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ばかもの

絲山秋子/著

1,430円(税込)

発売日:2008/09/29

  • 書籍

絶望の果てに響く、短く不器用な、愛の言葉。待望の恋愛長篇。

気ままな大学生と、強気な年上の女。かつての無邪気な恋人たちは、いつしか別れ、気づけばそれぞれに、取り返しのつかない喪失の中にいた。行き場をなくし、変わり果てた姿で再会した二人の、むき出しの愛。生きること、愛することの、激しい痛み。そして、官能的なまでの喜び――。待望の恋愛長篇。

  • 映画化
    ばかもの(2010年12月公開)

書誌情報

読み仮名 バカモノ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-466903-5
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,430円

インタビュー/対談/エッセイ

短く不器用な、愛の言葉

佐々木敦絲山秋子

佐々木 最新長篇『ばかもの』の刊行、おめでとうございます。作品を読んで、お話しできるのを楽しみにしていました。
絲山 ありがとうございます。『ばかもの』は、作者としてここ数年でもっとも手応えのあった作品です。
佐々木 分量的にも、絲山さんの作品の中でいちばん長いものでしょうか。
絲山 連作短篇の『ダーティー・ワーク』と同じぐらいで、二四〇枚ぐらいです。
佐々木 一回三〇枚、八回の連載ですね。
絲山 三〇枚というのは、私にとってすごく良い長さなんです。目が行き届いて、体の一部のように知覚することができる。このリズムで書けたのは良かったです。
佐々木 連載のペースというのは、時には作品全体の内容にも関わってくるものだと思います。絲山さんの作品は、長篇の場合も短篇のように、細かいピースが非常にきめこまやかにできているように思うんですが、連載前に全体のしっかりした設計図を作ってから書き始められるんですか。
絲山 作品によりますね。かなり書き進めてもなかなか全体像が見えてこないということもあります。『ばかもの』の場合、連載が決まったときには最初と最後のことだけがわかっていて、その間のことはぜんぜんわからなかったんですが、最終的に書き上がったラストシーンは、当初考えていたものと、ぴたりと同じになりました。

ギョーザから始まった

佐々木 作品の出発点はどういうところにあったんですか。
絲山 餃子です。
佐々木 餃子が出発点ですか……(笑)。
絲山 あの、男女がセックスをするときって、それぞれ勝手なことを考えていると思うんです。でも、考えているのが餃子のことだったらいやだなと思って。それで「これは短篇が書けるな」と思いました。それが出発点です。
佐々木 たしかに、第一話は「ギョーザ」というタイトルの短篇にもなりそうですね。一つの物語として完結している。
絲山 でも、餃子とセックスについて書き終えてみたら、第二話が見えてきたんです。それで第二話のことを考えていたら、最後が見えてきた。「これは連載だ」と思って『新潮』に連載させてもらうことになりました。
佐々木 短篇の物語が広がっていったんですね。
絲山 そうです。ヒデ(主人公)と額子(恋人)と餃子、最初はそれしか考えていませんでした。
佐々木 二人のその後については、彼らが第一話で生を受けたときには、実は何も決まっていなかったと。
絲山 はい。決めるというよりも、だんだんわかってくるんです。ただヒデは絶対ひどい目に遭うな、ということだけは、一話を書いてみてすぐにわかりました。
佐々木 かなり悲惨な未来が待っていますよね。
絲山 登場人物の運命というのは、作者の私にもコントロールできないものなんです。書きながら、こんなふうになるのかと、かなり辛かったです。
佐々木 ヒデはアルコール依存症になり、周囲の人たちにもたいへんな迷惑をかけて、どん底まで転落していきますね。
絲山 そうすると私も、目覚めるとそのヒデのことを考えなければいけないという日が続く。どうにかなりそうでした。
佐々木 そこまでしないと、物語がどうなっていくのかは、作者にさえわからないものなんですね。月刊誌連載だから、一気に集中して書き上げるというわけにもいかない。
絲山 そうですね。一話発表した後に一カ月経って、やっと次へ進む。その間に、小説の中の時間も少し動くんです。一文字も書いていない日にも、小説は少しずつ進んでいる。そこが書き下ろしと違うところでした。
佐々木 絲山さんの作品というのは、書かれた文章の背後に、表に現われていないたくさんの細部やエピソードの気配があるような気がするんです。でも実際に書いてあるのはこれだけ、という贅沢さがある。
絲山 基本的に引き算の書き方ですね。
佐々木 長い連載期間中に進んでいった小説の時間が、書かれた文章の間に詰まっているような感じがします。

