富士山は眺める山だと思っています。以前住んでいたマンションの部屋からも借景のように富士山が見えましたし、今住んでいるマンションからもやはり借景のように富士山が見えました。数年前、無粋なマンションが目の前にできて、富士山を家から眺める楽しみがなくなりました。
東急東横線と営団日比谷線が相互乗り入れを始めた頃、日吉駅から奥に入った下田町というところに住んでいました。このブログでも書きましたが、小学校は円形校舎でした。それはともかく、日比谷線の電車は日吉まで乗り入れてきて、引き上げ線にしばらく停まったのち、また中目黒方面に出ていきました。行き先に「北千住」と書いてあるので、東京の「向こうの方」にそういう駅があることを教えてくれました。
先日、母から電話があり「近頃、あんたを青木橋に連れて行った時のことを何度も思い出すんだけど、何でだろう」などと言い出し、返答に窮しました。母は昭和と同じ年齢です。家族は私が3歳から6歳まで東横線東白楽駅から徒歩10分ぐらいの借家に住んでいました。母は30代半ばから後半になる年齢です。
御殿場線は東海道本線の国府津と沼津を結ぶ単線のローカル線です。昭和9年、丹那トンネルが開通するまでは、東海道本線でした。優等列車が行き交う栄光の時代があったことを伝える良書があります。月刊「たくさんのふしぎ」通巻12号「御殿場線ものがたり」(1986年3月1日発行/発行所福音館書店)。子供向きの本ですが、絵は黒岩保美、文は宮脇俊三。最強の子供向け書籍です。
ここ数年、夏になると「今年はとんでもない暑さだ」と吹き出す汗を拭きながら、つぶやいていました。しかし、今年は明らかに例年と違います。例えばエアコンのないわが家の現在の気温は、36度です。このブログを書いている午前1時現在の室温です。夕方はほぼ体温と同じになっていました。
昨日、関東地方の地図を公開しました。全体図を見ると、左下の部分が雲がかかったように白くなっています。これは元の地図が地域によって縮尺が違うことから、やむを得ずこういう形にしました。紙版の『日本鉄道旅行地図帳』を元にに製作していますので、誌面に合わせて様々な縮尺を用いています。ときには方位も様々です。それをWeb用に修正しています。
真夏の撮影旅行といえば、中学生の時に行った筑豊本線の複々線区間や高校生の時に行った一畑電鉄を思い出します。もともと汗かきなのに、炎天下を歩けばどうなるかは自明のことです。服を着たままプールに飛び込んで出てきたようなものでした。そんなことを思い出しながら、小湊鐵道の駅旅をしてきました。どの地点でも30度を下回ることはありませんでした。
小中高生は夏休みですね。夏休みといえば、宿題です。夏休みの宿題。あまり良い思い出はありませんが、大人になってから、茶飲み話で夏休みの宿題を話題にすることがしばしばあります。いつの頃からか、夏休みの宿題は、性格判断になるのではないかと思い始めたからです。
すっかり駅旅に嵌まっています。この日曜日には日光線と水戸線の駅を楽しんできました。日光線に乗るのはいつ以来なのか。小学校6年生の修学旅行が日光でした。その時は横浜から臨時列車(165系だったと記憶しています)に乗り、おそらく東北縦貫線を通って日光に向かったのではないかと思います。