オー!ファーザー
1,760円(税込)
発売日:2010/03/26
- 書籍
すべての伏線がつながるこの快感! 伊坂エンタメの技の冴えを、とくとご覧あれ。
みんな、俺の話を聞いたら尊敬したくなるよ。なんたって我が家は、六人家族で大変なんだ。えっ、そんなの珍しくないって? まあ聞いてよ、母一人、子一人なのはいいとして、父親が四人もいるんだよ。しかも、飛びっきりアクの強いね。今回も、その一人と一緒に出かけたことから、とんでもない事件に巻き込まれてさ――。
書誌情報
読み仮名 | オーファーザー |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 368ページ |
ISBN | 978-4-10-459604-1 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,760円 |
書評
波 2010年4月号より 特集[伊坂幸太郎『オー!ファーザー』刊行記念] カッコ良すぎる4人の父親
評論家の中森明夫が原案力という言葉を提唱している。エンターテイメント作品に重要なのは物語の核となる、ひと言で説明可能な原案なのだという。その原案力の優れた作家といえば、いま伊坂幸太郎の右に出る者はいないだろう。
予知能力のあるカカシが未来を受け入れた、孤島で起きる物語『オーデュボンの祈り』。売れないバンドが最後のレコーディングで叫んだ声が、時空を超えて奇跡を起こす『フィッシュストーリー』。首相暗殺の濡れ衣を着せられた元宅配ドライバーの男の逃亡劇『ゴールデンスランバー』など、とにかく発想の奇抜さに驚かされる。そんな卓越した原案力が、現時点で最もはじけているのが『オー!ファーザー』だ。
個性バラバラな父親4人と暮らす、男子高校生の物語。この設定だけでスルーできるはずもない。もちろん原案力に負けず、伊坂らしいサービス精神に富んだ内容となっている。
主人公は高校2年生の由紀夫。恋多き母親の四股恋愛のせいで、4人の父親を持つ身だ。無類のギャンブル好きで、直感で生きている鷹。筋骨隆々で格闘マニアの中学教師の勲。元ホストで女に目がない葵。いつも本を読んでいて博識な大学教授の悟。30代後半から40過ぎの4人の男たちの誰かが、由紀夫の本当の父親らしいけれど、あまりそのことにはこだわらず、仲睦まじい家族として暮らしている。
とにかくこの4人の父親たちが魅力的。ひとり息子である由紀夫を心から愛していて、抜群のチームワークで由紀夫の生活をフォローする(母親は長期出張中らしく、本編にはほぼ登場しない)。その干渉ぶりが、常識的な父親からは少しだけズレており、しばしば由紀夫を呆れさせる。しかし『ランナウェイ・プリズナー』というドラマ(『終末のフール』とのリンク!)のマネをして電線を伝ってみようとしたり、由紀夫がカツアゲを止めようとした現場に、白いホッケーマスクをかぶって加勢に現れたりと、言葉だけでなく身体を張って息子の日常に寄りそう姿は、ぐっとくるものがある。
シャレも通じて、女の子の扱い方もケンカの仕方も、世の中のどうにもならない怖さも教えてくれる。威厳はないけれど、息子がピンチのときには全力で守る。こんな父親が欲しいなぁ、という男子の秘めた願いが具現化したような父親たちは、常に由紀夫を護衛する頼もしい騎士のようだ。
物語は中盤、じわりと動き出す。ある日、由紀夫は鷹に連れられてドッグレースを見に行く。そこで裏社会の大物・富田林と一緒にいた悪徳弁護士風の男が、何者かに鞄をすり替えられる現場を目撃した。由紀夫は好奇心にかられて、犯人の追走を始めるが、友人の鱒二のせいで見失う。
その後、由紀夫の家に空き巣が入ったり、因縁のある「牛蒡男」一味とのトラブルがエスカレートしたり、危険な影がちらつき始める。やがてドッグレース場に悪徳弁護士風の男と連れ立っていた女の死体が見つかり、事態は深刻化。ついに由紀夫は、謎の暗殺グループに拉致されてしまうのだ。
ひとりの少年が、ちょっとした正義感のせいで災難に巻きこまれてゆく過程は、無数のエピソードの偶然の一致が主人公を最悪の状況に追いこんでゆくガイ・リッチー映画のよう。しかし、映画はこの小説には勝てないに違いない。由紀夫を助け出すために4人の父親が繰り出した、ある高度な作戦では、それまでに張られた伏線が鮮やかに回収されてゆき、小説ならではの爽快感を味わわせてくれる。そこには、映像では削ぎ落されるだろう、息子を救け出すという父親たちの切実な祈りがにじみ出ているのだ。
