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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第100回 虎 寅 とら

 この世に生を受けてから7回目の干支を迎えた今年も、そろそろ終点が近づいてまいりました。

 古いお付き合いの友人たちと会いますと、必ずと言っていいほど口にする言葉は「こんなに長く生きるとは思わなかったわ」です。84歳ですよ! 数え年なら85歳。本当に、まさか自分が80過ぎまで生きるなんて40代の頃は、いえ60代になってからでさえ思いもよりませんでした。本当にちょっと前まで、80代なんて、ものすごーい年寄りで、労わり、労わられるのが当たり前、独り歩きなど滅相もない、と思うのが一般的だったのです。それが昨今、寿命は100歳までのびたのですって! 90歳は単なる通過点なのですって! 実際、100歳を超えてなお矍鑠かくしゃくとしていらっしゃる方、多うございますものね。でも、長生き結構ですけれど、100歳になっても80代と同じ体力で同じ行動がとれるとは、どうしても思えません。

 そこで元気なうちにと、寅年生まれの同い年3人で一泊旅行をすることに致しました。なにしろコロナ禍に襲われてからというもの行動を制限され、窮屈な生活を送っておりましたのでね。特に老人は重症化しやすいからとの思いやり・・・・から、殊更厳重な注意を課されておりまして、ちょっとした外出にも、まるで大きな罪でも犯すかのように周囲の監視の目を気にしながらという、息の詰まるような日常を送っていたのです。

「もう先がないのに」「息抜きもできないまま死んじゃうのは無念」などと言いつつ堂々と、ワクチン接種の証明書やら陰性証明書やらマイナンバーカードやらを取りそろえ、無事に1泊2日の温泉旅行を敢行いたしました。

 2日間でやったことといえば、自宅を出てから2時間余りかけて能登まで行き、演劇堂で無名塾の公演・仲代達矢主演の「いのちぼうにふろう物語」を鑑賞したこと。そこからタクシーで目的の旅館に辿り着いたこと。すぐに夕食を2時間近くかけてとったこと。とりあえず温泉に入ったことのほかは窓を開け放した室内で、ずうっとおしゃべり。そして翌朝までぐっすり休みました。

 翌日は日の出を見ながら朝風呂に入り、朝食をとり、チェックアウトした後も、最寄りの駅との間を往復する送迎バスの出る時間まで、人気のなくなったロビーでまたまたおしゃべり、といった具合だったのです。

 付近を散策するでもなく、格別はしゃぐでもなく、普段の生活と特に変わった行動をとったわけではありません。でも同い年3人が口をそろえて言った言葉は「ああ、楽しかった」でした。開放感ですね。一番のご馳走はなんと申しましても日常からの解放感だったと思います。

 気軽な旅行ならいつだって開放感はあるだろう、まして老人なら毎日が楽園暮らしだろうに、と大方は思し召しましょうが、さにあらずでございますよ。

 老人だからということを理由に、家族にも他人様ひとさまにも嫌がられまいと心掛け、ご迷惑をかけないよう、ご無礼のないよう、それなりに日々気を配って暮らしておりますのですよ、老人は。

 まして厄介なコロナが蔓延はびこる世の中になりましてから、向こう三軒両隣はもとより、川上川下、向かいの山を越えた海辺の町村の住人にまで "もしやコロナでは?" などと疑いの目を向けられないよう、注意に注意を重ねて暮らすようになってしまったのです。いえ、同情せよと言っているわけではございません。こんな日々が続きましたら筋金入りの気骨を備えている人でも、遊び尽くして、この世に何の未練もないとうそぶいているへそ曲がり老人でも息が詰まりましょう? 精神衛生上よろしくありません。コロナ蔓延と並行してそういう状態の人間も、この3年間で蔓延したのではありませんか? この辺で一息入れませんと、生身の人間の心にもひびが入ったり、ねじれてしまったり、色が悪くなったりして使いものにならなくなってしまいます。

 我ら寅年の同い年3人の息抜き一泊旅行は、おおいにその対策に役立ったと存じます。かくいう私も昔、同級生と旅行した時のことなど思い出し、開放感と共に若やいだ気分に浸ることができました。

 間もなく寅年も終わりますね。次の寅年は......ヒエーッ! 私たち96歳! 


 2017年から5年間、新潮社のご厚意で続けてまいりました『竹田真砂子の加賀便り』100回をもちまして、ひとまず幕引きと致します。長い間お読みくださいました皆様に厚く御礼申し上げます。

 また、いろいろお手数をおかけいたしました新潮社の担当の方々にも感謝の意をお伝えしたく存じます。有り難うございました。

 なお次回より多少趣を変えました加賀便りで、再びお目もじする予定でございます。引き続きお読みいただけますれば幸甚に存じます。


 少々気が早いようでございますが、皆様、どうぞよい年末をお迎えくださいませ。そして来る年が、今年よりもっと穏やかで豊かな年になりますよう心から願っております。有り難うございました。 

竹田真砂子


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(左)お二人は元英語教師と現役のお花の先生。本当にくつろいだお顔なので。
(右)ロビーで。帰る前に。私(左)は手にマスクをぶら下げております。
(後世、この写真を見た人が、この白いものはなんだろう? なぜ手に持っているのだろう? などと研究材料になるかも)

長いこと、「新しき身辺整理 加賀便り」をお読みいただき、ありがとうございました。
新潮社サイトでの連載は、今回で一段落となりますが、少々準備期間をいただき、年末もしくは新年から、別サイトで再開いたします。
上記コラムでもおわかりのとおり、数え年85歳の竹田先生は、ますますお元気です。
再び楽しい「加賀便り」が届くまで、しばし、お待ちください。
新サイトのリンクURLなどは、このページでご案内する予定です。
よろしくお願い申し上げます。

(編集部)


このコラムは、「新編加賀だより/ふたたび身辺整理」として継続しております。ぜひ、このつづきも、お読みください。

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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