ホーム > Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 > 戦前外地 > 満洲朝鮮の駅スタンプで、戦前の旅を空想する
満洲朝鮮の駅スタンプで、戦前の旅を空想する

「日本鉄道旅行地図帳」12号を刊行し、そのあと調子に乗って「乗りつぶしノート」まで刊行しました。平成21年のことでした。秋には歴史編成として、旧外地の鉄道地図を出すべく準備をしていたところ、大阪市にお住まいの松浦さんという方から、戦前の満洲・朝鮮の駅スタンプが押印された集印帖をご寄贈いただきました。海軍機関兵だった叔父さんの持ち物だったということです。

20140410_00.jpg ▲朝鮮列車時刻表 昭和13年2月号(新潮社復刻版)より抜粋
 そのスタンプの一部は「歴史編成」で掲載させていただきました。実はそのあと編集部内で集印帳が行方不明になっていたのですが、先日部屋の整理をしていたところ、ひょっこりと出てきました。手を休めてじっくり眺めてしまいました。
 ページをめくっていくと、この集印帖の駅スタンプは、北京から釜山まで3日間で移動する中で押印されていることに気づきました。最初に日付があるのは、唐山駅で「民国28年5月2日」です。「民国」とは中国歴で現在でも台湾で使われています。「民国28年」は昭和14年。因みに今年は「民国103年」です。
20140410_01.jpeg ▲日付が「民国」から「昭和」に変わる
 中華民国京山線(北京~山海関)から満洲国国鉄奉山線(奉天~山海関)を経由し、奉天から満鉄安奉線(安東~奉天)、朝鮮鉄道京義線(京城~新義州)、京釜線(京城~釜山)で釜山まで長距離を一気に移動しています。最後は関釜連絡船の昌慶丸のスタンプです。
 奉天近郊の蘇家屯駅のスタンプから日付が「5月3日」に変わっていることから、おそらく奉天市内で1泊しているのかもしれません。因みに中華民国と満州国の国境だった山海関駅スタンプから「昭和」の表記に変わります。
 手元に昭和14年の時刻表はありませんが、「満洲支那時間表」昭和15年8月号があります。復刻版です。この時刻表には北京~釜山間に2つの急行列車が掲載されています。「興亜」と「大陸」です。また欄外にはスタンプ設置駅名が掲載されています。
「興亜」は北京発19時で、奉天着が翌日の11時20分、釜山着はその翌日の10時40分です。「大陸」は北京発7時50分、奉天着が22時40分、釜山着はその翌日の21時50分。2つの急行は半日違いで運転され、役割分担をしていたようです。
20140410_02.jpeg ▲蘇家屯と鶏冠山は4分停車
 この集印帖の持ち主は北京から「大陸」に乗車、奉天で1泊し翌日の「興亜」に乗り換え釜山に向かったのではないかと私は想像しました。「興亜」は平壌から大田あたりまでが深夜早朝の時間帯で、このあたりのスタンプの押印がありません。また「大陸」通過駅のスタンプがいくつかあります。
 かなり精力的に駅スタンプを集めた様子が集印帖から伝わってきます。停車時間が5分以下の駅もいくつかあり、1分の駅もあります。私も中学高校の頃は、短い停車時間に跨線橋を駆け上がったことが再三ありましたが、戦前の大陸で、現在の特急とも比較にならないぐらい「格の高い」列車で、スタンプを押すためにホームを全力疾走する人がいるというのは、想像するだけで微笑ましいですね。
 ご本人からそのあたりの事情を伺えないのが残念ですが、スタンプ蒐集の熱意が伝わってくる集印帖、編集部で大事に活用させていただきます。ありがとうございました。

追伸
 「ラ・メール」さま、甲子園は堪能されましたか? 結果は残念でしたが、甲子園に応援に行かれるだけでも幸せですよ。平間の件ですが、私も浅野の「A」だと思いたいのですが、「特急ビヤダル」さんの一連の写真を見ると、やはり「浅野」は牽強付会な気もします。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年04月10日   戦前外地

PAGE TOP