伊坂幸太郎の小説は、決して大掛かりなエンターテイメントではない。自身がインタビューで「世界を変えるヒーローや壮大なカタルシスにはあまり興味がない。読者の人生にそっと寄り添う、小さな人間の物語が好き」と語っているように、実はミニマムで等身大の物語を書いている。『オー!ファーザー』もそう。4人のパパがカッコ良すぎるけれど、あくまで普通の父と子の物語なのだ。悟の「俺たちは、おまえ(由紀夫)の無事をずっと祈ってた」という言葉や、由紀夫がふと4人の父親の老後に思いを致すくだりなど、特別ではないごく平凡な父子の絆がうかがえて胸をうたれる。
一級のクライム・アクションであり、4対1という変形の、父と子のバディ・ストーリーでもある。できれば父と子、同時に読んで、互いに感想を語り合ってもらいたい小説だ。
予知能力のあるカカシが未来を受け入れた、孤島で起きる物語『オーデュボンの祈り』。売れないバンドが最後のレコーディングで叫んだ声が、時空を超えて奇跡を起こす『フィッシュストーリー』。首相暗殺の濡れ衣を着せられた元宅配ドライバーの男の逃亡劇『ゴールデンスランバー』など、とにかく発想の奇抜さに驚かされる。そんな卓越した原案力が、現時点で最もはじけているのが『オー!ファーザー』だ。
個性バラバラな父親4人と暮らす、男子高校生の物語。この設定だけでスルーできるはずもない。もちろん原案力に負けず、伊坂らしいサービス精神に富んだ内容となっている。
主人公は高校2年生の由紀夫。恋多き母親の四股恋愛のせいで、4人の父親を持つ身だ。無類のギャンブル好きで、直感で生きている鷹。筋骨隆々で格闘マニアの中学教師の勲。元ホストで女に目がない葵。いつも本を読んでいて博識な大学教授の悟。30代後半から40過ぎの4人の男たちの誰かが、由紀夫の本当の父親らしいけれど、あまりそのことにはこだわらず、仲睦まじい家族として暮らしている。
とにかくこの4人の父親たちが魅力的。ひとり息子である由紀夫を心から愛していて、抜群のチームワークで由紀夫の生活をフォローする(母親は長期出張中らしく、本編にはほぼ登場しない)。その干渉ぶりが、常識的な父親からは少しだけズレており、しばしば由紀夫を呆れさせる。しかし『ランナウェイ・プリズナー』というドラマ(『終末のフール』とのリンク!)のマネをして電線を伝ってみようとしたり、由紀夫がカツアゲを止めようとした現場に、白いホッケーマスクをかぶって加勢に現れたりと、言葉だけでなく身体を張って息子の日常に寄りそう姿は、ぐっとくるものがある。
シャレも通じて、女の子の扱い方もケンカの仕方も、世の中のどうにもならない怖さも教えてくれる。威厳はないけれど、息子がピンチのときには全力で守る。こんな父親が欲しいなぁ、という男子の秘めた願いが具現化したような父親たちは、常に由紀夫を護衛する頼もしい騎士のようだ。
物語は中盤、じわりと動き出す。ある日、由紀夫は鷹に連れられてドッグレースを見に行く。そこで裏社会の大物・富田林と一緒にいた悪徳弁護士風の男が、何者かに鞄をすり替えられる現場を目撃した。由紀夫は好奇心にかられて、犯人の追走を始めるが、友人の鱒二のせいで見失う。
その後、由紀夫の家に空き巣が入ったり、因縁のある「牛蒡男」一味とのトラブルがエスカレートしたり、危険な影がちらつき始める。やがてドッグレース場に悪徳弁護士風の男と連れ立っていた女の死体が見つかり、事態は深刻化。ついに由紀夫は、謎の暗殺グループに拉致されてしまうのだ。
ひとりの少年が、ちょっとした正義感のせいで災難に巻きこまれてゆく過程は、無数のエピソードの偶然の一致が主人公を最悪の状況に追いこんでゆくガイ・リッチー映画のよう。しかし、映画はこの小説には勝てないに違いない。由紀夫を助け出すために4人の父親が繰り出した、ある高度な作戦では、それまでに張られた伏線が鮮やかに回収されてゆき、小説ならではの爽快感を味わわせてくれる。そこには、映像では削ぎ落されるだろう、息子を救け出すという父親たちの切実な祈りがにじみ出ているのだ。
伊坂幸太郎の小説は、決して大掛かりなエンターテイメントではない。自身がインタビューで「世界を変えるヒーローや壮大なカタルシスにはあまり興味がない。読者の人生にそっと寄り添う、小さな人間の物語が好き」と語っているように、実はミニマムで等身大の物語を書いている。『オー!ファーザー』もそう。4人のパパがカッコ良すぎるけれど、あくまで普通の父と子の物語なのだ。悟の「俺たちは、おまえ(由紀夫)の無事をずっと祈ってた」という言葉や、由紀夫がふと4人の父親の老後に思いを致すくだりなど、特別ではないごく平凡な父子の絆がうかがえて胸をうたれる。
一級のクライム・アクションであり、4対1という変形の、父と子のバディ・ストーリーでもある。できれば父と子、同時に読んで、互いに感想を語り合ってもらいたい小説だ。
