社の別のプロジェクトで作った、ジューシーメロンパンのセットです。お荷物になるかもしれませんが」
「ありがとうございます! おいしそうですね」
「そうなんですよ。ただあまり日持ちがしないので、早めに召し上がってください」
 建設会社とPR会社の人たちが去った後も、僕は紺野夫妻とタイニーハウスでしばらく談笑し、午後三時過ぎにようやく帰路へついた。
 築二〇年、一八平米のワンルームに帰りついてすぐ、僕はさっきもらったばかりのジューシーメロンパンの箱を開ける。薄い黄緑色のふっくらとしたそれを一秒見るか見ないかで、口をつけず中身を全部ゴミ箱に捨て、オリジナルTシャツ二枚は畳んであるのを開きもせず捨てた。
 愛着が湧く前に捨てる。それが鉄則だ。
 どうせ捨てる物を手元に置いておき、捨てる罪悪感がなくなった頃に捨てるのであれば、罪悪感を覚えながらすぐ捨ててしまったほうが、くれた人や物のためにも良い。痛みをともなう行為は記憶に残るため、その物が浮かばれるし、無用に手に入れたりという同じ過ちを繰り返さないよう、気をつけるようにもなる。
 手を洗いながら、さすがにジューシーメロンパンという食べ物を粗末にしたことには、感じるものもあった。こういうときこそ、理性的になる必要がある。小麦粉と砂糖の塊である高カロリーのお菓子を食べれば、太る。太らないよう運動したとしても、時間を奪われる。体内のミトコンドリアでカロリーを燃やすのも、ゴミ焼却場でパンを燃やすのも、どこで燃やすかの違いに過ぎない。より無駄が少ないほうをと考えたら、そもそも体内に入れず捨ててしまうべきだ。人生の時間は、限られているのだから。
 黒ストレッチジーンズ、ジャージ素材のグレージャケットを脱ぎ衣類ハンガー掛けに掛けると、脱いだ白シャツを洗濯機上の洗濯カゴに入れた。洗濯カゴには、今日着たのとまったく同じ白シャツや下着が入っている。ストックが少ないため、三日分たまったら洗濯する。衣装ケースは下着類用の小さなものが一つだけある。キャスターのついた衣類ハンガー掛けには普段、白シャツ三着、黒いダウンジャケットにグレーのストレッチジャケット、黒ストレッチジーンズ、黒ハーフパンツが掛けられているだけで、それが僕の所有する外出着すべてだ。滅多に着ないスーツはレンタルで済ませている。いつも白か黒かグレーの同じ服しか着ていないわけだが、他人からそのことを指摘されたりはしない。人は、他人のことなんかろくに見ていやしないのだろう。
 白Tシャツとグレーのスウェットパンツに着替えた僕は、乾燥機能付きドラム式洗濯機をまわす。できるだけ物を持たずに暮らす志向の中にも様々な流派があり、洗濯機を所有する、しないの違いは、リトマス試験紙のような役割を果たした。
 洗濯機という場所をとる大型家電の存在感に耐えられない人の中で、クリーニングや洗濯代行サービスに頼む派がいるいっぽう、洗濯板で手洗いする派もいる。手洗いには時間がかかる。洗濯に費やす時間の無駄をなくしたい人たちは、洗濯機を所有する。時間に対する考え方の違いが、そこにはあった。似た大きさの冷蔵庫に関しても同じことがいえる。その二つを持つ、持たないで、流派は大きく分かれた。僕は小さめの冷蔵庫を持っているが、最近、本当に必要かどうか、疑っている部分もある。継続して、考え続けたい。
 長方形型ワンルームの奥に、ウォールナット天板とステンレスフレームのデスク、人間工学に基づき作られたハーマンミラー社製のアーロンチェアが置かれている。両方とも一〇万円前後した。物が少ないからといって金を使わないわけではなく、所有物を限定しているからこそ、高価でも長く使えそうな良い物をそろえている。
 リュックから取り出したMacBook Proに、写真や音声データを取り込みながら、アーロンチェアに腰掛け部屋を見渡す。ベッドにフライパン一つ、鍋一つ、皿八枚、デュラレックスのタンブラー二つ、箸やフォークといったカトラリー類が各二人分、オールデンのローファーに、折りたたみ傘一つ、バスタオル代わりにもなる大きめのフェイスタオル六枚……視界に入っていない物も含め、僕は自分が何を持っているか、ボールペンの本数にいたるまで、すべて把握している。机周りやユニットバス、玄関等、場所ごとに順に思いだしていけば、とりこぼしもない。