劇的な展開を支えるもの

佐々木 絲山さんの作品では、登場人物の感情の動きや関係性のようなものが、具体的でごく身近なものごとの積み重ねや、一見他愛のない会話によって、すごく繊細に描かれる一方で、すごくダイナミックでインパクトの強い劇的な展開がある場合もあります。この『ばかもの』では、ヒデがアルコール依存になり、額子が事故に遭う。こういうドラマティックな展開の導入というのは、書くのになかなか勇気が要りますよね。
絲山 まあ、不用意にやると陳腐になりがちですからね。
佐々木 文学であることと、ドラマティックであることは、両立が難しいと思われているふしがあると思う。でも、ぜんぜんそんなことはないし、僕はそれを自然に両立しているのが絲山さんだと思います。これはほめ言葉として受け取ってほしいんですが、絲山さんの作品というのは「泣ける純文学」だと僕は思っているんです。
絲山 うーん、私はぜんぜん泣かせようとは思っていないんですけどね。私自身、本を読んで泣いたりしないですし。でも熱心な読者の方というのは、けっこう泣くんですね。
佐々木 ぼくも泣きました。『海の仙人』でも『袋小路の男』でも『ダーティー・ワーク』でも泣きました。泣き虫自慢みたいですけど(笑)。
絲山 物語の展開が安易なものにならないように、設定については徹頭徹尾調べて考えます。たとえば額子が事故に遭うということに関しては、看護師や医師や保険関係の人にも話を聞いて、そういう事故はどれぐらいの頻度で起こるか、どんな処置をして事故後の生活はどうなのか調べました。そうして初めて、突然事故に遭った、と書くことができるし、事故後もこうして生活できる、と登場人物に語らせることができる。
佐々木 現実にこういうことは起きているのだし、起き得ることなのだ、という実証的な裏付けが、劇的な展開を支えているわけですね。
絲山 著者の都合で小説が展開するというのは、私の場合は最悪のことなんです。むしろ、登場人物の都合に作者があわててついていく、というふうでないとだめなんです。

想像上の人物

佐々木 この作品の中には「想像上の人物」という人が出てきますね。人、と言っていいのかわかりませんが。これはどのように出てきたアイディアですか。
絲山 アイディアというより、作者にはコントロールできない形で出てくるんです。どうも私の小説の中には作者・現実社会・想像・ナゾ、という四つの要素があるようなんですが、「想像上の人物」は、まさにナゾとしか言いようのないものです。私が考えたり、現実に取材したり、というようなこととはまったく別のところから来る、でも作品にとっては常に正しい、決定的なものです。
佐々木 言葉としてやって来るんですか。
絲山 そうです。「想像上の人物」という言葉として。それが何なのか、最初はよくわからなかったんですが、連載ですから後から突然出すわけにもいかず、第一話から登場させています。
佐々木 面白いと思ったのは、ヒデも額子も小説の中の、つまり想像上の人物ですよね。そこにさらに、カッコつきの「想像上の人物」が出てくる。そしてこの人物は、神秘的な存在として実際にヒデの前に現れているのか、それとも文字通り彼の想像の中だけの存在ということなのか、どちらにも取れるようになっている。
絲山 そうですね。そもそも、フィクションというもの自体が、ありもしないことを読者が読み、読んでいる間はそこに存在しているという、不思議なものなんですけどね。

小説の中の音楽

佐々木 僕は音楽関係の仕事もしているものですから、小説の中に出てくる音楽というのはすごく気になる方なんですが、絲山さんの小説は、音楽の使い方が本当に絶妙ですよね。『ばかもの』で印象的なのは、イエスの「ラウンドアバウト」。
絲山 今回はあえてあの一番有名な曲を持ってきちゃったんですよね。
佐々木 さりげなく出てきているけれど、アルバムのタイトルが『フラジャイル(こわれもの)』だったり、歌詞の中に「僕は迂回するだろう」というようなフレーズがあったり、そういう細部が物語に本当にうまく馴染んでいる。あんまりドンピシャの曲でも、逆に良くないんだろうと思うんですよ。『クロース・トゥー・ジ・エッジ(危機)』というのも有名ですが……。
絲山 そう、それだとあまりにヒデの運命そのままなので、ずらしたんです。
佐々木 よくわかります。
絲山 そのあたりのニュアンスが全部伝わればすごく面白いとは思うんですが、10のうち3でも充分楽しんでもらえると思う。「そうそう」と思える部分が3あれば良いんじゃないかと思います。

二度目の「ばかもの」

佐々木 「ばかもの」というのは、作品の中で登場人物が口にする言葉ですね。
絲山 恋人に向けられた、ほとんどノロケに近い、強い愛の言葉です。
佐々木 この言葉は、二度出てくるんですよね。一話目と最終話に。
絲山 第一話を書いたとき、二度目の「ばかもの」の場面が浮かんできたんです。木に登る額子を、川の中からヒデが見上げている。ラストシーンです。
佐々木 一話目の「ばかもの」と、最終回の「ばかもの」は、誰が発した言葉かということも違うし、その意味も響き方もずいぶん違う。短くて不器用な言葉だけれど、だからこそ、その背後にはいろいろなものが感じられる。実際には言わなかったたくさんのことが、あの二度の「ばかもの」には込められているような気がします。

(ささき・あつし 批評家)
(いとやま・あきこ 作家)
波 2008年10月号より

著者プロフィール

絲山秋子

イトヤマ・アキコ

1966年東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞を受賞。『逃亡くそたわけ』『ばかもの』『妻の超然』『末裔』『不愉快な本の続編』『忘れられたワルツ』『離陸』など著書多数。

判型違い(文庫)

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