(あさの・ともや 著述家)
書評
波 2010年4月号より
「ジャスト・ナウ」ではない現実
――伊坂幸太郎『オー!ファーザー』を読んで
――伊坂幸太郎『オー!ファーザー』を読んで
奥山和由
最初に読んだ伊坂作品は『チルドレン』で、読むなり「この作品を映像化したい」と思った。すぐに連絡を取ったが既に映像化権は押さえられていて、その後、他の伊坂作品に何度トライしても、ことごとく権利は押さえられていた。そんなことを愚痴混じりに話していたら、ある人から「今、新聞で連載中の作品がある。まだ本になってないし、さすがに映像化権は空いてるんじゃないか」と紹介されて読み始めたのが、この『オー!ファーザー』だった。
伊坂作品が好きだと言っても、何でも映画にしようと思っていたわけではないし、連載で新聞小説を読む習慣はなかったからやや心配だったが、そんなものは杞憂だった。まず会話がいい。会話の上手さに関しては私が今更言うまでもないことだが、細切れのごとく短い連載一日分の中でも、充分に素晴らしいやりとりがある。特に、四人の父親と息子である由紀夫との掛け合いは、おかしみの中に真実を内包していて、読みながらなるほどと何度も頷いてしまった。ストーリーのうねりもさることながら、その瞬間瞬間の会話の面白さで、最後まで連れられて行った感がある。
伊坂幸太郎の小説を読んでいて思い出すのは、エーリッヒ・ケストナーである。現実から数ミリ、数センチ離れているのだけれども、読んでいると自分の奥深くに眠っている記憶に作用して、今まで忘れていた――忘れたことさえ忘れていた――感情を思い起こさせるのだ。
そしてこの、現実から少しだけ離れているということが、寓意を際立たせ、特異なキャラクターへの違和感をなくしている。現代を舞台にしてはいるけれども、「ジャスト・ナウ」の現実とは違う。そこが伊坂作品の魅力である。
そして同時に、映像化における難しさでもあるだろう。現実のように読めるけれども、現実とイコールではないから、まったく同じように映像化しようとすると、どうしても違和感が出てしまう。人物にしても、会話にしてもそうだ。
ある伊坂作品を映画にしたくて、仲間と話をしたことがあった。ある人は、伊坂作品の魅力はスピード感だと言った。確かにそういう面もある。トリッキーに打たれた布石が、終盤一気に回収されていく様はとても映画的だ。だが、それは一面しか捉えていないし、私の考えはまったく違う。
私の考える伊坂作品の魅力は、「変わらなさ」である。登場人物はみな、どこか少年の心を持っている。物語の中で非日常的な出来事に出くわして、変わらざるを得ない局面に立たされるけれども、それでも「そこだけは変わらなかった」という部分が確かにある。読み終わって一番胸に残るのはそこだ。ひいてはそれが自分の中の少年期を呼び起こし、物語の余韻とあいまって、例えがたく甘美な読後感を抱かせるのだろう。
とはいえ、ただ心地よく、甘美なだけではない。そこにさりげなく顔を出す死の影も、重要なモチーフだ。私は、とりわけ死をモチーフにした伊坂作品が好きだ。なぜなら、「変わらない」ことにまっこうから対峙するのが「死」だからである。死はどうしても避けて通れない「変わること」で、それと向き合うことで人間はどうなるのか、その伊坂幸太郎なりの考えが、作品から浮かび上がってくるからである。
そして、現実から数ミリ浮いている世界の中で、死だけはリアルに現実との接点となって、地続きの感覚へと引き戻す。『オー!ファーザー』の中で、由紀夫が夢を見る場面がある。父親の不在に関する夢なのだが、その場面のリアルさと寂しさは、他と明らかに質を異にする。ここと、黙々とバスケットのシュート練習をするシーンは、もし私が映画を作るのであれば是が非でも入れたいと思っている。他にもそういった場面はあるが、どれも本筋とは関係ない場面である。物語のうねりには関与しないけれども、その景色の持つ深層心理は大事なものばかりで、そういった場面こそが、映画に必要なのだからだ。ちょっとした描写に、感情が分かちがたく結びついている。そこは、伊坂幸太郎が無類の映画好きという点と、密接に絡み合っているのかもしれない。
伊坂さんは、今は自作の映像化に関して、少し距離を取っていると聞く。いつか気が変わって映像化もいいなと思ってもらえたときのために、この作品をどう料理するのか、私は既に、そして勝手に考え始めている。
