現代を代表する『万葉集』研究者の上野誠さんは、本書の中で「日本の詩歌の原点は、土地を褒める、その土地に立ったときの感動を歌うというところにあるのです。それは日本という土地への恋そのもの」と語っています。
なるほど『万葉集』には日本各地の地名が登場します。なかでも、奈良の地名が登場する歌は全約四千五百首のうち約九百首におよびます。なぜなら、ちょうど『万葉集』の歌が詠まれた時代、都は大和盆地のなかを転々としており、その都を中心に文字の文化が発達し、日本の歌の文化は育まれていったからです。
本書はそんな“日本の歌のふるさと”奈良を美しい撮り下ろし写真と万葉歌でたどるものです。特に三つの古都――石像や古墳が古代ロマンを伝える飛鳥京、たった十六年の都・藤原京、虚空の宮跡を抱える平城京――を軸に案内します。
たとえば飛鳥川に三輪山。若草山に生駒山に多武峰。千三百年以上昔の人々がその心情を投影した山河は、いまも変わらずそこにあります。華やかなりし都の遺構もあちこちにのこっています。上野さんは、『万葉集』を歌で綴られた写真アルバムのようなものだといいます。万葉歌を口ずさみつつ、古代の人々が歌にスナップした土地を実際に訪れれば、「その土地に立ったときの感動」を追体験できるのではないでしょうか。それは心動かされる光景に出会い、スマホで写真を撮り、SNSで投稿する、そんな現代の私たちの感覚に通ずるものなのかもしれません。
ところで本書の元となった「芸術新潮」2010年の特集は、平城京遷都千三百年を記念して組まれたものです。前述したように、『万葉集』が詠まれた時代、特に710年の平城遷都にいたるまでの間、都は大和盆地のなかを頻繁に移動していました。なぜならば都とは天皇が坐すところを指し、天皇があそこへ行きたいと言えば、都はすぐにそこへ移り、天皇が旅すれば、そこは都――というものだったからです。つまり「遷都」は天皇の権力を示す行為であり、都とは物理的には常にかりそめのものでした。その転々とする都の歴史と、歴史のうねりのなかで転々とする人々の哀歓も、上野さんがたっぷり説明してくださいます。
さらに上代文学に親しむ詩人の蜂飼耳さんは「春過ぎて 夏来るらし白たへの 衣干したり 天の香具山」でもおなじみの天香具山、さらに畝傍山、耳成山を加えた大和三山を、眺めるだけでなく、実際に登山し、紀行文を寄せてくださいました。藤原京を囲む、穏やかな三つの山の頂から見える光景とはどんなものだったのでしょう。
奈良文化財研究所の馬場基さんは、平城京などで出土した木簡と万葉歌から、当時の人々の暮らしぶりを楽しく解説してくださいました。恋に仕事に精を出しつつ、ときにボヤキのような歌も詠む。生活実感のこもった歌の数々には思わずクスッとしてしまいます。
是非本書片手に、遥か古代の人々と心かよわす旅へお出かけください。
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