 自分の所有物をすべてリスト化しておくのは、基本だ。できれば頭の中に記憶しておくのが望ましい。持っているかどうかの照合のためわざわざリストを見ること自体が、無駄だからだ。
 意識せずとも、どうしても目が、羽根無しサーキュレーターにとまってしまう。六月にでもなれば使うだろうが、この狭い部屋では、クーラーの効きだって良い。窓を開けサーキュレーターの風で涼しさをえることに、こだわらなくてもいいのだ。サーキュレーターをなくせば、そのぶんのスペースは空く。そちらのメリットのほうが大きいかもしれない。
 極論をいってしまえば、それがなくても生きてゆける。
 このような思考回路だからこそ、買い物にも慎重だ。最近はアイロンとアイロン台を買おうか迷っているが、それらがなくても生活はまわっているし、結局出番が少なくて捨てるときを想像すると、やはり買えない。そもそも根本的に、アイロンがけが必要な服を着なくても済む人間関係の中で生きるようにすれば、このような迷いすら捨てられるだろう。
 インターフォンが鳴った。宅配業者から小さめの段ボール箱二つを受け取った僕は、ベッドの上で開封する。一つは編集プロダクション時代に世話になった年上の女性編集者からで、「内祝」の紙が貼られたギフトボックスの中に、切子のワイングラスの赤と青が一つずつ、対で入っていた。彼女が高齢出産で無事に男の子を産んだことへの祝いに、僕はブランド物のベビー服を贈っていた。内祝いは厳禁でと伝えてあったが、律儀にお返しの品を贈ってきた。僕としてもその気遣いは尊重するものの、運営するサイト「身軽生活」の内容や監修している「MUJOU」ブランドのコンセプトを、無視されている気がしなくもない。
 赤と青の切子ワイングラスは薄く、見事な工芸品だ。自分では買わない華やかな工芸品を見るのは、気持ちが豊かになる。しかしこれを箱から出し、一口コンロしかない狭い台所のどこかに置いたら、どうなるか。赤と青のグラスは、空間からひどく浮く。どちらかが割れたり欠けたりして対でなくなれば、片方もよけいに場違いな存在感を放つだろう。
 箱から出さずにこのまま売ったりあげたりする考えが頭をよぎるが、はたしてこれを大事にする人がいるだろうか。一時的に使ったとしても、そのうち捨てて、買い換えると思う。つまりどうせ次の人も捨てるのだ。物を捨てられない性格の両親にあげても、箱のままとっておかれ、両親が老人ホームに入るなり死後の整理をする将来、所有物の処分をするのはおそらく自分だ。
 捨てを先送りにしても意味がない。どうせ捨てるこの物の生殺与奪を他人任せにするのは、甘えだ。せめて捨てる痛みを自覚し、己の手で迅速に処分すべきだ。幸いなことにグラスは、素材としてリサイクルしやすい。マンションのゴミ置き場にあとで持っていくため、僕はグラス二つをビニール袋に入れ、箱も折り畳み玄関に置いた。
 もう一つの箱の差出人にはビルの名前と所在階までが印字されている。千代田区神田という住所からして、仕事でやりとりのあったなにかの媒体からだろう。箱の中には紙を丸めた緩衝材がしきつめられており、かきわけると、とある物があらわとなった。
 B5判ほどの薄く小ぶりな額縁の中に、白黒の写真がある。どこかの展示会から送られてきた記念品だろうか。はるか上空から東京湾を写し白黒反転させた写真かと思いかけた次の瞬間、ぼやけた像の正体に気づいた。
 胎児の、エコー写真だ。
 写真の余白部分には、「AYANE&TAKESHI?」と印されている。
 平衡感覚がおかしくなってきた。
 誰だ?
 これを送ってくるとは、どういうことだ?
 伝票に記された住所とビル名で検索してみるが、心当たりのある法人名や個人名は出てこない。
 脳裏に浮かんでくるのは、東京から山々を隔てた先にある、山梨での光景であった。
 編集プロダクションで働き、ウェブサイトやブランドの運営をしている今に至るまで僕は、冴津たけという本名でやってきた。このご時世にペンネームも使わず、随分と不用心だったかもしれない。そのことを、認めざるを得ないだろう。こんな物を送りつけられてしまっては。

続きは本書でお楽しみください。

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