伊坂作品が好きだと言っても、何でも映画にしようと思っていたわけではないし、連載で新聞小説を読む習慣はなかったからやや心配だったが、そんなものは杞憂だった。まず会話がいい。会話の上手さに関しては私が今更言うまでもないことだが、細切れのごとく短い連載一日分の中でも、充分に素晴らしいやりとりがある。特に、四人の父親と息子である由紀夫との掛け合いは、おかしみの中に真実を内包していて、読みながらなるほどと何度も頷いてしまった。ストーリーのうねりもさることながら、その瞬間瞬間の会話の面白さで、最後まで連れられて行った感がある。
伊坂幸太郎の小説を読んでいて思い出すのは、エーリッヒ・ケストナーである。現実から数ミリ、数センチ離れているのだけれども、読んでいると自分の奥深くに眠っている記憶に作用して、今まで忘れていた――忘れたことさえ忘れていた――感情を思い起こさせるのだ。
そしてこの、現実から少しだけ離れているということが、寓意を際立たせ、特異なキャラクターへの違和感をなくしている。現代を舞台にしてはいるけれども、「ジャスト・ナウ」の現実とは違う。そこが伊坂作品の魅力である。
そして同時に、映像化における難しさでもあるだろう。現実のように読めるけれども、現実とイコールではないから、まったく同じように映像化しようとすると、どうしても違和感が出てしまう。人物にしても、会話にしてもそうだ。
ある伊坂作品を映画にしたくて、仲間と話をしたことがあった。ある人は、伊坂作品の魅力はスピード感だと言った。確かにそういう面もある。トリッキーに打たれた布石が、終盤一気に回収されていく様はとても映画的だ。だが、それは一面しか捉えていないし、私の考えはまったく違う。
私の考える伊坂作品の魅力は、「変わらなさ」である。登場人物はみな、どこか少年の心を持っている。物語の中で非日常的な出来事に出くわして、変わらざるを得ない局面に立たされるけれども、それでも「そこだけは変わらなかった」という部分が確かにある。読み終わって一番胸に残るのはそこだ。ひいてはそれが自分の中の少年期を呼び起こし、物語の余韻とあいまって、例えがたく甘美な読後感を抱かせるのだろう。
とはいえ、ただ心地よく、甘美なだけではない。そこにさりげなく顔を出す死の影も、重要なモチーフだ。私は、とりわけ死をモチーフにした伊坂作品が好きだ。なぜなら、「変わらない」ことにまっこうから対峙するのが「死」だからである。死はどうしても避けて通れない「変わること」で、それと向き合うことで人間はどうなるのか、その伊坂幸太郎なりの考えが、作品から浮かび上がってくるからである。
そして、現実から数ミリ浮いている世界の中で、死だけはリアルに現実との接点となって、地続きの感覚へと引き戻す。『オー!ファーザー』の中で、由紀夫が夢を見る場面がある。父親の不在に関する夢なのだが、その場面のリアルさと寂しさは、他と明らかに質を異にする。ここと、黙々とバスケットのシュート練習をするシーンは、もし私が映画を作るのであれば是が非でも入れたいと思っている。他にもそういった場面はあるが、どれも本筋とは関係ない場面である。物語のうねりには関与しないけれども、その景色の持つ深層心理は大事なものばかりで、そういった場面こそが、映画に必要なのだからだ。ちょっとした描写に、感情が分かちがたく結びついている。そこは、伊坂幸太郎が無類の映画好きという点と、密接に絡み合っているのかもしれない。
伊坂さんは、今は自作の映像化に関して、少し距離を取っていると聞く。いつか気が変わって映像化もいいなと思ってもらえたときのために、この作品をどう料理するのか、私は既に、そして勝手に考え始めている。
(おくやま・かずよし 映画プロデューサー)
著者プロフィール
伊坂幸太郎
イサカ・コウタロウ
1971(昭和46)年、千葉県生れ。1995(平成7)年東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で、新潮ミステリー倶楽部賞を受賞し、デビュー。2004年『アヒルと鴨のコインロッカー』で吉川英治文学新人賞、2008年『ゴールデンスランバー』で本屋大賞と山本周五郎賞、2014年『マリアビートル』で大学読書人大賞、2017年『AX』で静岡書店大賞(小説部門)、2020(令和2)年『逆ソクラテス』で柴田錬三郎賞を受賞した。他の作品に『ラッシュライフ』『重力ピエロ』『砂漠』『ジャイロスコープ』『ホワイトラビット』『火星に住むつもりかい?』『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重との合作)などがある。
判型違い(文庫)
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