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大特集 あまちゃんと三陸鉄道(2)三陸鉄道「創世記」の話

 試運転列車に「結婚してくれ」と大書してありましたが、あれはCGでしょうか。背景を見ると久慈車両基地内かと思いますが、築堤上を走っているシーンもあり、もしそうだとすると沿線の人々にドラマのネタがばれることになりますね。それとも地元ではすでに知られていたことなのでしょうか。

 今日は三陸鉄道の「創世記」を簡単にご紹介します。ドラマで北三陸鉄道は昭和59年7月1日に開業したことになっていますが、三陸鉄道が開通したのは、昭和59年4月1日です。国鉄赤字線を第三セクターとして引き継いだ最初のケースとなりました。4月1日の開業日には、北リアス線の起点宮古駅にはたくさんの人々が来て、ホームも駅前広場も人で埋まったそうです。『さんてつ』にはそんなシーンも描かれています。家出少女が乗っていたとしても、誰も気にとめなかったでしょう。
am2-1.jpg▲『さんてつ』より
 余談ですが、この三陸鉄道の開業とともに地元の人々の記憶にあるのは、選抜高校野球で大船渡高校が快進撃をしたことでしょう。南リアス線の起点盛駅は大船渡市です。開業日の1日、大船渡高校は2回戦で日大三島高校を破っています。2日の準々決勝では明徳義塾に1対0で勝ちベスト4に進みました。3日の準決勝は岩倉高校に1対2のサヨナラ負け。地元大船渡はもとより、岩手県民はテレビに釘付けになったとそうです。余談ついでですが、岩倉は決勝で桑田・清原のPL学園に勝って優勝しました。
 三陸鉄道が開業した年はそんな年でした。このWebでもお世話になっている三陸鉄道の冨手淳氏は開業の前年に発足した会社に入社、新人として開業を迎えています。このあたりは大吉に符合しますね。この開業で三陸地方の明治以来の念願であった縦貫鉄道が完成したことになります。
 線路は電化にも対応できるように建設され、重い電気機関車も入線できる仕様になっているそうです。また津波被害を考慮してできるだけ海から離れたところに線路が敷設されましたが、東日本大震災では海の近くの区間がことごとく被害にあってしまいました。
 三陸鉄道は初年度から黒字を計上し、10年間黒字をつづけ、第三セクターの優等生と言われました。三陸鉄道の成功があったからこそ、その後国鉄赤字線が積極的に第三セクターに転換されていきました。
 最初の10年は黒字でしたが、その後の20年近く赤字が続いていました。沿線人口の減少、特に高校生の減少が大きく響いているとのことです。大震災の日、冨手氏は4月から新学期が始まる高校へ定期券の相談に行こうと思っていたそうです。三陸鉄道復興のドラマはここから始まりました。

(C)Kouji Yoshimoto

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編集部 田中比呂之(ひろし)

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